まただ、と、夜明け前、目が覚めるには早い時間にサンジは気がついて起き出す。
昨晩の余韻を残したままの室内は淫靡だ。早く空気を入れ換えなければならない。なのに、自分の体はがっちりとホールドされているかのように、抱きしめられているのだ。まもなく冬島の海域に入るのだが、それは関係ない。夏島の暑い最中も同じようにされていた。
単にお互い酔いに流されて始まった筈の関係だった。特別な思いはそこにない。
お互い、良い年頃だしすっきりしていいんじゃねェの程度の関係だったはずだ。
なのに、ここ最近、こうやって寝込んでいる間にまるで恋人同士であるかのように抱きしめられている事が多い。これは、正直困る。そういうつもりではないのだ。
もしかしてゾロは、体の関係から情に流されてしまったのかもしれないが、残念ながらこちらは答えられない。困った、と思いながらもぞもぞと腕をほどいて体を抜き出した。
この船になってから、浴室が誰に気にする事もなく使えるようになったのは喜ばしいことだ。前の船は女部屋が階下にあったため、気になって仕方なかったのだ。
ラウンジの窓を開けて、起きろとばかりにゾロに蹴りを一つくれ、さまざまな液体が乾いたかぴかぴの体を洗うためにラフに衣服を着込んで浴室へと向かった。
広すぎて、少しばかり落ち着かないのは内緒のお話だけれども。人間というのは贅沢に出来ている。
すっきり体を洗い流し、ラウンジへ戻って来ればまだゾロは同じ姿勢で眠ったままだった。
次は冬島だと言う。そろそろ気候も安定し始め、開けっ放しの窓から入り込む空気は冷たいだろうに、半裸のままだ。
「おーい、起きろよ。もうすぐみんな起きてくるぜ。先に風呂入って来い」
言葉は優しげだが、げしげしと派手に蹴りを入れながらの発言だ。軽い蹴りじゃあ起きないのは経験済み。かなり本気の蹴りだ。
「るせェな…」
「るせェじゃねェよ、早く起きろ。その姿をみんなにお披露目でもするつもりか?」
それに部屋の片付けもある。こぼれ落ちた精液やあれこれを拭き取っておきたいのだ。
「はァ」
いかにも大仰に、ゾロは起き出した。
とっとと起きろと今一度蹴りを入れ、それがだめ押しとなった。
「起きる、分かったからやめろ、もう」
「とっととしろよ、てめェは」
「るせェっつってるだろ。まだ時間あるじゃねェか、早すぎンだよ、てめェは」
「早くねェよ、おれには仕事もあるし、掃除もある」
「掃除?」
「誰かさんの汚したお床とかですね」
「ああ…」
「それくらい、やっててくれるか?」
言うえば簡単にゾロは頷いて、サンジは逆に驚いた。今まで一度たりともそんな事はなかったからだ。それ以前に、こちらから告げることもなかったのだけれども。もしかしたら早い事言っておけば、やっててくれてたんじゃねェのと損した気分にもなる。
「取りあえず風呂行って来い。シャワーな、湯は溜めるなよ、もったいない」
「わァってるわァってる」
ひらひらと手を振って彼は出て行った。
そう。新しいお風呂は広くて気持ち良いのだが、一人のために湯を張るには広すぎてもったいないのが残念なのだ。無茶をされた翌日などは湯につかりたいところだけれども、シャワーで我慢せざるを得ない。フランキーにジャグジーでも作ってくれと言えば簡単に作ってくれそうな気もするが、なんとなく理由が理由なだけに気が引けた。
掃除をしなくて良いのなら、朝食に時間がじっくり掛けられる。
これはラッキーかもしれないと、久しぶりにパンを焼こうと思った。作り置いてあるものはあるが、焼きたてに勝るものはないだろう。早速粉を出して、練り始める。
すると、カラスの行水かくや、ゾロが戻ってきた。
「ここか?」
「見りゃ分かンだろ」
雑巾を投げやると、素直に掃除を始める。珍しい姿だ。彼が、自分の思い通りになるなんて。
雑だが一応の掃除を終えると、こちらもパンの準備が整った。後は寝かせて形成させて、焼くだけだ。他のメニューに手を付けるにはまだ若干早い時間だった。
「これでいいか?」
「おお、雑だな」
「いいのか、と聞いてるんだが?」
「構わねェよ、OK、OK。もう分からない」
よし、と答えを聞いてうなずくと、彼はカウンタの内側へやってきた。
「おい、どうした?」
「洗うんだが?」
「やめろよ、ここは食材使うんだぞ? 洗うなら男部屋まで戻れ」
「お前、いつもこんな事してたのか?」
「当たり前だろ」
まさか情事の痕跡を残して置くわけにはいかない。そして、清浄であるべきシンクで雑巾を洗う訳にもいかなかった。
「すまなかった」
彼は言うと、肩に頭を乗せてくる。反省を示しているのだろうが、少しこれは変だ。
と、言うか、妙だ。こんな甘えた関係ではないとさっき確認したところだ。
「謝るくらいなら、とっとと行ってこい」
「おう、分かった」
そして、頬にキスを残して彼は去って行った。
――キス?
頬に? キス? ゾロが?
思考がしばらく静止した。凍り付いて動けなくなる。
これは、大事になる前に手を打たなくてはいけないと考え始めるのはそれから十秒後の事だ。
尤も、それは功を奏しなかったと知るのはそれから十日ばかり過ぎた後の事になるのだが。
朝早くに抱きしめてくる腕を幸福な思いで受け止めるには、それからもっと過ぎた頃に諦めと共に受け入れた。