ゾロがやってきたのは、深夜も過ぎた時間だった。手を出して良いほとんどの酒は階下のアクアリウムに置くようになったので、メリー号の時のようにこんな風に深夜に彼が現れるのは珍しい事だった。
それを、少し寂しく思っていたのは内緒だ。
一人で翌日の準備をしながら、時折喧嘩に発展するやりとりもそれなりのコミニュケーションだったのだと今頃になって思い知った。
だから、ちょっと顔を出した事に気を良くしてしまったのは、サンジの迂闊さだった。
「おい、つまみ作れ」
「あァ? おれ様は今忙しい、見て分かんねェか?」
丁度明日の朝出すつもりのポタージュを作っていた時だった。カボチャを裏ごしする作業は結構力が必要で、係りっきりになってしまう。
「お前がいつも言ってんだろ、酒ばっか呑むなって」
「ああ、そりゃあそうだけど。時とタイミングを計れよ、タイミング悪ィな、てめェ」
人数の多くなった船では、裏ごしするカボチャの量も多い。三つ使ってもまだ足りないくらいだ。今は、まだ一つ目に手を付けたところだった。
「それじゃ、いい。邪魔して悪かったな」
「ちょ、ちょっと待て! 酒ばっか呑むんじゃねェ」
「だから、無理なんだろ? 呑むしかねェじゃねェか」
「酒を我慢するっつー意気込みはねェわけか?」
「ねェ」
あっさり言い切ると、そのまま出て行こうとした。ただでさえ、ここ最近は多分酒だけをかっくらっている筈だ。もちろんアクアリウムの残りボトルの確認もサンジの仕事の内だ。毎日減っていくその残量に、呆れながらも諦めてはいた。だが、珍しくここへ来たのだから、せめてつまみは食わせたかった。
「ちょっとそこ座ってろ。どうにかすっから」
「………おう」
一個分のカボチャの裏ごしを終えた。そこで、一旦手を止める事にした。
カボチャが熱いうちに裏ごしは終えた方が楽なのだが、呼び止めてしまった以上仕方ない。
「魚と肉、どっちがいい?」
今日はルフィらの漁が大量だった。いけすには大量の魚が泳いでいる。それに、まだ新鮮な肉が冷蔵庫にも眠っていた。どうせ酒の肴だ、大した量を使う訳ではない。どっちのリクエストにも応えられた。
「魚」
あっさりとしたものだ。一言で返されたそれに、サンジは苦笑する。
「お前ねェ、期待裏切らないね、ちょっとはおもしろみのある事言ってみろよ」
「分かってんなら最初から聞くなよ、面倒臭ェ」
「じゃあ、ちょっと待ってな。刺身作ってやる。大好きだろ、ソイソース」
言ってサンジはラウンジを後にした。いけすから魚を引き揚げなければならないからだ。
「おい、どこ行くんだよ。人の事呼び止めておいて」
「魚だろ、いけす行くんだよ。新鮮なのが山盛りだ」
「へェ」
興味を惹かれたようで、ゾロも付いてきた。珍しい訳でもあるまい。どうせさっきまでアクアリウムにいたのだから、中で泳いでいる魚はゾロ自身も見ている筈だ。
開きをギィ、と持ち上げて、大きな網を用意する。
「何が食いてェ?」
「どれでもいい」
上から一緒に覗き込んだくせに、それだ。面白みのない男だ。と、思い。
にやりと笑いが浮かんだ。
「どうせだから選べよ、ほら。覗いてみろ」
と、ゾロを前に立たせた。そしてそのまま尻を蹴る。
ばしゃーん、と、派手な音がしたのは爽快だった。
「はっはははは! すげえ! マジ決まり!」
「てめッ!」
ばしゃ、とはい上がって来たゾロは凶悪な目をしていた。自分に向けられるのは、久しぶりの目だ。なんだか懐かしいなーと思いながら、楽しくなってくる。
「お前、どんくさすぎ。なまってんじゃねェの?」
「そんな訳あるか! てめェだからと思って…」
「思って? で?」
にやにやと笑いながら、煙草を取り出してくわえてみる。どうやら思いもよらず、面白い事が聞けそうな気がした。
「……っ、言うか、このアホ!」
「アホとか言うな、ボケ!」
促したのがマズかった。せっかくの言葉を聞き逃してしまい、ちぇっと思う。
それじゃあ喧嘩でもすっかね、と、トントンと靴のつま先を床にたたきつけた。ここは喧嘩するにはちょっと狭い。だが、だからこそ丁度いいだろう。お互いにとって良いハンデだ。
上がって来ようとする頭を踏みつけると、一度どぼんと彼は沈み込んだ。
「おいおい、ガラス割んのは反則だぜ?」
と、危惧したのも一瞬。
勢いを付けて底から泳いでくると、その勢いを借りたまま、手を入り口に掛けて簡単に身を甲板へ戻した。
「てめェ、分かってんだろうな」
「ああ、久しぶりに楽しませてもらうぜ」
後は、お決まりの通りだ。狭いので若干手間取ったが、十分に体を動かせてもらった。ゾロに取っては相当のハンデとなったようで、剣を振り回すのを途中でやめ、珍しく体技で攻めて来た。
珍しい動きにはこちらもなかなか行動を読み辛い。結構な混戦となった。
鳩尾に一発、蹴りを入れたところで決着がついた。とは言え、痛み分けと言ったところだ。
こちらも頬を殴られたし、左肩を少しやられてる。
「っくしょ、コックさんの大事な手ェやりやがって」
「自業自得だろ」
しくしく痛むのだろう、結構手加減しなかった鳩尾をさすりながら、けほと一度咳き込んで、ゾロが言う。
「魚は適当でいいな」
「おう」
ざば、と開きっぱなしのいけすから一匹イキのいいのをすくい取った。
「いい運動したし、酒も旨ェんじゃね?」
「アホか、いらねェ事させられたよ。ちくしょう……服着替えなきゃいけねェじゃないか」
「じゃ、風呂でも入って来い。その間に用意しといてやる」
ああ、とゾロは浴室へと向かって行った。
何故か喧嘩の後は、こんな調子だ。引きずらない。なんだかひどく仲良しみたいじゃないかと思って、笑いが浮かんだ。
生け捕ったばかりの魚を片手に、サンジはキッチンへ向かった。
多分シャワーをざっとかぶっただけだったのだろう。ゾロが戻って来たのはすぐの事だった。
残念ながら、カボチャは冷めてしまっている。後でもう一度火を入れるか、固いのを覚悟の上で裏ごししなければいけないだろう。
刺身は、既に出来ていた。
「ほらよ」
「おっ」
姿作りにしたそれに、ゾロの頬が緩む。もうとっくに風呂に入る羽目になった事は忘れているようだった。ソイソースとすり下ろしたわさび(手に入れるには随分苦労した。今じゃ、栽培している)を手渡すと、彼はほくほくとこちらを向いた席に座り、刺身を食べ始める。
酒は半ばなくなっていた。あれじゃあ足りないだろうと思い、新しいボトルを一本食料庫から取り出し、投げてやる。
「いいのか?」
「足りねェだろ?」
「ああ、さんきゅ」
そして、彼は黙々と刺身を食べ、酒を飲み始めた。
こちらは熱を入れるとまた味が変わってしまうので、諦めて固くなったカボチャの裏ごし再開だ。
「なあ、お前酒くらいしか好きなのねェの?」
「刺身も好きだが」
「いや、そういう訳じゃなくて」
食料の好みは知っている。そうでなくてはこの船のコックは勤まらない。
「女の子の好みとか、おれら同じ歳なのに今まで話した事とかってねェじゃん」
「お前みたいに誰でもいいって訳じゃねェけど、好みっつーのはねェな」
「あ、そ」
前半はなかなか聞き捨てならないが、つまらない答えだった。
「まあ、今好きなヤツはいる」
「え? マジで?!」
思わず手が止まった。ゾロに好きな人間? そんなものが?
「人間らしいじゃねェか、誰だ、どんなヤツ?」
「生意気で気ィ強くって実際強ェけど、頭の弱いヤツ」
「なんだ? そりゃあ海賊か?」
なんとも抽象的な言葉が返って来て、止まった手を再開させた。
「最後のそりゃなんだよ。アホな子が好きなのか、てめェ」
「まあ、そうだな」
と答え、笑いの気配が伝わってきた。ちらりと視線を上げれば彼は確かに笑っている。
珍しい。
「また会えるヤツか?」
作業は続けながら、問いかける。外見とか性格を聞きたいのに、どうにもゾロの解答はずれている。
「まあな」
「で、どんなヤツ?」
「だから…」
「いや、アホっつーか、可愛い? 天然ちゃんなのかな? そんな子が好きだっつーのは分かった。外見は?」
「お前」
「は?」
反射的に頭を上げた。
「お前だよ、アホ。最初ので気付け」
「は?」
頭がついていかなかった。何を言ってるんだ、こいつ?
ずかずか近づいてきたゾロに対して、その顔を見続けるだけで思考は停止したままだった。
だから、口づけされた時も目を見開いたままで、何をされているのか分からなかった。
「ちょ、ちょっと待て、こんなのを望んでたんじゃねェ!」
唇を割られ、舌を潜り込まされてもまだサンジは呆けていた。何をしてるんだ????と疑問符が山のように頭を支配して呆然としていたのだ。
だが、それに調子を良くしたのか、服を脱がそうとし始めた時点でようやく現実に戻ってこれた。
「なにやってんだ、てめェ!」
「なにって、セックス?」
「しれっと言ってんじゃねェ! 誰がOKだと言った!」
「なんだよ、抵抗しなかったじゃねェか」
「あっけにとられてたんだよ!」
解かれたボタンをかき合わせ、思わず後ずさる。深い口づけをされていた口元は、唾液で濡れていた。それを手の甲でぬぐうと、その生々しさに今更ながらぞわりとした感覚に襲われた。
「お前……本気か?」
「本気じゃなきゃ、誰が男相手に」
「い、いつから……っ」
「さあ。おれも覚えてねェ」
「そんな適当な…」
肩の力が抜ける。なんだか泣きたいような気持ちだった。
決してイヤではなかった。キスされていた時は呆然としていたけれど、記憶はある。思い返せば、嫌悪感ではなく頬に血が上って行くのを感じた。
「適当でもなんでもいいだろ。てめェが好きだ。多分、随分前から」
「……おれは、どう答えればいいんだ?」
「好きだって言え」
「勝手だな」
「イヤじゃなかっただろ?」
頬に昇った血は真っ赤に染めてしまっているだろう。耳まで熱く感じるのだから、取り消しは聞かない。これじゃあ、言葉にするより分かりやすい。
ただ、目の前の男は鈍感だ。
きっと言葉にしない限り、確信は持たないだろう。
「ほれ」
頬に手を添えられる。そして、そのまま顎を持ち上げられた。
「ちょ……っ」
「顔、真っ赤」
ニヤリと笑って、動揺している内に、再び唇を奪われた。
今度は完全に同意になってしまう。動揺しているとは言え、抵抗の余地がある。
だが何故か、自分はそうしなかった。
とんとんと舌先が唇をノックしてくる。素直に従う所以など有るわけないのに、素直に唇を開いて、彼の舌を迎え入れていた。
このまま流されてしまったら、どうなってしまうのだろう。
確かに、彼との関係は好きだった。
それと恋愛の好きとを結び付けた事はなかったのに、どうしてこんなにイヤじゃないのだろう。
困惑するしかなかった。
「続きは、また今度な」
ぼうっとしてしまう程の長いキスだった。完全に飲まれてた。
まだどこか現実味のないサンジの髪をくしゃりと撫で、ゾロは出て行く。
テーブルの上に出したものは、既に綺麗に片付けられた後だった。
どうしよう、とサンジは思った。
まるで少女みたいだと思い、それでようやく自分を取り戻して、笑った。
どうしようもない。続きは、また今度なのだ。
その時までに考えればいいと、明日の朝の準備を再開させた。
動揺は隠しようもなかったけれど。