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これは愚かなお伽話


「ねえ、たとえばの話なんだけど」
 と、ナミは放課後、友達と話をしていた。幼なじみと言ってもいい古い付き合いの面子ばかりだ。当然、兄のゾロとサンジも知っている。
 ルフィはきょとんとした顔をしたまま焼きそばパンをかじり、ビビは真面目そうな顔でこちらを向き、ウソップとチョッパーはそれまで遊んでいた手を止めた。
「兄妹が付き合ってたとしたら、どうする?」
 全員が怪訝な顔をした。そりゃあ、そうだろう。
 この中で兄弟がいるのはルフィだけなのだし、余計に想像が付きにくいのかもしれない。
「それって普通に犯罪じゃね?」
 と、ウソップ。
「あら、犯罪じゃないわよ。ただそうね、ルール違反ってところかしら? この国じゃ三親等以内の婚姻は認められない訳だし」
「じゃあ問題ないんじゃねェの? 結婚してる訳じゃねェんだろ? 付き合うくらいいいじゃん」
「あんたは黙ってなさい」
 新しいパンを与えられ、ルフィの意識はそちらへ向かった。
「でもま、そうよね。結婚する訳じゃないんだから別に構わないのか」
「なんだよ、そのたとえ話。もしかしてお前……」
「やめてよね、あり得ないから!」
 訝しそうな目で見てきたウソップへ、ぴしゃりと言った。
 兄二人は、なんだかんだ言いつつ大好きだ。だがそれはあくまで家族としての愛情であり、それ以上ではありえない。むしろ自分の恋愛感情は別のベクトルへ向いているのだが、相手は全く気付かずさっき与えたあんぱんを食べている報われなさだ。
 まあ、いいか。
 昨晩の事を思い出して、ナミは軽いため息をついた。マイナス方向へのニュアンスのものではなかった。


 昨夜の事だ、深夜も過ぎた時間に次兄がシャワーを浴びていた。
 ひどく驚いたのだけれども、会話はしどろもどろだし、その前からなんか二階から声らしきものが聞こえて来ていた気がしたし、その後は喧嘩のような気配もあった。
 長兄と次兄がなんらかの関係にあるらしい、とは前から思っていた事だった。
 まあそれもありかと思っていたのだが、『らしい』と『断定』は別だったようで、ナミとしてはどうにも混乱が収まっていない。かろうじて朝の時間はいつもと同じように過ごせたが、帰ってからどうしようと思い、相談したのだが、この有様だ。まあ、有益な結論らしきものが出たと言えば言えるので、悪くはなかったのかもしれないけれど。
「でも男同士だし。そもそも結婚なんて出来ないし」
 帰り道、ぼそっとつぶやくと、やっぱり自分はどこか納得してないのだなと思わされてしまった。
 あの二人が? と思うが、あの二人かーとも思えるのがひどく不思議だ。
 水と油のように性質は違うのに、昔から喧嘩ばかりだったのに、仲が悪いかと言われればそうとは言えなかった。ゾロがサンジに執着してるのは昔から知ってたし、流されやすいタチのサンジの事も良く知っている。押しかけ女房? いや、旦那? どっちかと言えば旦那だなと思い、生々しさにうんざりとした。
 まもなく家につく。さて、どんな顔をしよう。

   ◆   ◆   ◆

「おかえり、ナミさん」
「なに? 早退しちゃったの?」
 鍵を開けようとしたら既に開いていて、おそるおそる入った居間にはサンジがにこにこといつものように私服でキッチンに立っていた。
「違うよ、ちゃんと行ってきたよ。帰ってきたのは、さっき。おやつ、リンゴパイにしたから」
「あ、ありがと」
 当たり前の顔をされていると、こちらも困る。同じように接するしか出来なくなってしまう。
 それにしても毎日こまめだなあと感心しながら、自分の部屋に戻って制服を着替える。カバンの中から宿題のプリントを出して、せっかく兄貴がふたりもいるのに勉強に対しては全く役に立たない事にがっかりしながら、再びリビングに出た。ナミの部屋とリビングは、短い廊下を挟んですぐだ。
「あ、いい匂い」
「もうすぐ焼けるよ〜」
「本当にまめね、サンジ君って」
「そう? 楽しいからやってるだけなんだけどね」
「それに尊敬するわ。家事なんて私、出来ないもん」
「嘘ばっか。おれが修学旅行の時、ゾロのメシ作ってたのナミさんでしょ?」
「そうだけど…文句ばっかり言われたわ。サンジ君のごはんじゃないとイヤなのよ、あいつは」
「そ、そう」
 対面キッチンの向こう側で、びくっとしたサンジの姿を、ナミは目ざとく見つける。
「外食も嫌いでしょ? サンジ君が大好きでしょうがないんだわ」
「そ、そうかな…。単におれがメシ作るの好きだから外食が少ないだけで…」
「サンジ君のが、好きなのよ」
 意図して、『の』の音を小さくした。きっと距離をおいたサンジには「サンジ君が好きなのよ」と聞こえたに違いない。
「そ、そんなことない。そんなことないよ!」
 大成功だ。サンジの動揺はハンパじゃない。
 そうだ。
 なにやらややっこしい関係に勝手になってる二人にのけものにされた私は、同じ兄弟なのだから仕返しをしてもいいはずだ。おもちゃにしちゃってもいいだろう。
 そう思った時に、チンと間抜けな音がした。
「ナミさん、出来たよ!」
 前のめりに、サンジが告げる。すぐ切り分けるからね。紅茶はどれがいい? なんていっぱい言葉を重ねて、話題を変えようと必死な姿は面白くもあった。
「そうね、ダージリンのあったかいのがいいな」
「わかったよ、ちょっと待ってね」
 ぱたぱたとキッチンを駆け回るサンジへ、ナミはそう簡単にいかないわよ、とばかりに言葉を掛ける。
「サンジ君も、ゾロが好きなんだよね」
「え?」
 聞こえなかったようで、同じ言葉を繰り返す。
 すると、渋面が帰ってきた。
「あんなアホ緑、好きな訳ないだろ。大事で大好きなのはナミさんひとりだけさ」
「でも、夕ご飯って結構ゾロの好みが多いわよね」
「そ、それは、ほら! ナミさんの好きなのってあいつ食わないし。朝ならともかく、夕食まで二品作るのは…えーと…あの、時間が」
「そっか。じゃあ、今夜はバジルのパスタがいいな。たまにはいいわよね?」
「うん!」
 準備が出来たようで、サンジがトレイに乗せてデザートを持ってきた。アップルパイにアイスクリームを添えて。ダージリンはまだポットの中だ。そして、綺麗に飾り切りしたオレンジが添えられている。
 持ってきたサンジはと言えば、じんわり汗をかいているようだった。
 それは、さっきからのナミの舌鋒のせいか、ばたばた動いていたせいか分からないのがくやしかった。

   ◆   ◆   ◆

 ナミがデザートを食べ終わった後、サンジは庭へ出た。バジルを摘みに行くのだ。
 だが、手は葉っぱをもてあそぶばかりでしゃがんだままぐーらぐーらと体が揺らぐのを止められなかった。
――あれは、絶対に気付いてる。
 デザートの時間は正直拷問だった。こんな時に限って部活でいないゾロを蹴倒したくなる。
 直接的に言われないからこそ、余計にくるものがある。ちくちくと針で突き刺されているようだ。
――ただ、否定的でない事だけが救いではあったが。
 いやでも、それでもだめだーと葉っぱを前にいじけるように座っていると、どれだけの時間が過ぎたのか玄関から直接ゾロが庭へやってきた。
「おい、何やってんだ」
「たそがれてんの」
「なんだ、そりゃ」
「てめェのせいで、おれはいま針のむしろちゃん」
「はァ?」
 本気でぱーになったのかとゾロが心配そうにサンジの顔を覗き込むと、そのまま頭突きをされた。
「ってーな!」
「そうだよ、元々はてめェが悪ィんだよ! 人の寝込み襲いやがって! なーにが覚悟だ。覚悟ごときで針のむしろが絹になるか!」
「何言ってんだ、てめェ」
「全部、お前が悪いってこと!」
 人差し指でゾロの厚い胸板の真ん中を指さし、ぐりぐりとねじりこんだ。
「ああ、まあ、おれが悪ィだろうなァ」
「開き直ってるし。もうやだ、おれ、家出ようかな」
「昨日でないっつったのは誰だよ」
「てめェとは出ないっつったの」
 険悪な空気が漂ってくる。
 そこへ、がらりと窓の開く音が聞こえた。
「あのね。ぜーんぶ、丸聞こえだから。近所に恥ずかしいから。痴話げんかなら家の中でやって」
「ナミさん!」
 そうだった。彼女の部屋は階下にあるのだ。
「生々しい会話も私に聞こえないトコでやって。好きにしていいけど、私は巻き込まないで。いいわね?」
「はっ、はい!」
 ぱしん、と窓を閉められ、今度こそ冷や汗で背中が流れた。
 ゾロの表情も凍っている。
「……取りあえず、バジル摘むから」
「どれだ」
「これ」
 並んで、バジルを摘んだ。
 なんとも奇妙な絵面だった。

   ◆   ◆   ◆

 窓を閉めて、ナミはため息をついた。
 まさかまさかをあんなにあっさり肯定されたら、もうどうしようもない。
 後は遊ぶしかない。ただ、ご近所さんには外聞も悪いので、あの頭の悪い痴話げんかは家の中でだけにさせようと決意するしかなかった。
――お父さん、お母さん、我が家の男二人は出来てます。
――どうしましょうか?
 心の中で問いかけたら、黒髪の鮮やかな母はにこにこ笑って、あら、仲が良くていいじゃないと言いそうだと思ってがっかりした。工学研究のために体の一部をサイボーグ化させている父も、面白ェじゃねえか、と言う姿が思い浮かぶ。
 ああ、この家の常識人は私ひとりだと、愕然とするしかない。
 せめて現場に遭遇しないように気をつけよう、と思うしかなかった。
2011.3.24.
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