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シロツメクサの花冠




「待て、そっちへ行くな!」
 逃亡を続ける犯罪者へこんなことを言ったところで素直に聞き入れるはずがないのは当然だ。無駄でしかない言葉を、僕も普段なら口になんかしない。
 休日明けの昼下がり、よく晴れて気候は穏やかだ。月が変わる寸前にすっかり春の陽気になったシュテルンビルトは過ごし易く、厳しい冬がようやく終わった開放感に人々は浸っていた。犯人の逃げ込んだシルバーステージのセントラルパークだって、そうだ。
 散歩を楽しむ人々の衣服は軽やかで明るい色のものに変わり、それらを取り囲む木々の緑だって鮮やかになっていた。ちらほらと冬場は見られなかった小さな花だって見える。
 一路逃げ続ける犯人らの目には、きっとそのようなもの見えていないのだろうけれど。
 昼日中から強盗を働いた犯人は、大学生風の男四人組。うち一人がネクストだとの報告を受けている。だから僕たちヒーローの出番になった訳だけれど、本来なら警察官に確保され、ニュースでも流れるかどうか程度の決して大きくはなかった彼らの犯罪は、HERO TVで生中継され、そのせいで彼らのテンションは無駄に上がっている。
 スカイハイには及ばないながら風を操るネクストは細かくかまいたちを発生させ、僕たちの追撃の邪魔をする。逃走経路は緻密に練られていたようで、僕たちは彼らをきちんと追えていると言うのに、まだ確保にまで至っていなかった。四人全員未だ逃走中だなんて、出動から小一時間が過ぎるというのに僕たちにとってはあり得ない失態だ。僕も虎徹さんも、相手が子供だと思ったからすぐに決着は着くだろうと侮り、速攻能力を発動していたから今はただスーツに助けられているだけの一般人並の戦力でしかない。フェイスモニタに組み込まれた再発動までの時間表示は、残り十分。そうすれば今度こそハンドレットパワーで有無を言わさずひっ捕まえるつもりではあるけれど、それも癪だ。出来ればそれまでに確保してしまいたい。
 彼らの逃げ込んだのは、セントラルパークの遊歩道から逸れた鬱蒼と茂る木々の中だった。おかげで、スカイハイが上空から追えない上に、他の仲間も有利になる条件が今はない。
「待て!」
 このまま走れば、開けた場所に出る。そうすれば邪魔な木々だってなくなるし、現在戦力外に近いスカイハイの活躍だって期待出来る。だけど、僕はそこへこいつらを向かわせたくなかった。
 投げつけられた空気の刃は僕と虎徹さん、二人の合間をすり抜けてその向こうにあった枝を落とす。市民を癒やす緑をどうでもいいものと扱う彼らは、その先にある広場だって気遣うことがないだろう。踏み荒らし、そこになにがあるか目に入れることもなく一目散におそらく定めた逃走路をまっしぐらに駆け抜けるはずだ。
 四人の男たち、そしてそれを追うヒーローズ。中継のカメラは併走出来ないから何台かが先回りして待ち伏せている。
「……バニー!」
 虎徹さんが何度目かになるワイヤーを射出した。狙った犯人へ届く前にかまいたちで進路をズラされ、傍らの木に絡みつく。
「だっ!」
 ああ、もう無理だ。
 木々がまばらになり、急に空間が広くなった。
 駆け抜ける早さで飛び出したそこは、広々とした緑の広場。名前も知らない草花が地面を覆い、ひとつだけ知っている名前の白い花は犯人や僕たち、カメラスタッフに踏み散らされ、そんなものを見ている場合ではないのに意識を惹かれ胸が痛む。
「観念するんだ!」
 上空からの声はスカイハイだった。ようやく活躍の場面を与えられ、急降下する彼の腕には犯人の男が繰り出すのとは桁違いの空気の塊が見える。彼の意図通りぐるりと逃げる四人の正面から包み込むようにして、ぶわりと地面の土ごとすくい上げ、足を止めた。
「サンキュ、スカイハイ!」
 これならもう邪魔されることはない。喜色に彩られた虎徹さんが声を掛け、この出動中ずっと不発に終わっていたワイヤーを再度射出させて、今度こそ犯人の一人を捕らえた。一番最後を走っていた相手は能力者ではない。
「く、くそ!」
 一歩前を走っていた、けれど今はスカイハイに足場を乱されたネクストがかまいたちを連発して仲間を捕らえたワイヤーに投げつける。けれどそれは届くことなく、さらに繰り出されたスカイハイの風圧に負け消失していた。
「……もう、あきらめてください」
 バーニアを点火させず距離を詰め、僕がその男の腕を掴む。追いついたドラゴンキッドが威力を抑えた雷撃を器用に僕と虎徹さんを避け、その先の二人に食らわせた。その雷は地面も少しだけ、焦がす。
 飛び出した場所から、広場は半ば以上も過ぎた場所だった。
 要するに、それだけの場所が地面を踏み荒らされた。
 雷撃を受けた男二人は、強奪品の入ったバッグを投げ出し、地面に伏せていた。その片方を駆け寄ったドラゴンキッドが、もうひとりは降下したスカイハイが捕らえて今回の事件は終了だ。
 無事、と言うべきなのだろう。
 被害額はなく、逃走中も誰も巻き込まずけが人も出していない。
 だけど。
「……バニー」
 フェイスマスクの下、なのに晴れやかになれず消沈しているのを知っているただひとりの人物が、柔らかな声をかけてくれた。
 少しだけ頭を上げて、苦笑する。大丈夫ですよ、と僕は言うべきだったのだろう。だけど、言葉は音にならなかった。
 シロツメクサの咲く広場には昨日、この相棒と僕が守ろうと決めた子供たちと一緒に、遊びに来たところだった。全てが駄目になった訳ではないけれど、でももう、昨日と同じ穏やかな景色ではない。
 また来たいとはしゃいだ子供の声が、笑顔が、頭によぎる。
 僕は一部所属のヒーローで、とても忙しい。なのでこの花が咲いている間にまた来ることが出来るかどうか分からなかったけれど、でもとても楽しかったから。子供たちが孤児院の小さな庭でなく、広い公園に歓声を上げて楽しそうで、それが僕もうれしかったから、また来れたらいいねと笑った。
 だけどもう来られないだろう。この景色を見ればきっと、あの子たちは悲しい顔をする。
 同じ場所ではもうなくて、それが僕も悲しかった。
 守れなかった、と思った。


 犯人を警察に引き渡して、余り派手な事件ではなかったけれど中継されたいたのだから、メインで追跡していた僕と虎徹さんはヒーローズインタビューを受けて、帰投した。
 消沈していたのは犯人を確保したその後だけだ。その後はちゃんといつも通りの顔を作っていたつもりなのに、しかしながら傍らに寄り添う相棒には全て筒抜けだったらしい。
 オフィスで終業時間を迎えるまでは、それでも普通に過ごした。
 帰ろう、と席を立った途端に虎徹さんが「今日はおまえんち行くな」と背に触れた手がやけに優しかったから、やっぱり分かっていたのかと苦笑してしまったのだ。
 つまらない感傷だとは分かっている。踏み荒らされたとしてもあの場所はちゃんとあるのだし、シロツメクサは強い草だから来年になればまた元通り、子供たちと一緒に歓声を上げた見事な景色を再現してくれるだろう。何もその場所が今踏み荒らされたからと言っても、昨日楽しく過ごした時間まで荒らされた訳ではない。
 残っていなくても僕の中にある大事なものを今まで僕はたいせつにして幸せに過ごしていたつもりだったのに、庇護すべき大事な子供たちが出来、傍らにはかけがえのない相棒がいる日々が戻って来て、どうやら僕はいささか保守的になってしまっていたようだ。手の中にあるもの、そして得たものを欠片も損なわれないようにと、どうしようもなく頑固に守りたくなっている。
「……大丈夫ですよ」
 そんな自分に気がついて、我ながら少しあきれてしまったので、苦笑しながら助手席で虎徹さんにそう告げた。
「なにが?」
「……なにかと」
「そう?」
 気づいてない振りを続けるつもりかもしれないが、答えた彼の横顔は笑っていたから余りうまくない。でもこの人の不器用さは愛すべきもので、なので僕は少しうれしかった。
 手を握りたいな、と彼の体温を感じたく思ったけれど、ギアチェンジをしているところだったからぐっと我慢した。その代わり、マンションに着き車を降りた後は遠慮なくその欲を満たす。
「いいの? 誰かに見られんぞ」
「いいですよ、別に。仲良しバディなんですって自慢しますから」
「仲良しって」
 くつくつと虎徹さんはおもしろそうに笑ったけれど、温度が気持ちよいから別にかまわない。
 エレベータに乗ってふたりきりの狭い箱の中で今度はキスがしたくなったけれど、でもそれはさすがに仲良しバディの範疇からはみ出すだろうと思ったので、また僕は我慢した。別に誰か見る人がいる訳ではないが。それは部屋に入ってからにしようと心の中で算段していたのに、家主を差し置いてロック解除した虎徹さんはさっさと先に進んでしまったから、なかなかかなえられない。
「虎徹さん?」
 まるで何か、目的でもあるかのようだ。
 早足で進む後をついて行けば、リビングに入った。
「虎徹さん、どうしたんです?」
「いや……あ、やっぱり」
 追いついてのぞき込んだ横顔は、僕の怪訝な表情や声なんて気にもせず、また大きな歩幅で歩き始めてしまった。
「ねえ、どうしたんですか」
「いいや」
 柔らかな声。そして、表情。
 この人は一度コンビを解散した時から、やたら穏やかな表情を浮かべるようになった。コミカルな動きも大げさな表情ももちろんするけれど、なんだか当たり前に落ち着いた年相応の気配を漂わせているのだ。それは、僕は嫌いではなかったけれど。でも同じではいられないのだなと気づかされるから、時に寂しくはなる。
 未だ一つしかないチェアとガラステーブルに、虎徹さんはまっすぐ向かった。
 そして、テーブルの上にあったものを彼らしくもなく慎重な手付きで掬い上げる。
「……それ」
「ああ。バニーはちゃんと大事にしてるだろうって思ったからさ」
 父さんと母さんと一緒に写った写真、大事にしている青いロボット、それに並んでおいてあったのは、昨日子供たちがくれたシロツメクサの冠だった。一日置いておかれたせいでしおれてしまっているけれど、今日踏みにじられた白い花はまだけなげに咲いている。
「カマ、ピロシキ、アイリーン、ガブリエル、コユキ、ボコ、ミゲル、バカがふたつづつ。そんで、俺も入れてって一個足してもらったんだ。……ここにちゃんとあるよ」
 ほら、と言って虎徹さんは僕にシロツメクサの冠を乗せる。昨日、あの子たちがしたように。
「……それ、知りませんでした」
「どれ?」
「みんなが摘んだんですか? アイリーンが必死に編んでたから、あの子だとばかり」
「ちげーよ、みんなで摘んだの。コユキがしたいっつったんだっけかな? でもあいつすげえ不器用でさ、だからアイリーンがやってくれたんだよ」
「なんだ……じゃあ、ちゃんとみんなにお礼、言わな……」
 ぼろり、と急に涙が出てびっくりした。
 なのに虎徹さんは分かってると優しい顔で僕を見ているから、困ってしまう。
「じゃあさ、今度はバニーがあいつらに作ってやればいいんじゃないか? お礼言われるよりずっと喜ぶ」
「でも」
「端っこのほうはまだまだきれいだったよ。花も咲いてる。……あそこは、なくなってねぇよ」
「でも」
「子供って結構強えぞ? 大丈夫だって。何より、あいつらが好きなのはあそこじゃなくて、お前なんだから。お前ががんばった場所でまたピクニックできりゃ喜ぶって」
 ふと、頭によぎったのは燃え尽きた家だった。
 何もなく、呆然と見た、昨日まで僕の家だった場所。
 四歳の記憶なんてそうはっきりしたものではないだろう。なのに、両親と過ごした日々のかけらと共に、あのがれきの場所は頭に焼け付いて明確に覚えている。
「……僕、が?」
「ああ。お前が」
 場所が失われても。
 家が燃えても。
 父さんと母さんがいれば、僕も失われた悲しさはなかっただろう。
 いいや、違う。これは極論だ。あの場所がなくなった寂しさと両親がいなくなった悲しさは絡み合ってもう分かたれるものではなく、……だけど。
「似合ってんなあ、バニー」
 ぼろぼろと落ちる涙が何なのか、僕には分からなかった。
 虎徹さんは泣いている僕に動揺した風でなく、だからなだめることもなく、当たり前に僕を見る。目を細め、お前がいて良かったと笑ってくれる。
「……なくなりませんか」
「ああ、当たり前だろ?」
「本当に?」
「本当に」
 子供たちと虎徹さんの愛情を頭に乗せて、僕は虎徹さんに抱きしめられる。
 とんとん、と優しく背をたたかれて、大丈夫だよとそのたびに繰り返されているかのようだった。ここにいると虎徹さんは言ってくれる。
「また行こう。来年も、その先も。あいつらが大人になってもういやだっつっても、行くぞ」
 この人と、あの子たちと。
 あの場所はそのうち変わってしまうかもしれない。公園ではあるけれど、今日に犯人らが踏み荒らした以上に取り返しのつかないレベルでなくなってしまう場所かもしれない。
 だけど、昨日の記憶は胸にある。もう、改竄されることもなく。
 少し僕はナーバスになっていたのだろう。
 虎徹さんが変わり始めている。取り巻く環境だって、少しずつ変化して庇護する子供たちが出来た。あの子たちはいつまでも子供ではないのだから、同じように今を続けることは出来ない。
 だけど、父さんと母さんの存在と同じに、僕の胸には刻まれて大事な暖かなものにもうなっている。
「……虎徹さん」
「ん?」
「一緒に行きましょうね」
「ああ、そのつもりだよ」
 僕だって、きっと変わっている。同じ場所には留まれない。
 でも、それで良い。それで大丈夫。
 虎徹さんが背を優しく撫でてくれる。それがうれしいと思う気持ちは、きっとこの先も変わらないし、枯れてしまうこのシロツメクサの花冠だって僕の記憶に焼き付いて、色あせることはないだろう。
 昨日の景色とともに。
2015.1.9..
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