etude Ryan
ライアンがピーピングトムするお話
それに気が付いたのは恐らく結構前だろう。
今は元と言うべき相棒と、そいつの元であり現在の相棒は、相当親しかったようだ。一応、コンビを組むに当たってそれなりに相手の情報は仕入れていて、能力は元より、そいつが過去両親を殺されていたのは当然、仇を討ったと思えばそれは仕組まれたもので、実際の仇はずっとそいつの傍にいて、それも今は殺されているって事まではある程度、かいつまんで。
コンビを組む事を条件にそこそこ良い額で引き抜かれたのだから、それは当然だった。実際顔を合わせてみないと、所詮メディア向けの顔なんて作られたものだろうから、意味がない。それよりうっかり踏み抜いてはいけない地雷くらいはリサーチしていたのだ。
だからもちろん、そいつのデビューから傍らにいた相棒の事立ってある程度は知っているつもりだった。近すぎるように思う距離だって。
俺を引き抜いたオーナーは、どうやらだまし討ちのようにして、バーナビーの新しい相棒は俺だとお披露目したようなので、そりゃあ新しく相棒になったそいつは荒れに荒れた。てっきり話は通してあると思っていたんだから、俺だってそんな態度を目にして文句を言いたい所だったが、目の前に自分より取り乱して荒れたヤツが居れば、逆に冷静になる。あんだけ大掛かりにお披露目会はしてしまったのだから、このコンビはバーナビーがどれだけ嫌がろうがもう決定だ。
アライグマのおっさんなんて声掛けてもちらりとも俺を見なかった元相棒サンも、バーナビーを宥める大人びたポーズを取ってるくせに、未練たっぷりなのは俺の目にもありありだった。
多分このときから、なぁんかおかしいとは思ってたのだ。
おっさんがどう説得したのかどうかは分からないが、翌日からバーナビーは俺の相棒としてすとんと収まった。の、くせにバレていないと思っているらしいが、案外かわいらしく考えている事が全て顔に出るタイプだったらしい相棒は、やたらと隣に居るのが俺だって事に違和感を感じているし、その度毎にああ比べられてんなぁってのは分かった。
どうやらクールでスタイリッシュとか言われているのは、やっぱりただのメディア向けのポーズだったのだと俺は深く理解した。性格面に対しては予め予習しなくて良かったと、やっぱり無駄な事だっただろと自分の勘に対する信頼を増すと同時に、最初の激高と合わせて俺の中にはやっぱり違和感が積もった。いやその前か。情報を集めた時点であのコンビの距離感は近すぎると思っていたのだ。おっさんの態度も気になった。
もしかしてそうかなーと思いつつ、恐ろしい程真面目だったバーナビーへからかい混じりに尋ねようにもそんな隙は与えられず、さてどうやって崩すかなあと思っている最中、バカみたいにでかい事件が起こった。
各地を転々としながらヒーローを続けている俺でも、そう毎回行き当たらないレベルだ。つかこんな事件が頻発するシュテルンビルトって割とヤバいなあと思ったものの、存分に自分の能力を見せ付けて活用出来るチャンスだと思ったのだけれど。
多分俺は、とっくに気付いてた。
ハイウェイの真ん中で気持ち悪い格好したダークヒーローみたいなヤツが現れ、それを限定復帰したアライグマのおっさんが引き受けると宣言した、姿を追うバーナビーの態度。
一応はコンビとして受け入れ、能力面の相性は最高らしいと気付いた俺と同様、こいつだってそう悪くないと思ったらしいのは、例に寄って出やすい顔に出ていたからそれなりに安堵していたと言うのに、俺の促しに応えなかった。
やっぱそうかと、初めて運転するチェイサーで腑に落ちた気がしていた。
コンビとして俺とバーナビーは、そう悪くない。けれど落ち目のおっさんを見捨てられないと足を動かせなくなるあいつとその当人の間には、もやもやと確証を得られなかった、まあ言ってみれば相棒以上の関係があったのだろう。
そんな場合じゃないだろうと突っ込みたいのは山々だけれど、まあしょうがない。恋愛なんてものは自分でも自制出来ないものだし、代わりに俺はどうやらコンビを意識せずひとりで大活躍しても問題ない訳だと妙な開放感も感じていたのだ。
今回の契約はあくまでもコンビヒーローだった。俺ひとりが手柄を上げても意味がない。コンビとしてそこそこ名を馳せたタイガー&バーナビー以上の結果を出さなければ俺がわざわざ来た意味がない。でもこれはノーカンだよなと俺はちょっと思ってしまったのだ。元から俺はひとりで動くタイプのヒーローなのだから。
なのに、何があったか分からないがおっさんを吹っ切ってやってきたバーナビーはやたら強かったし、キレが良かった。その上、情けないながら戦線離脱してしまった俺が、朦朧とした中で見たこいつらのコンビプレイに、正直鳥肌が立った。
恋愛だけじゃないなあ、と思ったのだ。
同じ企業所属だから、通常制限されているヒーロー間の通信も俺には聞こえる。
だけど、そこに言葉はなかった。無言で決められる動き、能力を発動した後は現場慣れしている筈の俺でも目で追えない速さを阿吽の呼吸で駆け回り、最後には分かりやすく連携技を決めて敵を撃破してしまった。
なんかしょうがないなあ、と俺は思ったのだ。
惚れた腫れたは人生において大事な事だ。でも、それよりも俺はこうやって現場を駆け回り俺自身が持ち得た能力によって成し遂げた結果の方が気に入っていた。その両方を手に入れられるこいつらは、……しょうがない。離れられる筈もないかと、笑ってしまえそうになった。
誰もが共有出来ないだろう、あの早すぎる動きのなかでたったふたりなら、しょうがない。
俺ですら、発動すれば誰もが動けなくなる中で走り回ったジュニア君には、少し感動してしまったのだから。
だからまあ、俺が煽って良い感じに市民も乗って、タイガー&バーナビーを元鞘に戻す事は出来た。映像で見た物とは違う、目の前で繰り広げられたアレと、バーナビーにいつまでも比べられるのは適わないと思ったからだ。
それにどうやら、あいつらはお互いなんか訳の分からない面倒なものに縛られて、勝手に傍にいたいと言えないらしいと気付いたのだから、それは気付いてしまった者の責任でもあるだろう。ヒーローは困っている人を助けてやるものだ。それが同じヒーローでも悪い筈がない。
まあこいつらがコンビ復活しても、俺を呼び寄せたオーナーはそのまま警察に引っ張られて裁判が始まったし、一応はアポロンメディア所属のままだ。散々になったフェスティバルの後片付けは、やたら豪快で結構気に入っているプロデューサーが指示して来たから当座は従うしかなかった。
もちろん、次の契約先は探している。今回のど派手な事件はテレビで放映されていたのだから、ある意味良い宣伝にもなって、オファーは既に数件舞い込み、俺は選別をしている最中だった。
事件から数日過ぎて、それでもまだ瓦礫を全て撤去するには当分掛かるなあと言った日の、夕方だった。眩しい西日の中、本日解散の連絡が入ったので、トランスポーターへ戻る。
脱いだメットを片手に乗り込んだトランスポーターには、俺より近場で動いていたらしい二人は既に戻っていたようだ。コンビ仕様のチャンバーやシャワールームがある一角には既に人の気配があって、ち、と舌打ちして俺はミーティングルームへ戻る。チャンバーでなくともゴツゴツした外装パーツは外せるから、このままではソファに座る事も出来ないとその場で外す事にした。これをするとメカニックは聞き取れない声ながらも眉を吊り上がらせて怒るけれど、こっちも一日瓦礫を運んだり、積み重なったそれらを圧縮するために能力発動したりと割と疲れているのだ、休みたい。
それでも一応はこんだけ立派なスーツを作ってくれた敬意はあるので、せめて傷は行かないよう机の上に並べて、ソファで息を吐いた。もちろん乾いた喉を潤すための冷えたスポーツドリンクと共に。ビールが欲しいところだが、それはさすがに望めない。
所属ヒーロー三人を回収したトランスポーターは既に動き始め、アポロンメディアへ向け動き始めているようだった。湾岸地区は一応ブロンズだ。シルバーにある格納所までは一層上がって、更にメダイユ地区を半周しなければならなかった。それなりに距離はある。
窓はないから外は見えないけれど、それにしても不思議な造りをした街だと思う。
そろそろ目星を付け始めた次の場所は海を越えるから、この不思議な街は見納めになるかもしれない。一ヶ月も過ごしていない場所だけれど、終わりが見え始めると名残惜しくなるのだから、思わず笑ってしまう。
奇妙な街だった。でもそれなりに悪くない。
らしくもなく感傷に浸りそうになって、それをまた笑ってごまかす。
それにしても、やけにふたりは遅くないだろうか。確かに自慢されたこのスーツはやたら高性能で、アンダースーツだってぴたりと体に密着するのに圧迫感のないなかなかの物だ。それでも仕事はもう終わったのだから脱いで汗を流したいのに、かれこれ二十分は経過している筈なのに、奥を占領した二人はまだ出て来ない。
「……なにやってんだよ」
もしかして喧嘩しているんじゃないだろうな、と過ぎったのはこの撤去作業中のふたりを多分かなり近くで見ていたせいだ。
コンビを組み直す事は決めたふたりだけれど、正直な所、まだ非常にギスギスしていた。ふたりしてお互いしかいないと思っているのはあからさまな癖に、まだ素直になりきれていないらしい。あんだけの世界を共有出来るくせに分かり合えないとはやっかいだなあと思いつつ、俺はもう切っ掛けは作ってやったんだから、後はおふたりでどうぞと言う気分だったのだ。それにどうせ、俺はもうすぐこの街を出る。
けれど、それが切っ掛けでこじれてるのだとすれば、やっぱり気分は良くない。
迷ったのはほんの僅かだった。大きくひとつ溜息を吐き、俺よりずっと年上のくせに不器用なふたりにどうしようもねぇなあと呆れた笑いを浮かべる。
チャンバーの入り口をノックしたけれど、声は帰って来なかった。
「入んぜ」
壁にしつらえられたプッシュ式のボタンを押すと、扉はスライドする。そこにふたりの姿はなく、それぞれのスーツは収納場所へ収められていた。と、言う事はシャワールームか。
トランスポーターに設置されているのはあくまで簡易式のものだ。普段はアンダーで会社に戻って、そちらの設備も良いシャワールームを使うとバーナビーからは説明されていたし、今回の瓦礫撤去以外ではそうしていた。余りにほこりっぽく、帰るまでにそこそこの時間があるからこの作業中はお世話になっているけれど、手狭なそこは余り長居したいとは思わない場所だ。
薄い扉を開けば、仕切られたシャワーブースからは水音が聞こえていた。
けれどそこに、懸念していた喧嘩の声はない。
「……?」
思わず勢い込んでいた気持ちは削がれ、掛けようと思った声も飲み込まれた。水音がするのは奥だけだ。腰から頭を隠す外開きの扉は両方とも開いていた。だから、奥からは水が跳ね出している。
「……え、ちょっと待てよ」
呟いた声は自覚せず潜めたものになった。思わず、踏み込んだ足も躊躇して戻るべきじゃないのかと引っ込めかける。その、瞬間だ。
「……っぁあっ」
やたら艶めかしい声がした。
その瞬間の俺の脳内をご理解頂けるだろうか。
信じられねぇとか、こいつら場所をわきまえろだとか、やっぱそうだったのかよとかぎこちなかったんじゃねぇのかとか、つか今聞こえたのジュニア君の声だよね、えっあ、そう……お前抱かれてんの役割分担どうなってるかはちょっと気になってたんだよなー……いやいやでも喘いだからってそうとも限らないしちょっと覗いてもいいよねつかお前らこんな場所で何やってんだ!
俺が同じトランスポーター使って、そんで同じタイミングで戻って来るのは分かっていた筈だ。
いや、……どうなのだろう。昨日はそうではなかった。俺を雇いたいと言う産油国の恐ろしい勢いの金持ちと条件の突き合わせをしていたのだ。まだ移籍の話はアポロンメディアには伝えていないから、所用でと出たのだけれど、だからもしかしてこいつらはこんなに気を緩めているのだろうか。昨日もこうだったのだろうか。いやでも、今朝も昼も顔を合わせたタイミングでは相変わらずふたりはどこかよそよそしい癖にお互いを気にしまくっているぎこちない態度を漂わせていた筈だ。
「……ぅ、ん、ぅあ、あ」
「……バニー、バニー」
ああやっぱジュニア君抱かれてるな……
何もかも置いてきぼりにして、それだけは分かった。切迫してどうやらバーナビーへ付けたあだ名らしい、ちょっとそれはどうなんだおっさんと突っ込みたくなる名を馴染んだ物として繰り返し呼ぶ声に、バーナビーの男のくせにヤバいだろうと言う声が喘ぎで応える。
こんな近い場所に居ると言うのに、第三者の乱入に気付かない程没頭している。と言う事は、そろそろ果てるのも近いのだろう。水音の中にはやたら粘ったような違う音は聞こえるし、緩やかに肌を打ち付ける音も混じっていた。
まあ、それも有りじゃないかとは思うが、俺はぶっちゃけ完全なノーマルだ。
男はない。バーナビーはかなり上等な部類だとは思うが、それはあくまで同じ男としてだ。情欲を掻き立てるような部類ではない。でも案外気持ち悪いとは思わないものだなあと、実を言えば少しばかり感心していた。
「ごめん、バニー」
「……ぅ、や……あ、あやまら、ないで……っ」
「ごめん」
「……こて、つさ……っ、いや」
なので、そろりと引こうとしていた足を前に進めてしまったのはちょっとした好奇心だった。
漏れ聞こえる声はやたらどっちもいやらしいのに、愁嘆場を思わせる台詞だ。どんな風にして抱き合っているのだろう、もしかして泣いているのだろうかと少し思ったのだ。
それに、かれこれ帰り時間をほぼ独占して俺はシャワーも浴びれず、どころか仕事場でセックスしてるようなヤツの顔をちょっと見てみたくなった。それがあの真面目一辺倒だったジュニア君であれば、尚更だ。この声だけでも十分意外性に富んで好奇心はくすぐられている。
「……あ、あ、ああ、や……っ」
徐々にトーンの上がる甘い声。ぞわぞわと背中の毛が逆立ったような気がするのは気のせいだ。
最初に見えたのは、壁に縋りつく白い腕だった。
外開き、こちらへ向けて開いている扉の向こうの壁に、水しぶきと湯気にけぶった中、力が入り過ぎて不自然に曲がっている指先が見える。
じわじわと、その手の上に濡れて乱れた、日頃より色を濃くした金の髪。そこから垣間見える赤く染まった頬、開いた口から垂れているのは、水か唾液か分からない。目元が見えないのは惜しいと思った。
首から背は俺が見た事もないような赤に染まり、なだらかな背に黒髪が覆い被さっているのを見て、思わずドキリとした。ワイルドタイガーの顔も髪に隠れて見えない。でも褐色の肌が覆い被さっているのはたまらなくいやらしい。打ち付ける動きと、それによりがくがく揺さぶられる、白い体。更衣室でも見た事のある鍛え抜かれて、少しばかり感心した体は今は抱かれるものとしていやらしい色香をまき散らした。
ごくり、と唾を飲んだ。
その後で、いやいやと頭を振る。
視線を下ろした先は締まった腹と、腰。男の割に張った尻は褐色の腕に掴まれて、やっぱり俺も見た事のある見知った物とは違う気がした。
「……だ、め……ぁ、い……く」
「……バニー」
やたらいい声でおっさんが、耳元に顔を寄せおっさんしか呼ばない、そして呼ばせないであろう名を呼ぶ。ガクガクと震えた後どうやらバーナビーは達してしまったようだ。見えない性器から精液が水とは違う濃度で飛んだ。
「……うっわ」
思わず口を押さえた。声に出さない声ではあったけれど、なんだかこれはヤバいと思う。思って、慌てて足を引く。どっちにしろ達した体を貪るおっさんの動きだって激しくなり、むずがるように声を上げるバーナビーは俺の知らない物で、これはダメだと一歩引いた後は慌てて振り返って、シャワールームを後にした。音を立てないようまるですさまじい緊張を要求されるような現場と同じに動けたのは、奇跡だっただろう。
やたら跳ね上がる心臓を持て余してミーティングルームのソファに沈めば、それから間もなくトランスポーターは停止した。どうやら会社へ到着したらしい。
「(ライアン、また君はそんな所で脱いで)」
「……は?」
「(そこで脱ぐなと何度言ったら分かるんだ!)」
停車した運転席から顔を出したメカニックはやっぱり目をつり上げて怒ったけれど、へらりと笑ってごまかした。チャンバーが使えなかったんだからしょうがないと言い訳をすれば、この矛先は彼らへ向かうだろう。しかし多分あの様子だと、今すぐ踏み込まれればヤバい筈だ。
「分かりましたよ、次はちゃあんとすっから。悪かったな」
「(ライアン!)」
しょうがねぇなあ、と庇ってやった俺にいつか感謝しろよと思いながら、メカニックのお怒りを全て引き受けて車外へ出た。
自室へ辿り着き、愛しいハニーへ新鮮な野菜を手ずから食わせながら、がらんとした室内を見る。放浪癖があるから元から物を持たないたちではあるが、荷解きも終わらないうちに出るのは初めてかもしれない。
携帯が鳴り、それが相棒……元と付けるべきだろうか? の物だったので一瞬ドキリとしながら手に取った。
「はいはい、どうしたジュニア君」
『お疲れ様。ライアン、君また斎藤さんを怒らせたって? 僕にまで今日言われたんだけど』
「あー、ああ。まあ」
『だから顔も合わせずに帰ったのか? 子供じゃないんだから、それくらいきちんとしてください。あなたの失態は僕にまで降り掛かるんですから』
おいおいお前が言うなよと思わず突っ込みたくなった。今日は一応ちゃんと脱ぐつもりでいたのに、占拠した挙げ句顔を合わせるのも気まずいような場面を見られているのにも気付かないようなお前のせいだろう、と。それに大体……
「なんでジュニア君にまで。関係ないだろ、俺ももう説教されてっし」
『相棒なんですから、共同責任なんですよ。あなたはまだ経験浅いかもしれませんが』
「はぁ? だってもう、俺とあんたはコンビじゃねぇだろ」
なんでこいつに、と思った気持ちには、予想外の言葉を返された。
『確かに……僕は、虎徹さんとコンビを組み直しました。でも、まだあなたとのコンビも解消になった訳じゃありませんから』
「まっじめぇ」
あ、なんかヤバいと思ったから、からかうつもりの言葉は妙に色を失った。
なのに律儀に不機嫌な声を返される。
『真面目なんじゃありません、当たり前でしょう』
更にヤバい。
「……そっか、ありがとうな。俺の分も叱られてくれて!」
『叱られたい訳はじゃありません。明日はちゃんとしてくださいよ』
なぜ叱られると分かってあんな場所で脱いだか、ちょっとくらいからかっても良いかと思っていた。こんな風に電話が掛かって来るとは思わなかったが、うっかり目にしてしまったアレはそれなりにつつける材料になると思ったのだ。妙に心臓をバクバクさせられた意趣返しとしても、実は見てたんだけどと隠し札を持っているのはなかなか良いかもしれないと思っていたのだけれど。
こんな風な電話が来れば、逆に言えなくなる。まだ俺を相棒と言われてしまえば、らしくなく胸がむずむずした。
こいつもあんな場所で事に及んだのに焦っているのだろう。
チャンバーへ俺がスーツを戻さなかった理由。ミーティングルームとチャンバーを仕切る扉は厚いが、そことシャワールームは音が聞こえるくらいのものだ。だから万一俺がメカニックから叱られるいつもの悪癖を発揮したのではなく、片付けようとしたのにヤバい現場を目撃したからそうしなかったのかもしれない可能性を潰しに来ている。
なんだか妙な気持ちになった。
「はいはい、分かったよ。明日はちゃあんとするよ」
『お願いしますよ』
「なあ、ジュニア君」
『はい?』
「今おっさんと一緒?」
『……は?』
「だから、アライグマのおっさん。ワイルドタイガー!」
『なんですか、一体』
あからさまに警戒された。まあ、あの場面を見られたかもしれないと思い探りを入れるための電話なら、当然だろう。
「なんかまだあんたらギスギスしてんじゃん。一応、元へ戻れって言った手前俺も気にしてんだけど?」
『……そ、そうですか。ええ……ありがとうございます』
「で?」
『一緒、ですが』
妙に硬い声。やっぱり真面目で律儀だなあ、と俺は笑った。
「そっか、なら良かった。ちゃんと仲直りしろよ」
『別にっ、喧嘩してた訳じゃ』
「はいはい、じゃあまたな」
焦った声に笑いを返し、一方的に通話を切る。
笑いながら、安堵していた。
想像もしていなかった甘い喘ぎ、白い肌は俺も似たようなものだし、鍛えられた体は食指を伸ばす気になれないものだ。……今までなら。
「でもなあ、ヤバいだろあれ」
もぞり、と腰を蠢かす。思い出すだけで少しだけ、熱が上がる。
「なぁ、ヤバいよなーアレ!」
新しい葉野菜を手に、俺は愛おしいレディに同意を求めた。
あれは、俺が引き出せる筈もないもの。手に入れられないもの。
あのブドウは酸っぱい。
今頃気付くなんて、しかも人の物だと気付いた途端そんな気になるなんて、バカげている。
バーナビーとの通話を切った携帯の着信履歴をいくつか遡る。
「ああ……昨日の条件、OKっすよ。800万で手を打ちましょう」
昨日渋った額で了承を告げると、電話の向こうの大富豪は大仰に喜んだ声を上げる。それに、笑い。
あれが欲しいなんてバカげた事を考える前に、さっさとこの街を出る契約を、決めた。
ライアンの服をバニーが着るお話
タイガー&バーナビーが復活した。
だけれども、ライアンの契約が切れるまで後一週間の日時があった。本当に短い間だったとは言え確かにコンビを組んだ相棒は、元の相棒とコンビを組み直すことをけしかけるだけでなくいつの間にか海外の大富豪と莫大な契約金と共に新天地を決めてしまっていたけれど、今すぐ移籍する訳にも行かず、まだシュテルンビルトにいる。
散々な態になったフェスティバルの後片付けをしながら、一応はアポロンメディア所属になる僕達はまたしてもトップのしでかした失態を拭う為、企業代表としてシュテルンビルト有力者の開くパーティへ送り込まれていた。
ただでさえ、七大企業の保有するヒーローは基本一人。それが今に限ってアポロンメディアは三人いるのだから、ここぞとばかりカードを切ったのだろうけれど、それは残念ながら裏目に出た。おおよその人は先の顛末を見て、そしてマーベリック事件の際もトップの不祥事とは全く別の場所どころかそのせいで窮地においやられた所属ヒーローらが奮闘していたのだと理解してくれているけれど、それすらもただの演出とみる穿った人々は存在する。
今現在のアポロンメディアを更に貶めて、その上で僕達所属ヒーローが立ち向かった所で何のイメージアップにはならないと分かっていても、そんなものとは関係無くたった七つしかない座を占める一つを貶す機会を狙っている人物はそこここに存在しているのだ。
そしてその中で、僕だけはふたつの事件の中で不本意ながらも貶められる事がなかった。殺人犯との冤罪を着せられ追われ、今回は二部までも解雇になった虎徹さんは分かりやすく被害者だ。ライアンだって今回新たなヒーローとして呼び寄せられたにも関わらず、クオーターシーズンさえ活躍する事なく呼び寄せた当人の不祥事により移籍する。実の所、ライアンは不祥事の責任を負うのではなく気まずくすら思わず、単に条件の良い引き抜き先に移動するだけであり、そこに僕が負い目を感じなければいけないとすれば、彼よりも僕は虎徹さんを相棒に望んだ、それだけなのだけれど、世間はそう見ないだろう。引き抜きの話はそもそも表に出ていない。
だから、シュテルンビルトのおよそ分かりやすい権力者が集まったパーティに出ても、僕達は少し居心地が悪かった。嫌だと逃げ出す訳に行かず、ここで笑顔を振りまき僕達はあなた方の知っている正義を今も貫いている、一度たりとも裏切っていないとこの先も大丈夫だとアピールするしかなかったのだけれど、誰もが皆歓迎してくれる状況でないのは理解している。
ライアンはある程度予測していたけれど、俺様な面がある割には上手く権力者の懐にするりと潜り込み懐柔し、虎徹さんはいつも通りであるからこそ気取りすぎない一定層とそれなりに上手くやっているようだった。僕はいつもと同じように綺麗な笑みを浮かべて、社交を。当たり障りなくしていたつもりだった。それが所属企業のイメージアップに繋がると思って僕達はそれぞれ、それなり気を張って華やかなパーティ会場を漂っていたつもりだ。
しかしそれが気に入らない人は、やっぱりいたのだろう。
僕が下手を打ったのか、それともアポロンメディア所属のみんなか、そもそもアポロンメディアそのものか。分かりやすくその象徴として扱われたのはある意味光栄ではあったけれど、僕のパーティ用スーツは誰かの『つい』『うっかり』『手元が狂ってしまった』グラスをひっくり返されてぐっしょりと濡れた。
水やシャンパンであればまだしもマシだったのに、その人の持っていたのは渋みの強い赤ワインだ。せっかくおいしいものだったのに、じっとりと濡らすだけでなくひどいシミと共に僕のスーツとドレスシャツはそのグラスに入っていた全てを吸い込んでしまった。
ざわ、と場内はざわめいた。
グラス一杯のワインを無駄にした当人はさっぱり慌てた顔をせず、「失礼」と簡素すぎる言葉でその場を去ったから、間違いなくわざとだ。大人げない真似をした人を、僕は追うつもりはない。そんな事をしても無意味だからだ。それにきっと、素性は分からないだろう。分かりやすい嫌がらせを、殆どが個人名でなくどこの企業に所属する誰だと分かっている中でするのはメリットがない。そのために雇われた名も無い誰かの可能性が高すぎた。
僕は笑って、不格好だからとその場を辞した。
控えの一室へ向かったけれど、この酷いワインのシミは落とす事も出来ないから、この後会場へ戻るのも無理だろう。
余り、落ち込んではいないつもりだった。
この程度仕方が無い。それくらい、アポロンメディアは今七大企業には相応しく無いと思われているだけだ。野心的な企業がひしめき合っているのだから、その一角を奪い取りたい企業なんてどれだけでも居るだろう。
老舗ホテルの一室、上品にまとめられた一室で僕は嘆息した。
これでは戻る事は出来ない。これがアポロンメディアに……そして、余り考えたくはないけれど、僕自身に向けられた悪意だとすれば受け止めるしかない。
ヒーローとしてのバーナビーは、一度は長くコンビを組んだワイルドタイガーを見捨て一部に戻った。かと思えば、新たに組んだライアンを今度は捨てて、ワイルドタイガーを選んだ。
そもそもコンビ制度がなかったヒーローシステムだ。だからこそタイガー&バーナビーは強く支持された。長く活躍していたワイルドタイガーに就いているファンは多く、そして新たに始動したライアン&バーナビーに期待した人だって多かっただろう。なのにそれを、まるで僕のわがままで次々乗り換えたようなものなのだ。実際は僕自身が振り回されていたのだとしても、人々はそんな事思い至らない。
少しだけ、落ち込んでしまいそうだった。
でも、そんな場合ではないと頭を上げる。
そこへ、心配顔の新旧二人の相棒が顔を出したのだ。
「そんな顔しないで下さい」
「でも、バニー」
身を乗り出したのは虎徹さんだ。この人は、本当に僕に向けられる悪意に敏感だ。心配しすぎだとそのせいで笑えてしまえる。
「それよりあなたたち、どうして出て来たんですか? 僕がいないのだからその場を取り繕って下さいよ」
「なんだよジュニア君、帰るつもり?」
「さすがにこの格好では、失礼でしょう」
ちらりと見下ろす自身の服装は、パーティ会場には相応しく無い。色に染まっているのはドレスシャツの胸元だけだけれど、スーツのジャケットにもワインは引っかけられていて、ツンと鼻を突くアルコール臭がする。
「じゃあ、俺の着ればいいんじゃね?」
「は?」
「なんで、お前の」
不満そうな顔をするのも虎徹さん。
だけどそれで思い出した。パーティ用に用意した衣装一式を僕も虎徹さんも自分のものを持って来ていたのだけれど、ライアンはそんなものないと言い切ったせいでロイズさんが困りながら手配していたのだ。
もちろん他の地方でヒーローをしていた彼がパーティ用スーツを持っていない訳がない。僕達の仕事の一部は社交界に食い込んでいて、礼装は必須だ。だから、単に彼が面倒臭がったのか、それかもしかすると既に決まっている次の契約地へ手持ちの品は送ってしまったのかもしれないと思っていた。
だから、彼のスーツはサイズが合わなかった時の為にと数枚取りそろえられている。
「俺の着ればいいじゃん、上だけなら俺の着れるだろ?」
「……それは、そうですが」
いや、どうだろうか。
ざっと視線で確認するが、元から分かっていたとは言え、ライアンのガタイは僕よりも良い。身長も上体も、一回りは上だろう。上半身を鍛えている虎徹さんよりもぴたりと体に沿う礼服のサイズは上ではないのだろうか。そして間違いなく、僕の上半身は虎徹さんよりは下だ。
「着てみれば? もし合えばこの後、しれっとした顔でジュニア君なら戻れるだろ」
宛てられた悪意なんて流せるだろう、と彼は笑う。
確かに、そうだ。それくらいした方がこの後は楽だ。
心配そうな顔をしている虎徹さんは恐らくこのまま僕を帰したいのだろうが、ここで帰るより僕は素知らぬ顔で戻った方が今後の為になる。
「分かりました、貸して下さい」
「おい、バニー」
「虎徹さん」
この人が僕を案じていてくれている事は分かっている。それがとても暖かくで、そして嬉しい。でも、今はこれに甘えていてはいけない。
「大丈夫です」
彼の目を見て、にっと笑った。
虚勢を張っているのではない、本当に、大丈夫なのだ。
ここで僕を、もしくは僕達ヒーローを、それかアポロンメディアを貶めたかった誰かの通りに振る舞う必要はない。幼稚な挑発は踏みつけて分かって何も応えていないのだとの顔をして、僕はあの会場へ戻りたかった。僕だけでない、今だけしかない三人のヒーローで肩を並べて。
ライアンが内線で引き上げていた衣服を全てこの部屋へ持って来るよう手配してくれる。
それを着てみれば、やっぱりサイズは大きかった。借り着のように見えてしまうかもしれないけれど、まあいい。
オーバーサイズのシャツ。そして、ジャケット。
身に付けた僕を、ライアンはサムズアップして無責任に似合ってるよと笑い、虎徹さんはしょうがねぇなあと肩をぽんと叩く。
「……じゃあ、戻りましょうか」
僕は、ひどく誇らしい気持ちで、ふたりにそう声を掛けた。