top ◎  about   text
文字サイズ変更:






「お前の嘘、分かりやすいんだよ」
 ふたりきりで夜を過ごしていた。
 仕事帰りに行き慣れたダイナーで夕食と共に軽く酒を飲み、物足りない程度で店を出る。この後どちらかの家でまた飲み直すのだから、酔ったとも言えない程度の酒量がちょうど良かった。僕たちはこの街では有名なバディヒーローなのだから、人目もある場所でひどく酔っ払う訳にはいかないのだ。もちろん僕も虎徹さんも人前で醜態をさらすような飲み方をする訳ではないけれど、これも半ばはパブリックなのだと半ば諦めていた。
 最初から顔も本名も晒していた僕と、そのつもりはなかったのに結果的に顔も本名もバレてしまった虎徹さんでは、どれだけ穴場の店へ訪れても気を抜くわけにはいかない。見られているとの意識は常にあった。ワイルドタイガーの正体がバレる前ならバーナビー・ブルックスJr.であろうと隣に座るのは一般男性でプライベートなのだとの配慮も期待出来たけれど、今はさすがに無理だ。直接声を掛けて来る人がいなくとも、僕たちのうかつな行動はすぐさまネットで拡散され周知される。
 だから、穏やかな表情で仲睦まじいコンビヒーローとして食事をして、飲んでしまったからタクシーでたどり着いた虎徹さんの家で、やっと虎徹さんは素の表情を見せてくれた。
 僕たちはもうずいぶんと前から、恋人同士だ。
 抱き合ってキスをして絡み合い、体液と共に体温を均等になじませる夜を幾度も過ごしている。ワイルドタイガーが鏑木・T・虎徹だと知れ渡った時に既婚者で娘もいると知られてしまったから、この関係は秘匿されていた。例え妻はもう他界していても、娘もいるのに男性と情事にふけっている印象はあまり良くないだろうし、僕自身、女性をターゲットに王子様的な売り方をされているのだから男性の恋人がいるのはマイナスにしかならないからだ。当事者である僕たち二人の判断でもあるけれど、実を言えばこれは会社命令でもある。付き合い初めた頃、浮かれすぎていた僕たちの関係はあっさり上司に見抜かれてしまったのだ。
 それは引退する前の出来事であって、復帰後も新CEOの意向でコンビを解散させられた時も触れられなかったけれど、再びコンビを組み直して一部復帰してからも僕たちはちゃんと当初の言いつけを守っている。
 タイガー&バーナビーは、今も昔も仲の良いコンビ以上ではあり得ない。
 だから、こういうこともあり得る。
 虎徹さんが冷めた口調と共に僕に見せたのは、一冊の雑誌だった。取材を受けた記憶もない低俗なそれの見開きには、僕と見覚えのある女性モデルが、誤解してくださいと言わんばかりの近い距離で顔を寄せ合っている写真が掲載されていた。
 シュテルンビルトでたった八名しかいないヒーローは、この街独特の風潮も相まってひどく衆目を集める。ゴシップだって言わずもがなだ。顔出しをしていないからイコールで結びつくはずがない、長年KOHをつとめているスカイハイですらないことばかりでゴシップ誌をしょっちゅう賑わす。顔出ししている僕なんて当たり前にターゲットにされていた。気をつけているから事実である虎徹さんとの報道こそないものの、男女問わずこの手の雑誌での僕は恋多き男として好き勝手に書き立てられる常連だった。
 これもそのひとつで、たまたま一緒に見かければ虎徹さんは苦笑しながら大変だなあと笑ってあっと言うまに忘れるような代物だ。わざわざこんな風に、見せられることなんてつきあい始めた当初はともかく近頃はめっきりなかった。
 ああ、分かってるんだなあと僕は少し笑ってしまう。
 もっとも、笑っていられるような場合ではないのだけれど。
「……嘘?」
「ああ、嘘。分かりやすいよな」
 笑いたくなる気持ちは綺麗に隠して表情を取り繕い、何を言っているのだろうと僕は虎徹さんへ問いかければ、間髪おかずに厳しい声がよこされた。まさか不貞を疑われているのかと、いかにも心外だとこういった場に一番あり得そうな反応を僕は眇めた視線だけで返す。敢えて言葉にはしない。
 優しさの欠片もないとがった視線を重ねたままで、しばらくの静寂が訪れた。
 僕は何も言うつもりはない。こんなゴシップに対し潔白だと釈明するつもりはなかった。おそらく見通しているだろう虎徹さんは更に言葉を重ね僕の防御をはぎ取りに来るかと思ったのに、それもない。
 強い視線でお互いを屈服させようとやっきになる時間はほんのわずかだったのかもしれないけれど、もしかしてずいぶん長かったのかもしれない。時間の感覚も失念した後、虎徹さんはわずかに息を吐いて向き合っていた頭ごと視線を外した。
 端正な横顔。力の抜けた目尻に疲れが見えたような気がして、思わず僕は違うのだと力なくソファに置かれた腕を取って、向き合いたくなった。
 だけど違う、そんなことを僕は出来ない。
 気持ちを立て直し、彼の手を握らない手を傍らで握りしめる。
「……そういうの、やめろよ」
「そういうの、って何ですか」
 僕はこの人が好きだ。
 この人だけで僕の世界は構築されている訳ではないけれど、だけど欠ければ僕という存在が成り立たないのではないかと疑いを持つくらいに深い場所に彼は居座っている。
 コンビヒーローとして僕たちはこの先、ヒーローである限り分かたれることはないだろう。
 一度の解消を経たからこそ、再結成を後押ししてくれたシュテルンビルト市民が見守ってくれているから、僕と虎徹さん、ふたりが共にヒーローであればずっと一緒にあれる。
 だけど僕たちはヒーローだけでは居られない。
 楓ちゃんの父親であり、かつて幸せな婚姻をして妻を病気で亡くした鏑木虎轍は僕とは仕事の同僚であり命を預け合う相棒であって、恋人でもあるけれどそれ以上の存在ではない。
 こんなゴシップが誌面を賑わせるくらいに僕自身だって、そうだ。市民を守るヒーローではなくただのバーナビー・ブルックスJr.になってしまえば両親を失い養い親にさえ裏切られた、ただの三十前の男でしかない。
 誰かと。
 優しく美しく、僕という商品の販売戦略に乗った購買層であるシュテルンビルトで堅実に日々を過ごす女性たちが、それも仕方がないと納得する誰かとの穏やかで暖かな未来を望まれている。
 それはありがたいことなのだろう。
 売名だけでなく僕自身に焦がれ寂しさを癒やしてくれようとする、優しく素晴らしい女性はたくさんいる。決して自慢したい訳ではないが、かつて武器のひとつとして扱った僕自身の容姿は一般以上に優れていて、資産職業共におよその女性の自尊心を満たすことが出来るスペックも有していた。だから選ぼうと思えば、どれだけでも選択肢がある。四歳で失って今も焦がれ続けるそれとは違っても、暖かくて優しい普通の家庭を築ける手を持っていた。
 条件だけでなく僕を愛してくれる人だっているだろう。
 だけど、僕はこの人が良かった。自分の子供は望めない、それどころかヒーローである限りどこにも僕は幸せなのだと本当のことを言えない、そんなこの人がいい。
 虎徹さんはもちろんそれを知っている。
 これ以上なく僕が彼を愛して、彼も僕を愛している。
 だけど、彼は引け目を感じているのだ。僕に正しい家族を与えられないと言うことを。僕自身、この人でいいのかと悩んだことがあるのだから、妻が居て娘が出来た幸せを知っている彼がそれを悩むのは仕方がないだろう。何度も試そうとしたのは知っている。
 だから、僕も同じように試すのだ。
 適当で真実なんて分からない、おもしろおかしく書き立てるゴシップの誌面。
 それに登場した回数なんて僕自身ですらもう覚えていない。CMや撮影で一緒になった女優やモデル、スポンサー絡みで断れなかった企業重役の男性、時に享楽的で浮き名を流すのが人生の彩りとでも言うような俳優や、逆に禁欲的に自らの目標だけに邁進するスポーツ選手が相手だったこともあった。
 そのほとんどは身に覚えのない、ただのでっちあげだ。騒ぎ立てて問題が起きそうにない一般市民であることは今までに一度もないので、多くは売名に利用されていたのかもしれない。だけど今更低俗な誌面を賑わすそれが本当だと信じる僕のファンももうほぼいないので、どうだって構わない。予定調和で利用したいなら、その程度で汚される安い名前ではないのだから、適当に利用すればいいのだとすら思った。
 だけどその中にはごくまれにではあるが、真実もある。……今回のように。
 足の綺麗な僕と身長が五センチしか違わなかった、スレンダーな黒髪の女性モデル。気高いオーラを出して普段男性は元より人そのものを近くへ寄せ付けなさそうに思わせる彼女は、一緒に仕事をしてみれば予想外に砕けておもしろい人物だった。風評を利用して好きに遊んでいる彼女の誘いに乗ったのは、単に身長と髪質。それだけが理由だ。
 彼と同じ身長。彼と同じ人種。彼と同じ肌質と髪色。
 彼を抱こうとは不思議に思ったことはないけれど、興味を持った彼と同じ要素を持つ彼女を抱いた後に感じたのはやっぱりこれじゃないとの失望だけだった。ただの遊興としてのセックスを楽しめる彼女から、抱かれるばかりの僕が抱く技量には多大な褒め言葉をいただけたけれど、ちぐはぐな違和感だけしか僕の元には残らない。
 次の日、虎徹さんに抱かれて満足したと同時に、それは綺麗に昇華されたけれど。
「嘘じゃありませんよ」
 僕はそれだけを口にした。
 多くのデマの中から、本当を見つけてしまう虎徹さんの鋭さにはドキリとする。
 だけど僕は彼を裏切ったつもりはなかった。確かに体の上では不貞を働いているのだろう。でも、そそのかすのはあなたじゃないかと僕は言いたい。
 この人が自分ではない家庭を築ける誰かとの未来をまだ僕に夢見ているから、そうした方がいいのだろうかと僕も試すのだ。だけどその結果はこのように、この人でなければダメだとの結果しか生まない。
 嘘はない。嘘なんて、ついていない。
 このモデルを抱いてないなんて、僕はこの人に言っていないし、言い訳だってしていない。
 あなたが好き。それしか、僕の中にはない。
 なのに僕が分かりやすい嘘をついていると、この人は言うのだろうか。
 僕が僕に吐いた嘘を、この人は――。

 あなたが言うように他を見て他を試してそれでもあなたがいいのだと示さなければならないから興味もなにもない相手を抱いたそんな嘘をこの人は。

 ――見破っているのだろうか。

「ごめん」
 虎徹さんは謝って、僕を抱きしめる。
 どうして謝るのだろうと僕は不思議に思って、笑う。
「ごめん、バニー」

 謝るくらいなら、こんな嘘をもし見破っているのならば。だったら早く。
 早く、俺だけにしろと僕を縛り付けてくれればいいのにと、僕は、彼に抱きしめられたまま、笑うしか出来なかった。
 泣きたい気持ちなんて、それこそ、嘘だ。
2015.8.15..
↑gotop