'll Surprise
この人と出会って初めての誕生日は、サプライズを企画されていた。
まだ僕達の関係性は最悪で、この人のやることなすこと全てが鬱陶しいと思っていた頃だ。サプライズだって結局本物の犯罪を引き当ててしまって、ヒーローであるロックバイソンが警察の事情聴取を受けるなんてまさかの酷い結果になった。まあ、プレゼントだと犯人とポイントを差し出してくれたのはちょっとばかり見直しそうになったけれど。ほんの、少しだけ。
次の年はあちこちから引っ張りだこで、僕の誕生日だと言うのに祝いたいと言ってくれるファンやスポンサーみんなに笑顔を振りまく一日になった。それも悪くなかったけれども、まるで僕の方がサービスしてる気になってかなり疲れた。すっかり仲良くなってコンビとしての活躍も文句の付け所がなかった相棒は、当然のように一緒に連れ回されて同じ疲れた顔をした。解放されたのは、誕生日が終わってしまった日付の変わった後だ。
せめてものご褒美で次の日は午前半休をもらえていたけれど、日付が変わるギリギリまで開催されたパーティのおかげで、最後に残った気力を奪い尽くされた気がしていた。体力には自信がある筈のふたりなのに、みっともないくらいのへろへろさで控え室を後にした。僕だってそうだけれど、こういう接待が苦手な虎徹さんはもっと疲れていただろう。しかも僕の誕生日に巻き込まれただけの彼には申し訳無くて、早く休ませてあげたかったのに、彼はそのまま僕を彼の部屋へ引っ張り込んで小さなケーキとシャンパンを開けてくれたのだ。
思ってたより遅くなった、誕生日終わっちまった、なんてしょげていたのが可愛くて、何より朝イチにもらったおめでとうの言葉だけでなく、こんな風にセッティングしてくれていたのが嬉しくて、疲れなんてどこかへ吹き飛んでしまった。
小さなデコレーションケーキは、ひどく忙しかった一日の間にこっそり抜け出して引き取りに行っていたらしい。バレないようにするの大変だったんだぞ、なんて、僕が飛び上がらんばかりに喜んだのに彼も気を取り直したようで、得意気にそんな事を言った。
HAPPY BIRTHDAY BUNNYとチョコプレートに書いてあって、こんな時にまで正しい名前は書いてもらえないのかと思った気持ちは、以前とはまるで違うくすぐったいものだ。もうこの人が僕の事を、彼だけの特別の呼び方で呼ぶのを当たり前だと受け入れてしまっていた。
嬉しくて嬉しくて、たくさんのファンにおめでとうと言ってもらえたり、パーティで開けてもらえた高いシャンパンや豪華なプレゼントより、たったひとり目の前の人が僕の誕生日を特別に思ってくれたのが幸せだった。
自覚してはいなかったけれど、その頃にはもうきっと彼の事が好きだったのだろうと思う。
僕の恋心はそのまま自覚される事なく、結局その二ヶ月後に彼と別々の生き方を選ぶ事になってしまった。実家へ帰った彼を見送り、シュテルンビルトで一人暮らす間に、ようやく僕は彼の事が好きだったのだと気が付いた。電話もメールもしていたけれど、既に僕達はコンビではなく、一番近くて大事にされていると思い上がっていた気持ちはぺしゃりと潰れ、気付いたところで自分の中にあった恋心はどうしようもなかったのだけれど。
そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、この年の誕生日を虎徹さんはわざわざシュテルンビルトまで訪れて、彼らしくない洒落たレストランで祝ってくれた。
久しぶりに顔を合わせた彼は、以前と全く変わらなかった。実家でのんびりしすぎたと、いつかに電話で嘆いていた腹はちっとも出ていなかったし、相変わらず肩幅は広く締まったウエストは鍛えられたものだ。密かに気に入って憧れていた、手首から肘までの綺麗なラインもそのままだった。ワイヤーを器用に操り、彼をヒーローたらしめていた腕。
ヒーローを辞めて、その先をどうすればいいのか分からないでいるのは僕も彼も同じだった。それでも一応のトレーニングを僕はしていたのに、彼の方がきちんと体を維持しているようで、負けた気がしてしまった。
思えばこの時、もう虎徹さんはヒーローに戻るつもりでいたのだ。だから一度緩んだ体のラインは見慣れた物に戻っていたのだろう。シュテルンビルトを訪れたのだって、僕の誕生日を祝ってくれる目的はあったかもしれないけれども、復帰に当たっての打ち合わせもあったのだと思う。
彼が祝ってくれるのは嬉しかった。電話やメールとは違って目の前に居て、笑顔を向けてもらえるのは幸せで、胸がいっぱいになる。けれど一年前と違って手放しに喜べなかったのは、きっと僕が彼へ向ける想いを自覚してしまったからだ。
嬉しいと舞い上がる気持ちはどういう感情に基づいているのかを考えると、彼の与えてくれる何もかもは本当の僕の願いとは食い違っている。満たされた気持ちになるのはただの錯覚でしかなかった。
虎徹さんが目の前にいて、会話して、笑顔を交わす事が出来る幸せはもちろんあるけれど、切なく焦がれる想いは欠片も彼は知らず、同じものも返してもらえない。どこまでもノーマルな彼が僕の中にある想いに気付けば、この距離も失われてしまうかもしれなかった。
もう十分、あの頃に比べて遠く離れてしまったのだ。これ以上遠くになんてなりたくなかった。だから僕は必死で押し隠し、彼へ笑顔を向けた。
それでも相変わらず軽口をたたき合って笑い合えるのは嬉しかった。あの頃とまるで変わらないかのような錯覚も抱けて、とても良く食べて笑った。
だけど翌朝、僕はひとりで起きて、虎徹さんとはもう会えない。
あの頃とは違うのだと思い知って、幸せな時間を過ごしたからこそ落ち込んだ。扱いあぐねた恋心だって持て余して、ベッドの上からしばらく動く事が出来なかった。
さて、それらを踏まえての今年だ。
去年どっぷり陥った、叶わないと思い込んだ恋やもう失われてしまった相棒として過ごした時間を思っての、悲劇のヒロイン症候群は思い出すだけでも恥ずかしい。あんな事はなかったと暴れてごまかしたいくらいに、状況は一変している。
僕はまたヒーローとしてワイルドタイガーと並んで走り、そしてプライベートの鏑木虎徹とは恋人になってしまった。叶う筈がない、知られれば嫌われるとまで思った僕の恋は虎徹さんからの告白によって報われてしまったのだ。
復帰した僕達は元通りの関係を上手く取り繕っていたのに、アポロンメディアのCEOが変わり、その意向で僕だけが一部へ昇格したり新しいヒーローとコンビを組まされたり、虎徹さんはヒーローとして現場へ出る権利を奪われたりと散々な事になったけれど、夏が過ぎ秋のただ中で、冬の気配を感じ始めた今は結局元通りだ。
僕は虎徹さんとコンビを組んで一部リーグに返り咲いているし、一時的にコンビを組む事になった新人ヒーロー、ライアンとはお互いの合意を得てコンビは解消しているけれど、同じアポロンメディア所属のヒーロー同士として仲良くやっている。
その騒動があったおかげで、欠片も恋情を見せなかった虎徹さんが僕に好きだと言ってくれたのだから、迷惑ばかりだったあの騒ぎも僕に取ってはそうではない。大きな声では言えないけれど。
今もまたヒーローとして活躍して忙しいけれど、二度目に虎徹さんと共に過ごした誕生日ほど忙殺されている訳ではなかった。それとなく僕達の関係が変わった事に気付いているらしいロイズさんが、二人でゆっくりするといいよと定時で終わるスケジュールを組んでくれたからだ。
一応、最初の顔出しヒーローとして誕生日を祝われるようなイベントは、以前よりぐっと控えめではあったものの皆無ではなかった。今はライアンも素顔を見せ素性も明かしているけれど、初めて個人的な情報を明らかにしたヒーローである僕の誕生日はなんだかイベント化していて、どうしても避けられなかったようだからだ。
ファンとの握手会とラジオの生番組をふたつ、ショッピングモールでのトークショウが三箇所。HERO TVの特別番組は先月から素材を撮りためていたから、新しく今日撮影したのは握手会の控え室くらいだったけれど、それでも今日は僕と言うより、ヒーロー・バーナビー・ブルックスJr.の誕生日なのだなあと思わせられるのに十分な一日だった。大仰なパーティが最後までスケジュールに組み込まれなかったのは、多分僕より虎徹さんに配慮しての事だったのだろう。彼は未だに愛想笑いと建前しかない社交界がとても苦手だ。
虎徹さんは朝一番、顔を合わせた時におめでとうと言ってくれた。
忙しいけど頑張れよと、二年前と同じように慌ただしいスケジュールを一緒にこなしてくれる彼は僕の心配だけをして、励ますように拳をコツンと合わせてくれた。そんな気遣いをしてくれるのは今までと同じで、彼はいつも優しい。なのに、相棒としてでなく恋人として初めて迎える記念日に盛り上がっていたらしい僕は酷く感激して、ぶわりと胸いっぱいに膨らむ幸福感のまま一日をスタートさせたのだ。
あちこちでおめでとうの言葉をもらってそれだけでないプレゼントだってもらったけれど、熱烈なファンの行きすぎた祝福だとか、本来スケジュールになかったスポンサーからのディナーの誘いは、ロイズさんを経由しなかったせいで僕が困惑のまま押し流されそうになるのを踏みとどまったりと面倒な事もやっぱりあった。
今日は早く仕事を終わらせたいという気持ちもあるけれど、この日のスケジュールはロイズさんが必死でバランスを取った末の結果なのだ。ここで僕が特定のスポンサーひとりを重用しては後々話がややこしくなる。
人気者は大変だなあと、その当人を今夜独り占めする予定の虎徹さんはまるで他人事のように言って笑うから、本当に大変ですねと僕も他人事を気取って言ってやった。
ここで、そんな僕を独り占め出来る虎徹さんは幸せですねと誘うように笑えれば良いのかもしれないけれど、恋人より相棒の期間が長かったせいか色っぽい方向へ持ち込むのは照れる上に、そもそも恋愛経験が虎徹さんしかいない僕にはそんな上級テクニックは使えない。
キスもセックスもひととおり僕達はこなしているのに、まだ僕は恋人の距離に慣れなくて、虎徹さんに手を引かれているような状態だった。信条通りスタイリッシュには到底出来なくてみっともないと情けなくなるけれど、虎徹さんはそんな僕の事も受け入れてくれているから、まだ焦る必要はないのだと思っている。
終業前に一度オフィスへ戻れば、ロイズさんとベンさん、そして経理女史からの誕生日プレゼントとして、僕の誕生年のワインを渡された。ちゃんと僕の好みを知っての甘めのロゼで、感激した僕は少し涙ぐみそうになったのをごまかして、感謝の言葉を告げた。その後会社を後にした車は虎徹さんのもので、僕達は当たり前のようにこの後の時間を一緒に過ごす約束をしている。
まだ時間は午後六時過ぎ。
窓の外を彩り始めた夜景がやけにキラキラして見えて、僕はとても幸せだった。ハンドルを握る虎徹さんだってニコニコと笑って楽しそうで、だから尚更僕は嬉しくて、幸せな気持ちになる。
特に相談していた訳ではないけれど、虎徹さんが運転する車は当たり前の顔をして、彼の家へ向かった。さすがにこの季節になれば日はすっかり暮れてしまっている。
真っ暗で、そしてひんやり冷えた室内へ押し合いながら入ると、顔を見合わせて「おかえり」と言い合った。僕達はまだ笑顔のままで、きっと今なら事件が起こらない限り何があっても幸せに笑っているのではないだろうか。
そう言えば、今日は出動が一件もなかった。ラジオ収録の際、それに気付いたDJが笑い混じりに「犯罪者も今日はバーナビーさんの誕生日を祝ってるんですよ」と言っていたけれど、ここまでPDAが沈黙を続けていると、もしかして本当にそうかもしれないと思ってしまう。願わくば、このまま日付が変わるまで静かにしていてもらいたい。
虎徹さんの部屋のリビングはいつも通り、完璧に片付いていると言う訳ではなかった。机の上やソファには脱ぎ捨てたシャツや今朝使ったであろうマグカップが置かれたままで、自分の部屋では有り得ないそれらが、何故かこの部屋では暖かみを演出しているような気にさせられる。
「メシどうする? チャーハンでいい?」
「なんでも結構ですよ」
寒いが暖房を入れる程でもないから、虎徹さんはまっすぐにキッチンへ向かった。火を使えば温かくなると思ったからだろう。そしてそれは間違えていない。帰りに何か買って来れば良かったのだけれど、虎徹さんが何も言わず車を自宅へ向けたから、思い付かなかった。
「じゃあ、それな。後サラダくらい出来るかなあ」
「ワイン、どうします? 今いただいたの」
虎徹さんは冷蔵庫からチャーハンとサラダの材料を出し、僕はリビングを少しだけ片付ける。さっきもらったワインは袋から出してローテーブルの上に出した。澄んだピンク色はとても綺麗で、少しだけ見惚れた。
「独り占めしたくないんだったら、俺にも飲ませて」
「僕、そんなに性格悪くないから飲ませてあげてもいいですよ」
ふふんと振り返って笑うと、虎徹さんは大げさにありがとうございますと言って笑った。
手慣れた虎徹さんがすぐに作り上げて、僕が片付けたテーブルに並べて食べた。いつもより大きな海老が入っていたのは誕生日だからかなと思ったけれど、虎徹さんが何も言わないから関係ないのかもしれない。誕生日だから特別だぞ、と祝っているアピールを彼はこれ以上もなくしつこくしそうなくせに、格好付けて分かるだろと言わない事もあるから非常に分かりにくいのだ。
少しだけおかしいな、とは思っていた。いつも通りの食事は悪くない、虎徹さんのチャーハンは大好きだ。だけど、今まで頼んでもいなかった時から僕の誕生日をあれこれ祝いたがった虎徹さんにしては大人しいと思うのだ。早くに帰れたのだから、食事なんてとても分かりやすく手を掛けて来そうなものなのに、何一つ特別ではなかった。この後ケーキでも出て来るのだろうか?
ちらりと窺えば、視線を感じたらしく目が合ってにこりと笑われたから、僕もにこりと笑い返した。とても幸せな気分だけれど、やっぱりこの海老が特別なのか、それとも別に何か企まれているのかは分からなかった。だからまあいいかと思って食べる事に専念する事にする。幸せな気分で空腹感は感じていなかったのに、いざ慣れた味を一口味わうと、思いの他お腹が減っていた事に気付いたからだ。
皿を空にしてようやく人心地付き、がっつきすぎていたお互いに笑った。
一度テーブルの上を綺麗にしてからワインを開けて、改めて乾杯する。虎徹さんがもう一度おめでとうと言ってくれたから、簡単に嬉しくなった僕はありがとうと応えると同時に頬にキスを返した。甘いロゼは殆ど味わう事も出来ないまま、そのままキスの応酬に縺れ込んで笑いながらソファで抱き合って倒れ込んだ。
「まだこんな時間ですよ?」
「まだ早い? 何時ならいいの?」
ちらりと見上げた時計はまだ午後九時にもなっていなくて、本当に早い時間だった。逸る気持ちをさっきから続く、可愛らしく甘えたものでコーティングして、虎徹さんは僕にいいよと言わせるために目を覗き込んでくる。だから勿体ぶったポーズを付けながら、僕だって早く欲しいものを与える振りをする。
「しょうがないな、今日は特別です」
時間を理由に留めたものの、僕だってすっかりその気になってしまっていたのた。今からなら一応の満足をお互い得ても、まだ時間は日付が変わる前だろう。ならばいいかと目の前に寄せられた頬に頬を摺り合わせ、覆い被さる体に腕を回して抱き締めた。すぐに頬は離れて行って、代わりに唇へキスが触れる。
啄むキスが何度も何度も繰り返されて、触れるくすぐったさと幸福さで笑みが溢れて、すっかり体はその気になっているのにじゃれあう心地よさをずっと味わっていたくなった。背に回していた手で背中を大きく撫でれば、近すぎてちゃんと見えない虎徹さんからも笑った気配がする。触れるタイミングを見計らってぱくりと彼の唇を食べてしまえば、更に大きく口を開いて脱出されて、逃げられてしまった場所に歯を立てられた。
「……もうっ」
くつくつと笑いに揺れる肩をぽかりと叩いて、かじられた一瞬で広がった甘い痺れに首を竦めた。そのせいで彼へ向ける事になった耳をねろりと舐められて、軽く息を飲む。
「バニー」
耳朶に唇を触れさせたまま、吐息のような声で彼が名を呼ぶ。
今度は明確になった快感が背筋を震わせるから、僕はぽかりと口を開いて短い音を漏らしていた。甘みを帯びた彼の取っておきの声が、名を呼ぶだけで僕の事を愛しいと告げてくれている。じゃれあっていたはしゃぐ空気は一瞬で立ち消えて、代わりに息苦しいような官能が周囲に満ちていた。
耳朶を食み、くちゅくちゅと唾液の音をさせて舐められている。彼と抱き合った最初の頃は、くすぐったくてじっと出来ない感覚を与えてくるこの愛撫が余り得意ではなかった。なのに今はすっかり性感帯に押し上げられてしまい、上がる息がみっともなく乱れて行くばかりだ。虎徹さんが気に入っているから声を我慢することはしないけれど、それでもまだ気持ちいいままに声を上がるには早すぎる。
耳朶を舐めて首筋にキスを落としながら、虎徹さんは手際良く僕の服を脱がせていた。狭いソファの上で僕も協力しながらジャケットを、シャツを、ベルトを床に落とし、その都度触れていく熱い温度の手のひらに、いちいちびくんと僕の体は跳ねた。触れるだけで気持ち良いあの手が意図を持てば、容易く僕の理性なんて溶かされてしまうだろう。いままで何度だって繰り返されて僕は知っているから、期待で頭がぶわりと熱くなる。僕だって彼の服を脱がし、同じ感覚を与えられていないのは分かっているけれど、虎徹さんだって僕に向けた表情は柔らかく切迫したものだから満足した。
浅く喘ぐ息で僕を素っ裸にしてしまった虎徹さんの名を呼んだ。さらに温度をあげたように感じられる手のひらが身体中を撫で回し、首筋から鎖骨を舐めることに夢中になっていた彼は、すっかり余裕のない僕の声にくすりと笑って応えてくれる。
「バニー」
とろけるように甘い声だった。日頃おどけたポーズを取りたがり、笑いを誘うコミカルな彼の姿からは想像も出来ないような甘くて低く、色気がしたたり落ちる声。どんな顔をしているのだと胸元に移動していた彼を、顎を引いて見下ろせば、弧を描く琥珀色の目がまっすぐに僕を射貫いていた。こうやって確認するのは見透かされていたようだ。
「……こてつさん」
僕だって負けず劣らずの甘い声で彼の名を呼び、ずり落ちそうになっていた手で彼の髪に触れた。腰の強い暗い色の髪は僕にはないものだ。柔らかくふわふわした僕のものとは違うそれが気持ち良くて、指をくぐらせくしゃくしゃと掻き乱す。いつも彼の方が僕の髪を弄りたがるけれど、僕だって本当はこの髪にずっと触れていたのだ。いいや、髪だけではない。しなやかで高い体温を包む肌だって、目元に刻まれた笑い皺だって、僕が知るずっと昔から彼自身の信条のため受けた傷の跡だって、全部。
愛おしい気持ちを溢れさせた指先を虎徹さんは好きにさせてくれたけれど、じっと僕を見据えたまま彼だってすぐに動き始めた。
目を合わせたまま、真っ赤な舌を大きく出して、淡く色付いた僕の胸のてっぺんを舐める。感触と視覚は一致して実際以上の快感を産み出し、髪を撫でていた僕の手はくしゃりと強く引っ張ってしまった。
「こーら、痛いだろ」
慌てて離そうとした手は押さえ込まれ、くすくすと笑いながら彼に痛みをもたらした指先は、軽く歯を立て仕返しをされてしまった。
「っん!」
痛みですらないそれは、じんと甘い痺れをもたらして、さっき体を震わせた快感を増してくる。
「かっわいい声」
「……もぅ」
気恥ずかしくなって、胸元から相変わらず見上げて来る彼の視線から逃げた。微かに揺れているのは、虎徹さんが笑っているからだ。だから僕だって拗ねた顔は続けられなくて、同じように笑ってしまう。
咎められた手はソファの背面へ預けられて、彼の唇は胸からその下側へとスライドして行った。こんなに和やかな空気であろうとも、体はもう興奮してしまっている。勃ちあがった場所の先に音を立てキスをされて、びくんと腰が揺らいだ。ソファを握っていた指先にだって力がこもる。もちろん、期待でだ。
僕のペニスはそれなりに大きいので、残念ながらここまで育ってしまうと彼の口の中には収まり切らない。彼のだってそうだ、僕はだいたい先しか口に含む事が出来ないから、根元はいつだって手で愛撫される。
大きく足を開かれて、背もたれを握っていた手を「持ってて」と誘導されたから、片足を僕は引き寄せた。胸にぺたりと付くくらいには僕の体は柔らかい。あられもない場所を全て彼に晒し、先端から半ばまでを唾液の濡れた音と共に飲まれ口淫されて、腹筋を震わせ快感に耐える。
彼の手は飲み込めない場所をやわやわ愛撫してくれていたけれど、それはすぐにずれて行き、陰嚢をおざなりに触れた後会陰を強く揉み込まれた。彼と抱き合う事で、すっかり前立腺を開発されてしまった僕は、外側からとは言えそこを刺激されるのはたまらない。
どろりと下半身が溶けてしまいそうな熱さと快感に、耐えきれずこのまま果ててしまいそうになるのを懸命に耐えた。ここで達してしまえば後が辛くなる。
「……っぅ、こてつ、さ…、まって。僕、もさせて」
「ん?」
されてばかりではいくらも持ちそうもない。この人は意地悪をするみたいに先に僕をいかせて、へなへなになっているところへ更に快感を与えるのが好きだ。僕だってそれは嫌いではないけれど、快感も重なりすぎると辛くなるのを彼はきっと本気で分かっていない。
だから逃げようと思い、足を抱えていた手で彼の頭を押しやるようにしたのだけれど、やっぱり彼は見せ付けるようににやりと笑いを浮かべると、舌で先端をくじり、その上まだ乾いている彼をいつも受け入れている場所を指の腹で揉み込んで来た。
「あぁっ、あ……ち、がいます、虎徹さん、あっ」
びくん、びくんと上増しされた快感を耐える腹筋が震えるのが見える。泣きそうな声で訴えると、虎徹さんはやっと頭を上げて、笑いながら僕を見た。
「嫌なの?」
「もう、いっちゃいそう、なんです」
「なんで? いつも三回くらいはいっちゃうだろ、バニーは若いから」
そう言う彼の顔が笑っているのは、密かに僕が早いのだと揶揄っているからだ。
「早いんじゃないですから!」
慌てて反論するけれど、顔が熱い。彼は笑いを濃くするだけだった。
「んじゃ、いいよな」
「ち、ちが……、良くな、い」
ちゅ、と彼は再び先へキスを落としたのに、けれど今度は焦った気持ちを見越したかのように、それは彼の口へ飲み込まれる事はなかった。代わりにいつの間に用意されていたのか、いつも潤滑に使われるジェルで濡れた手が後ろへ触れた。
「こっちならいい?」
「僕が……」
「そんじゃあ後でして。俺はお前が気持ち良さそうなとこ、見たい」
「……いつも、見てるくせに」
ぼそりと拗ねた声は聞かせようとしたものではなかったけれど、彼はおかしそうに声を出して笑った。
いつだって彼は余裕を残しているけれど、僕は途中で訳が分からなくなって、彼の感じている姿を見るのは一方的にこちらから仕掛けている時ばかりだ。だから、後でと言われてしまった以上、今日は諦めた方がいいのだろう。拗ねた気持ちで言った筈なのにすんなり引き下がったのは、彼が僕へ向けた表情が余りにも愛おしさに満ちていたからだった。
僕の快感を引き出しながら彼を受け入れる準備をしようとしている。要するに、欲しかここにはない筈なのに、彼の視線はとても優しい。
ぐちぐちと濡れた音をさせて体に這入り込む異物を僕はもう拒まない。ぬるりとした感触と共に内臓へ触れる温度に、ぞくんと背を震わせる。
迎え入れるための準備を済ませていた事に安堵していた。浅ましいと恥ずかしいとは思ったものの、もしかして時間はゆっくりあっても盛り上がった気持ちがシャワーさえすっ飛ばしてしまう可能性を考えていたのだ。それが当たって良かったとほっとする気持ちの中には、虎徹さんがそれに気付いているだろうけど、指摘しないでくれているという理由だって含まれる。この人のデリカシーのなさは折り紙付きでも、さすがに空気を読む場所だとは察してくれているようだ。もしくは、濡れた音と僕の漏らす淡い声の間に彼の荒くなった呼吸の音が聞こえるから、興奮でそんな場合ではないのかもしれない。
すっかり慣れた調子で広げられ、少しぼやけたような快感と頭を茹だらせる興奮に見舞われているのに、じんわりと胸が温かくなって笑みが浮かぶ。
「……ん、どうした?」
「なんでも、ないで……っん!」
敏感に察した彼が僕を見る。向けた笑みは指先の抉る場所からもたらされた、急にはっきりとした快感にくしゃりと崩れた。それを切っ掛けに、彼の指はただ広げるだけの動きをやめたらしい。感じると分かっている場所ばかりをしつこく撫でては抉り、緩急を付けながら僕をどんどん追い詰めていく。ぶわりと汗が噴き出して、突然濃度を上げた快楽に軽く意識が混乱した。体だって逃げようとし出す。
「バニー」
「だ、って」
咎める声で呼ばれた。言い訳しようとした内容を彼は知っているから、分かっていてやっているのだと僕が言おうとした事をわざとやられる。
「あ、あ、あ……っぁあ、もう、だ、め」
跳ね上がる声で訴えて、本意ではないのに達しようとする体がこわばり、意識まで白く収束してしまいそうになった。
「……あっ?」
なのに、直前で指が抜き去られ、与えられようとした絶頂は取り上げられてしまう。
「な、……んで」
「ん? だってさ」
手早くゴムを着けた虎徹さんは、ぐいと体を倒して僕にキスをする。行きたい訳ではなかったのに取り上げられたそれに尖ってしまった唇は、彼に甘く解かされてほわんと不満さえも溶けた。
「先にいきたくないんだろ?」
「……はい」
腕を伸ばして、彼の首に巻き付ける。もう一度キスを強請って、すっかりほぐれた場所に触れる熱に漏れた声を彼が覆い尽くして、飲み込んだ。
這入り込む熱と堅い性器に、直前までに高められていた性感は簡単に最後の余裕をはぎ取られてしまった。
「……ぁああッ」
押し上げられて吐き出された熱と、達する悲鳴を彼は聞きながら、自分の欲を満たそうと更に浸食を深くする。あっけなく理性は飛び出した体液とともに押し流されて、その後はひたすら彼へしがみつくしか出来なかった。
なかなか達しようとしない虎徹さんに散々突かれ、怖くなるくらいに深い場所を抉られて泣いてしまったのは、気持ちが良かったからだ。正常位で抱き合っていた筈なのに、気が付けばバックで背中にキスを落とされていて、次に気付けば彼の膝の上に跨がっていた。記憶は途切れ途切れだったけれど、そのどれもが気が狂いそうな程気持ち良かった。そして、こんなに濃いセックスをしていると言うのに、虎徹さんが向ける愛情がいつでも感じられたのが何よりも幸せだったのかもしれない。
ぐたりと意識を飛ばした僕は、虎徹さんに抱きかかえられて、どうやらロフトへの階段を上ったらしい事は分かった。けれど、まぶたが重くて上がらない。
僕も何度達したか分からないけれど、虎徹さんだってそうだろう。狭いソファでやるべき事じゃないだろうと苦笑いしたいのに、笑う事も無理だ。ぐったりどこにも体中力が入らないまま、ベッドの上に降ろされる。柔らかなリネンの感触に、更に体は緩む。
果たして時間は何時だろう。
もう寝たいから、これ以上は無理だ。虎徹さんも起こそうとはしないから、今日はこれで終了で、僕の誕生日もおしまいだ。
虎徹さんからの誕生日祝いは結局なかったのかと、半ば以上も眠りに落ちた頭に過ぎった。
寄り添った体温が布団を被せてくれて、まぶたの向こうで明かりも消えた。彼も眠るようだ。いつも以上にセックスは執拗だった気がするし、でも十分以上に愛情は感じさせてもらった。だけど、やっぱり妙だと思う。
別に何かが欲しい訳ではないのだけれど、僕は期待していたようだ。
こう言った目に見えない幸せではなくて、虎徹さんは分かりやすくプレゼントやパーティで、誕生日を祝いそうな気がしたからだ。今までだって、こういう特別な関係ではなかったけれど、ちゃんと大事にされていた僕は分かりやすく祝ってもらっていた。
落胆している訳ではない。全く違う方向とは言え、僕としては最高に幸せな誕生日だったから、十分満足している。だけど虎徹さんの事を良く知っているつもりだから、おかしいなと思ってしまうのだろう。
「おやすみ、バニー」
あいしてるよ、なんて声が聞こえて唇にキスを落とされる。
抱き締められるのではなく、温かい手がするりと僕の手を握ったからやけに可愛く感じられて、まあいいかと僕は考える事をやめた。眠りに就くには多分五秒も必要としていない。
目が覚めてしまったのは、多分喉が渇いたからだろう。
温かい寝床が幸せで、まだ室内は真っ暗だ。虎徹さんだって良く眠っていて、気持ち良さそうな寝息が聞こえている。寝る前、確か繋いでいた手はすっかり解けてしまっていたのは残念だったからごそごそと探して、今度は僕の方から握った。
喉は確かに渇いたけれど、いつもならベッドサイドに置かれているミネラルウォーターのボトルはないようだった。ここでセックスした訳ではないからだろう。なら、わざわざ階下に降りるのは面倒で、もう一度寝てしまおうと目を閉じる。
なのに今度はじわじわと尿意がせり上がって来て、さっさと眠りに落ちてくれればいいのに、なかなか眠れない。
「……もぅ」
今すぐ行きたい訳ではないけれど、気持ち悪さに負けた。それに、ここでもう一度眠れても、更に増した尿意に起こされるのは腹立たしい。
虎徹さんを起こさないよう静かに体を起こし、ゆっくり手を離した。壁際に僕は寝ていたから気を付けて体を乗り越える。床に降ろした足が思った以上に冷たくて、思わず声が出てしまったから慌てて振り返ったけれども、虎徹さんが目を覚ました様子はなかったのでほっとする。
さっさと済ましてしまおうと室内履きを履いて階段を降りた。
トイレはすぐに済ませ、せっかく起きてしまったのだからと冷蔵庫へ向かう。虎徹さんだって喉が渇くかもしれないから、常備してある水を持って上がろうと思ったのだ。
室内の灯りは付けていないかった。リビングを明るくすれば、ロフトだって明るくなってしまうからだ。なので冷蔵庫を開くと庫内灯が眩しい。
「……ん?」
ペットボトルを掴んだ左手に違和感があって、一旦床に置いた。彼がさっき握った手だ。
「え?」
そこに、冷蔵庫のオレンジ掛かった灯りを反射する硬質の物がある。さっきトイレでは気付かなかったのはわざわざ目に入る場所ではなかったからだ。
「なんだこれ」
と、素で漏れた。左手、薬指の付け根。銀色で細くて堅い、金属のそれ。それが何かなんて一目で分かったのに、僕はぽかんと間抜けな事を言ってしまうくらいに理解出来ない。
大きく動かすと消えてしまうのではないかなんて、馬鹿な事を思ってゆっくり、恐る恐る手の平を返して甲側にも同じラインが続いて居るのを確認した。細くて何の飾りがある訳ではない、ただの銀色。オレンジの光に照らされているから違う色に見えるのに銀だと思ったのは、虎徹さんの手の同じ場所にあるものがすぐさま思い浮かんだからだ。
「そんな……え、どうして」
じわり、と勝手に目の前が滲んだ。
喉の奥が詰まったような、胸が痛いような感覚に襲われて、違うそうじゃないと慌てて頭を振った。まだ、早い。そうと決まった訳ではない。
「……虎徹さん」
そうだ確認しなければと、それだけで頭がいっぱいになって、大急ぎで立ち上がると階段を駆け上った。
「虎徹さん、虎徹さん!」
大声で呼びかけて、幸せそうに寝ている姿を叩き起こす。暗いと思ったから急いでベッドサイドに置かれたリモコンで室内灯をつけた。ベッドサイドの灯りで十分だったなんて思い浮かびもしない。
「虎徹さん、起きて!」
「……んだよ、バニー? 朝?」
「違います、これなんですか!」
寝起きでお世辞にも格好良いとは言えないしかめられた顔にぐいと僕は、左手を突き出す。
驚いたように身を引いた後、虎徹さんは気が付いたようで気まずそうに視線を逸らした。
「えー……なんでお前、今日に限ってこんな先に起きちゃうの?」
気まずいのではないのかもしれない。頭の後ろを指先で掻く彼は照れたのかもしれなかった。けれどもちろん、そんな事に気付ける余裕なんて僕にはない。
「そんなのどうでもいいですから、ねえ! なんですかこれ!」
確かに、僕はいつも虎徹さんと一緒に寝た日は起きるのが遅い。彼が起こしてくれると分かってしまったから、甘えてしまっているのだ。うっかり目が覚めてしまわなければ、いつも通り今日も彼に起こされていたのだろう。そうすればきっと僕はこんなに混乱せずに済んだ。だけど僕は起きてしまったから、そんなもしもは考えるだけ無駄だ。
「えっとだな……うん。その通りだ」
「分かりません、それじゃあ!」
全く余裕なく食い気味に問い詰めると、やっとこちらを見た虎徹さんは目を大きく見開いた後で、盛大に吹き出した。
「んだよ、バニー、その顔!」
「……な、に」
「必死すぎるだろ」
笑いながら伸ばされた手が、僕の腰に巻き付いた。腹から胸へぴたりとくっついて、くつくつと笑う虎徹さんは体を震わせている。
「だって……そりゃ、必死にもなりますよ」
「うん……良かった、外されてなくて。分かってねぇのかもだけど」
笑い、虎徹さんはそのままで僕を見上げた。
「バニーちゃん、お誕生日おめでとう。プレゼント、それな」
彼の目は弧を描き、サプライズに成功した満足気な顔をしている。
「十二時までに寝てくれるかなーってドキドキしたんだけど、ギリギリセーフ。あっ、それは目録みたいなもんで、本体はこっちだけど」
「こっち? え?」
「俺ってこと」
「え?」
「出来れば返品無しでお願いしたいんだけど大丈夫?」
「え、俺?」
「そう、俺」
全然着いて行けない僕は、やっとそこで彼が何を言いたいのかをすとんと飲み込んだ。だけど本当に? とまだ疑っている。信じていいのか、迷っている。
「……っ、分かりにくいんですよ、もう! ストレートに言ってください!」
「結婚しよう、バニーちゃん」
嫌だなんて答えが返ってくるとは思っていない顔で彼が言うから、僕は泣きそうにくしゃくしゃの顔で抱き付いて、彼を巻き込んでベッドに飛び込んだ。
「頼まれたって、返してなんかやりません!」
さて、実を言えば僕達は付き合ってまだたったの三ヶ月しか過ぎていなかった。
それでプロポーズはさすがに早すぎて、だから僕はなかなか理解出来なかったらしい。
サプライズはまだ続いていたようで、翌日はなんと休みだった。そんな話僕はロイズさんから聞いていない。
戸惑っている僕へさっさと外出の用意をさせて、大きな花束を引き取った彼が僕を連れて来たのは両親のお墓の前で、結婚のご挨拶だと虎徹さんは笑う。来週は彼の実家だと言っているのだけれど、果たしてどこまで本気なのかは僕は分からない。やっぱり早すぎる気がして、僕は嬉しいのに戸惑っている。
「ねえ、虎徹さん。あなた、前の結婚もこんなに早く決めたんですか?」
だから帰りの車で尋ねれば、早くないだろと虎徹さんは笑った。
「だってお前とは、もう四年の付き合いなんだからさ」
なんて無茶苦茶な事を言われたのに格好良く見えたのは、十年くらいしたら言ってやってもいいかもしれない。そんな驚かし方くらいしか僕には出来そうにないから、取り敢えず今はらしいだろう呆れた顔を向けてやった。