be with you
一部に復帰した虎徹さんとの最初の仕事になったのは、散々な有様になったフェスティバル会場の片付けだった。
せっかく皆が楽しみにしていた年に一度の、シュテルンビルト最大のお祭りがこんな事になってしまったのは残念だ。負傷者も大量に出た。けれど幸いだったのは、死者がいなかった事だろう。積み重なった瓦礫を撤去してもそこに心を痛める悲惨な姿がないのは、少しだけ心に優しい。
残念だとは思うけれど、しかしヴィルギル――いや、アンドリューがこのタイミングを狙った理由も僕には酷く納得出来たから、複雑な気分だった。彼の目的を完遂する為のシナリオはとても良く出来ていた。僕だってそうするだろう。ただ殺すだけなら、秘書という立場でいつでもどうとでも出来る。そうでなく彼の罪を衆目に晒し、それを誰にも邪魔させないにはこのジャスティス・ディは最適だったのだ。
複雑になるのは、彼がそうまでして事を起こしたかった気持ちを理解出来るのに、それは間違えていると知っていたからだった。
仇をこの手で殺さなかった事を、僕はもう後悔していない。彼に告げたのは心からの本心だ。思い込まされたジェイクを、そして全てを操っていたマーベリックをこの手であやめても、彼らは帰って来ないのだと今はもう分かってしまった。何をしても失われた人は戻らない。人殺しの罪を背負っても彼らは僕の傍にいてくれない。寸前で踏みとどまった僕はそれを知っていて、だからそれが辛くて、寂しい。
それでも僕はこうやって生きている。父と母を四歳で失ってひとりで生きて来て、その後の人生を当の殺害犯に利用されて生きて来たのが、僕だ。
その事実はどうやっても変わらず、だから受け入れて生きて行くしかない。それでも道を違えなかった事を誇りに思っているから、今の僕自身を僕は嫌いではなかった。
胸を張って、生きて行ける。
だからと言って寂しくない訳ではなくて、父さんと母さんがここにいない事は今でも寂しくて辛く、時に胸をどうしようもなく痛めつける。
だけど僕には仲間がいて、支えてくれる人も居て、生きて行く目標だって出来た。だから、こうやって笑顔で居る事が出来るのだ。
それでいい、そうでしかいられないのだと気付かせてくれた人は、今もまだ自分の置かれた状況に心から納得しているようではないのだけれど。
待機時間もなく、むしろ休む事も出来ずこうやって当分は掛かるだろう撤収作業があるのは良かったと僕は思っていた。
この復帰した相棒は、そりゃあ粗忽だし物事を深く考えずに感覚だけで行動している節がある。それももちろんこの人の素の姿なのだけれど、これだけ近い場所で過ごしていれば、そうでない姿だっていい加減分かってしまった。
いい加減なように見えて、この人は悩まない訳ではない。そして、そんな重い場所ほど誰にも見せない。
だまし討ちのように僕ひとりを一部に復帰させたのだって、そうだ。復帰披露のパーティ後で交わした言葉は殆どが僕を納得させるための方便だっただろうけれど、足をひっぱりたくないと言うのは本心だろう。それくらい僕にだって分かる。そして、ほぼ勢いだったとは言うものの結果的に一部に戻る事になった虎徹さんが、まだそれを気にしているのだって知っていた。
馬鹿馬鹿しいと思う。確かに一分の能力は五分に劣る。だけど、それがなんだと言うのだろう。
その僕を救い上げてこうやって背中を伸ばしていられるのは彼のおかげだと言うのに、それをちっとも分かっていない。
本当にバカだなあ、と思う。目の前にある事を懸命にこなして、一部だろうが二部だろうが関係無く身を粉にして走り回るこの人は僕だけでなくたくさんの人を救ったワイルドタイガーだと言うのに、何を気にしているのだろう。
僕の足を引っ張ると言うのなら、その程度で引っ張られると思われている事も屈辱だった。むしろ彼と並び立てる事で奮起出来る心をこの人はどうやれば理解してくれるのだろう。
「やっと片付いてきたなぁ」
ふぅ、と息を吐き、とフェイスオープンではなくメット自体外してトランスポーターで虎徹さんは笑みを浮かべた。
まだ春先で肌寒い日は続いていると言うのに、動き続いていたせいで髪は汗で湿っている。僕だってきっと同じだ。
「そろそろ僕達の出番も終了かもしれないですね」
彼の表情が柔らかいのも当然だ。ついさっき撤去したもので目に付く大きな瓦礫は姿を消していた。もちろんこの後割れたアスファルトや下水の整備はあるからすぐ日常生活に戻れる訳ではないけれど、荒れた印象は大分薄れたように思う。
あの日、アニエスさんのごり押しで僕達がコンビ再結成となった後から、それについて僕達は話をしていない。撤去作業には顔を出しているくせに、なにやら忙しそうにしているライアンともだ。彼とのコンビはシュナイダーによる物だったとは言え、一応はまだ解消された訳ではないのだから、虎徹さんとライアン、ふたりの相棒である僕の立ち位置はとても不思議なものになっている。
もっとも、今は取り敢えず他の出動もなくヒーロー全員が片付け作業に追われている訳だけれど。
そのライアンはと言えば、今日は昼に顔を出しただけでさっさと姿を消していた。彼の能力は撤収作業に向いているものではないので構わないと言えば構わないのだけれど。
「明日、どうなんだろ」
「一応アニエスさんから連絡が入るようですよ」
「そっか。じゃあ、まあ今日はゆっくり休むか」
ジャスティス・ディからそろそろ一週間が過ぎる。能力発動時は重機並みの働きを期待され、それ以外の時だって人海戦術の一部としてフル活動していた僕達はさすがに疲れていた。だけどこうやって結果が分かりやすく目の前にあるから、僕達は満足感を得ながら雑然とはしているものの、ほぼ平坦になった湾岸地域を眺める事が出来る。
フェスティバル会場に被害は集中していたおかげで、シュテルンビルトの都市機能には影響がなかったのは良かった。例外としてアポロンメディア社屋は相当の被害が出ているけれども、それも迅速に修繕されている。
捕らえられたアンドリュー、そして僕達の足止めをした三人の加害者で有り被害者の裁判はそろそろ結審を迎えるようだと、休憩の度チェックしていたニュースサイトには記載されていた。本当は傍聴に行きたかったが、そんな時間がなかったのは残念に思う。
彼は、もしかすると辿っていたかもしれない僕の姿だった。
だからこそ僕があの時重ねた言葉が彼の心にまで届いてくれていればと願った。
これだけの被害を出してしまったのだから罪は償うべきだ。その後、彼がどうするのかを僕は見ていたいと思っている。
トランスポーターに乗り込みスーツを外すと、虎徹さんはいかにも疲れたと言ったように大きく伸びをして、ミーティングスペースへ足を向けた。僕もその後を追う。
「久しぶりに飯でも食いに行く?」
隣に座った僕へ、まるでコンビを解散する前に繰り返されていた日常と同じに、虎徹さんは誘いの言葉を掛けた。だけど、そんな彼が緊張しているのがじわりと伝わって来てしまったから、僕は思わず笑ってしまった。
「なんだよ」
「……だって」
この人は僕とのコンビを受け入れた。
もう能力は一分しか持たず、僕の足を引っ張ると自覚した上で、しかも今後尚減退するかもしれない能力と、その一分を有効活用するにはどうすればいいか模索している最中であると言うのに、背中を押された彼は、僕の隣に立つ事を決めた。
そんな彼を悲観的だと僕は思っている。
たった一分でも僕達はアンドリューの企みを阻止する事が出来た。ヒーロー全員で掛かっても解体出来なかった鉄塊を砕き、彼の復讐に凝り固まった気持ちを阻み、決定的な罪を直前で止める事が出来た。意識して誰かの為に動こうとする彼はやっぱり、誰よりもヒーローなのだ。
なのにそれをまだ理解せず、だけど僕との関係を少しは以前に近付けようと努力しようとする姿がなんとも愛おしくてならなかったのだ。
だから僕は、笑う。嬉しくて仕方が無かった。
「食事、そうですね。行きたいです」
「じゃあ」
「でもすみません、今日は少し行きたい所があって」
虎徹さんとゆっくり過ごしたい気持ちはあった。この人の凝り固まった気持ちをほぐして、僕に取ってこの人の存在がどれ程大きいのかを理解させて、そしてこの先も相棒として横に立つ事をなんの瑕疵もなく自信を持って受け入れてもらいたい。そのために僕が努力している事だって。
だけどそれは今日明日に出来る事ではないと分かっているから、もうひとつ大事にしようと決めた事を今日は選ぶ。
僕が守ろうと決めた子供達は、きっとまだ不安に過ごしているだろう。僕が招待した先で起きた恐ろしい出来事がトラウマになる前に、大丈夫だよと頭を撫でて安心させてやりたかった。幸いにも僕はヒーローだ。本当はただの弱い人間ではあっても、ヒーローとしての僕達は子供の怖い物を退治する正義の味方であれる。
断りの言葉に、だっ、といつもの声を上げて残念そうにした虎徹さんは、拗ねてしまったようだった。彼らしくもない緊張をしながら声を掛けてくれたのだから、悪かったかなと思う。
アニエスさんがもし撤収作業に来なくて良いと連絡をくれたなら、明日も時間は空くだろう。その時間は彼の為に明けようと決める。
「じゃあ…」
「行きたいとこって、孤児院?」
「え?」
代替えを提示しようとした言葉に被って、虎徹さんは少し項垂れたまま視線だけをこちらに向けた。飛び出した言葉は意外なものだ。僕が守って支えて行こうと決めたそれを、今まで彼にはもちろん、他の誰にも言った事がない。だから知っている筈がなかったのに。
「子供達の様子、見に行ってやんのか?」
「え、ええ」
両親のいない僕と同じ境遇にある子達を守って支えて行こうと決めたのは、ヒーローに復帰してからの事だ。その前から漠然と思い描いていた事を真剣に考え動き始めたのだけれど、やりたいと思っている事は思っていた以上に難しいものだった。正直、まだどうすれば良いかどうかも模索中なのだ。だから尚更誰かへ言う気になれなかったのだけれど。
「なんで言ってくれなかったんだよ……ひでぇ事言っちまっただろ」
項垂れたままの虎徹さんは、そうかと頷いた後でやっぱり拗ねた口調で告げた。まるで僕が悪いかのように言われて、僕も少しむっとする。
「あなたにそれを言われるとは思いませんでした」
「なんで」
「何も言わないで決めてしまいのはあなただってでしょう? ……一緒に一部復帰出来ると思って、ステージに立ったのに。なのに見た事もないスーツが相棒だといきなり言われた僕の気持ちが分かりますか」
「だってそのまま言ってもお前、絶対」
「当たり前でしょう! でも知っていたら、僕だってあんな無神経な事言いませんでしたよ。この後同じステージに上がるのだと思っていたから、……だから、とちらないでくださいよ、なんてからかえたのに」
「それは俺もだろ。お前が金金言い出して、俺だってショックだったよ。だまし討ちしたようなのは悪かったと思ってるけど、お前のためだと思って」
「その気遣いが明後日を向いてるんですよ、あなたは。一言言ってくれれば一緒に考える事だって出来たのに」
「俺だってお前が金に固執する理由知ってたら、ちゃんと考えた!」
バン、と机を叩いた虎徹さんが睨むのではない、だけど辛そうな顔で僕を見たせいで、短い言い争いは急に終わって静かになってしまった。瞬間的に激高してしまった気持ちまで消沈する。
僕達には圧倒的に言葉が足りなかった、それだけだったのだ。それは、分かっていたのだけれど。
「……ごめん。そうじゃないんだ……悪かったと思ってる。お前にひどい事言った。お前が、眩しかったんだよ」
視線は逸らされて再び項垂れた虎徹さんは、さっきまでが嘘のようなささやかな声で呟いた。
「眩しい?」
「だってさ。お前は今もキラキラしたヒーローで、二部には不似合いで。俺は二部でだって満足にやってけないのに、お前にフォローされてばっかで。……正直なとこ、お前とコンビでいるのは辛かったよ」
自嘲するかのように笑って、でも虎徹さんは再び僕を見た。
辛かった、なんて思ってもいなかった言葉に僕は動揺している。この人が一分になった能力ときちんと向き合わず相変わらず力技でどうにかしようとしている姿に、僕はイライラしていた。もっと上手く出来るのにどうしてしないのだと、どうせ真っ直ぐ伝えても反発されるだろうから口にする事はせず、だけど一分でこれだけ出来るのだと身を持って示して、気付いてくれないだろうかと思っていた。発破を掛けているつもりだったのだ。なのにそれは、虎徹さんを追い詰めていただけだったのだろうか。
「……凹むなよ、俺が勝手に妬んでいただけなんだ。お前には五分の能力がまだあるんだ、ってな」
「それは」
「だから、お前が金の事を言い出した時、実のとこほっとしたよ。お前とはもう考え方が違うんだって、思う事が出来た。金のためじゃなく俺はヒーローとしてやって行くんだって、どっか俺の方が偉いんだって思いすらした。そりゃあ、コンビ解消で明確にお前と俺は違うんだって示されたのはきつかったけどさ。でも、だからこそやってけるって思ったんだ」
僕が口を挟む事を許さず、虎徹さんは自分の心情を吐露する。それはまるで、懺悔だ。
「だから、お前が金とか見栄とかで一部に戻りたがってた訳じゃないってのを知った時、本当に俺は自分が情けなかった。あんな事言ったのを取り消したくて、でもそんな事出来ねぇから謝って、殴ってもらっても良かった。いや、俺が自分で殴りたかったよ。でもさ」
言葉を途絶えさせた虎徹さんは項垂れたままであるのに、薄く笑みを浮かべていた。
「……でも?」
「でも、嬉しかったんだ。お前がやっぱり、俺の信じる姿と同じだったのが」
なあ、と虎徹さんはやっとこちらを見てくれた。柔らかな笑みを浮かべて、でもなんだか泣きそうな顔で。
「なあ、ヒーロー。俺は本当にお前の隣にいていいのか?」
僕の方こそ泣きたくなっていた。
彼の言った言葉が頭の中で咀嚼されて、その上で一週間前、流されるようにして求めた言葉の意味を分かっていたつもりなのに心の深い場所が理解して、泣きそうになっている。
この人は弱い面を見せない人だ。誰かを助けたいから走り続けて、自分が救われる事を考えていない。その人が今、僕に手を伸ばしている。助けてくれ認めてくれと言っている。
「……あなた以外、誰がいるんです」
「だってバニーさ、ライアンともすげーいいコンビだったし」
それは、認める。ビジネスライクにお互いの能力を上手く利用しあえる彼とのコンビはそれなりに居心地が良かった。だけど、それなりだ。何度も彼自身から言われてしまったから認めざるを得ないが、余りに自然にそこにいるからこそ彼が虎徹さんではないのだと思い知らされて、気持ちはいつも違和感を訴えていた。
「ええ。ライアンはいい相棒でした。……でも、僕が必要なのはあなたです」
僕の肯定に虎徹さんは少し傷付いた顔をした。確かにそうなのだ。ヒーローとしてやっていくなら彼とのコンビもありだろう。お互いの能力を足して尚プラスがある関係。だけど、虎徹さんと僕のような掛け合わせても尚足りない結果は出ない。それを、この人はやっぱり分かっていない。分かっていないから、それをいつか思い知らせてやりたいけれど。――いや、この人はもう知っている筈だ。知っているくせに理解していない。バカだなあと思うと同時にとても幸せな気持ちになった。
この人がいる事で僕がどれだけ救われたか、そんな事も知ろうとしていないのが腹立たしかったけれど、でもそれだけじゃない。この人にまだ僕は教えてやれる事がある。思い知らせて、僕だけでなくこの人にだって僕を必要とさせることが出来る。
微かに笑った表情を見て、虎徹さんは諦めたように笑った。また勘違いされては適わないとばかりに、僕は違うのだと告げる。
「……それは、そのうち分からせてやります。だから、期待してください。……ところで、明日なら構わないですけど。今日は不安にさせてしまった子供達を安心させてあげたいんです……僕が、招待してしまったから」
「あ、うん。明日でもいいよ。でもさ」
拗ねた顔をしていたくせに、はっと慌てたように虎徹さんは身を乗り出した。
「今日、だったら一緒に行っちゃだめ?」
「え?」
「俺も一緒に行って、その、なんだ。不安になってる子達を安心させてやりたいんだけど」
思いがけない申し出に目を見開いた僕へ、虎徹さんはダメかなぁと窺うように目を覗き込む。こんな時ばかり上目使いの甘えるような顔をするのだから、本当にこの人はと呆れた後で、なにをしたがっているのかを理解した。
「いいんですか」
だってあの子達を守ろうと決めたのは僕だ。まだどうすればいいかも分かっていない。あの子達だけでなく親が居なくて寂しい思いをしている子供はシュテルンビルトにはたくさんいて、その全てを僕が助ける事なんて出来ないかもしれないし、そもそも両親がいない寂しさを僕ひとりが埋められる筈がないとも分かっている。でも、社会に出るまで少しでも助けになって支える事が出来れば。その手を差し伸ばす事が出来れば。途方のない夢に、この人は付き合ってくれるとでも言うのだろうか。
「そりゃ……俺はさ、娘が居るし。一部に戻れたけど金の面でそう手助けはしてやれねぇけど」
ごめんな、と頭を掻く虎徹さんに思わず僕は飛びついた。
「……っと! バニー!」
「虎徹さん!」
「へ?!」
「……僕は」
僕は――果たして、何を言いたかったのだろう。
だけど嬉しくて、飽和して、訳が分からなくなった。僕自身無謀かもしれないと思っていた夢を肯定されたからかもしれない。いや、この人の事だからそこまで考えていないかもしれない。ただ今日、一緒に訪れてくれようとしてくれているだけだ。
だけど僕は知っている。
この人は助けを求める手を知れば、振り解けない。厚い情で絡め手を握り、抱き締める。
家族が居て大事にする人がいて、まだあれこれ思い悩まなくてはいけないこの人にそんな重荷を一緒に背負わせるべきではないのかもしれない。でも、だけど。
僕の隣に立ってくれる事を選んだこの人が、このままずっとそこにいるのだろうと思えて、だから嬉しかった。鼻の奥がツンとして涙が出そうなくらいに。
これは僕の夢だ。この人に一緒に叶えて欲しい訳ではない。
だけど、寄り添ってもらえればきっと僕はずっと心強く、前を向いて歩いて行く事が出来るだろう。なによりも、幸せに。
僕は、の先の言葉を今は思い付けなかった。
だから抱き付いたまま、目を見開いて驚いている彼に笑い掛ける。
「……一緒に行ってくれますか? あの子達を」
子供達を……いや、僕が救いたいのは実の所知っている。あの時泣いていた、僕自身だ。
父さんも母さんもいなくて寂しくて、今も泣きたくなる僕を――
「もう大丈夫だと、安心させてくれますか」
――……助けてくれますか。
「ああ、もちろん」
当たり前だろうと頷いてくれた彼へ、僕がどんな思いを浮かべているのかを、きっと。
この人はずっと知らないだろう。だけど、それで良かった。
傍にいてくれるなら。