密かな楽しみ
海の穏やかな日だった。
船首にはルフィが見張りを放棄してさっさと居眠りを決め込み、女性陣は芝生の上で雑誌を見ている。見当たらない人物は自分のスペースでの作業を決め込んでいるか、どこかで釣りでもしているのかもしれない。
扉さえ開けば誰がどこで何をしているのか分かったメリーとは違って、この船はとにかく広いのだ。少しばかり寂しくはあるが、ようやくトータルバウンティにふさわしい船になったとも思える。なにせ乗員全てが賞金首、しかも高額と来た。メリー号は愛すべき船であったが、その船体にごまかされ、ついつい手を出してくる雑魚が多かったのだ。それが船を痛める一因にもなっていただろう。
近頃では、それも少ない。
最も多いのは海軍との戦いで、得るものが少なくなったとナミなどはなげいているし、喧嘩と言っても向こうもそれなりの能力者を揃えてからやってくるので戦いにくくはなった。まあ、そんな事も言っていられないのだが。
なにせこの船は、目指すは海賊王の乗る船なのだから、そこらの敵にやられているようじゃあ二年の期間はなんだったんだと言う事になる。
そう。
あの二年で船員の能力は著しく向上した。
自分自身、思い出したくもないが地獄で得たものは大きかったと思っている。飽きさせない料理から体を作る料理にシフトしたのも大きいだろう、自分たちは強くなった。
昼食も終わり、しばし時間の余る時間、サンジはラウンジから扉をあけて周囲を見ながら一服するのが癖になった。
誰がどこにいるのか、気配を探る。
見えるメンバーは言わずもがな、チョッパーはそういえば気配を探るまでもなく、隣の医務室で薬の調合をしていた。ふと階下を伺えば、多分ウソップとフランキーの気配がする。どちらかが手を貸しているようだ。そしてゾロはと言えば見張り台の上。静かな様子から、これは寝てるなと踏んだ。
まだ時間はまだまだある。すこしばかりちょっかいを出したところで咎められるはずもない。
そう思い、メインマストを上り始めた。
果たして、そこには鉄板の上で大の字になって眠るゾロがいた。
痛くないのかねぇと思いはするが、全身筋肉で出来ているこの男の心配をするだけ野暮かもしれない。
無防備に寝くさった姿を見て、ふわりと笑いが落ちた。
なんてこったと自嘲もその後に浮かぶ。
この男の事が、どうやら好きらしいと感じたのは一体いつの事なのかもう分からなくなってしまった。いつでも命を張って、最前線にいる男の心配をし始めた頃なのかもしれないし、あのバラティエの大立ち回り。あの時点で既に恋に落ちていたのかもしれなかった。
さすがに言葉にも、所作にも、今まで出した事はない。――いや、一度だけ、あった。
スリラーバーグの一件だ。
あの時は頭が煮え立つと思った。仲間のために放り出していい命じゃない。彼は大剣豪となるべき男だと思った。いつだって死闘を繰り返しているが、あのときだけは本気で死を覚悟していた。だから、飛び出した。
こいつの死を見たくなかったからだ。
弱っちいことに、彼の死は自分には受け入れられないらしいと気付いたのもあの時だった。もし鷹の目との対戦のとき、自分は冷静で居られるかどうかの自信が揺らいでいる。万一に殺されるような事があれば、その寸前であの時のように飛び出してしまうのではないかと思ってしまう。そんな夢を見たことさえある。
平和に眠っている彼を、どうしたいのか。
何も色恋に巻き込みたい訳ではない。この思いは一生抱えて墓場まで持って行く覚悟は既に出来ている。今までも上手くやってきた。ただ――ただ、彼の死だけは。
受け入れられるかどうか、自信がないのだ。
「おい、何してる」
「うお。起きてやがったのか」
足下から声がして、本気で驚いた。寝汚さに掛けては世界一を既に誇って良い男だと思っていたからだ。
「何してるんだ?」
「いや、時間空いたから」
「空いたから? わざわざこんな所まで?」
「悪ィか」
急にバツの悪さを感じて、どうやってごまかそうかと思案する。
いたずらでもしようと思っていたのに、それどころでなく自分の考えに没頭してしまっていた。どれだけ時間が過ぎてしまったのかも分からない。
「悪い。ここは俺の場所だ」
寝起きの機嫌の悪そうな声で言い切られて、思わずサンジは吹き出した。
まるで子供の陣地取りのようだったからだ。
「てめェの場所じゃねェだろ、ここは見張り台だ、他のヤツにも解放しろよ」
「………」
かしかしと頭をかきながら起き上がったゾロの髪の毛は、しっかり寝癖がついて後頭部がぺしゃんこになっていた。
「訓練場所だっつった」
「誰が」
「フランキー」
子供のような単語の羅列だ。笑いたいのを我慢して、なかなか出てこない言葉を今期強く待ってやる。
「それで?」
「だから、ここはおれんだ」
「違うだろ、見張り台に見張りが居なくてどうするんだよ。てめェすぐ寝ちまうし、見張りの意味ねェし」
「夜は貸してやる」
その物言いに、ついに我慢の限界が訪れた。ぶぶーっと吹き出して、それからあはははははと派手に笑った。
「なんだよ」
あからさまに機嫌の悪くなった声。
そう。こんなバカな子程かわいい。
「そうだよな、貸してやるんだよな。だから今夜はラウンジ来い。いい酒のませてやるよ」
「ほんとか?」
あまりに早い返答にもまた笑いがこみ上げる。
この男は簡単だ。自分の手に掛かればここまで見事に機嫌の急降下をさせることが出来る。
でも。
手に入れる事は、出来ない男なのだ。
「ああ。たまにはラム以外もいいだろ、空けてやるよ」
「本当だな、確かに聞いたぞ」
「念押ししなくても、てめェよりずっとおれの方が記憶力はいいよ、安心しな」
言えば、この場所にいる事も追求されなくなった。意識は既に深夜へ飛んでいるようだ。
実を言えば、深夜のふたりきりの宴会。
サンジも楽しみである。ゾロを楽しませるつもりでいたのだが、ふたりきりで何の話が出来るのだろうと思えば、気分は浮き立った。これは卑怯者のやりかただろうか?