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全て夢で終わる 2


 体調の回復を待って、彼はジェレミア卿の元へ移された。
 まだ、彼は自分が生きているのを納得していないようだ。だが、一度生かされた命を再び自分の手で投げ出そうとしていない事だけは救いではあった。献身的なジェレミアとアーニャの看護、そして使命をつきつけるスザクの存在があったからだろう。
 本当は優しく接したいのに、今はまだそんな事が出来る時点でないのは、あらかじめ承知済みの事だったが、正直、スザクにはつらくもあった。彼が生きているのを喜んでいるのは、きっと、多分、ナナリーに次いで自分だろうからだ。
 幼い頃からの友達だった。大事な恋人だった。
 不幸な事故がお互いの仲を違えさせた頃もあったけれども、気持ちは変わっていない。いや、取り戻した、と言うべきか。
 彼がジェレミアの手に入れた自家用ジェットで運び出されるとき、スザクは見送らなかった。
 いずれ、また会える。そう今は確信出来ているからだ。



 世界はめまぐるしい勢いで変わって行こうとしている。
 それにゼロとして付いて行くのは、直前にルルーシュから講義を受けていたとは言え、なかなかの難題だった。イレギュラーはどこにでも起きる。その度、聡明に育った彼の妹と、兄が補佐として立ち、超合衆国議長の神楽耶が上手く立ち回っていた。自分は飾り物にすぎないな、と自嘲が浮かぶ事もあった。だが、まだまだこの世界にはゼロという象徴が必要だ。
 シュナイゼルをブレインとして残しておいてくれた事には、本当に感謝していた。元々秀逸な人物だった。ギアスに掛けられ傀儡とさせられたとしても、その頭脳の冴えは変わりない。
 彼に助けられる事もしばしばだった。
「ゼロ様、お迎えにあがりましたわ」
 神楽耶が、現在の私邸にしてあるスザクの元へやって来たのはルルーシュがジェレミアの元へ移って三ヶ月もした頃だろうか。自家用ジェットで乗り付けた彼女は、そのままゼロの扮装をしているスザクを再び同じ機内へと押し込んだ。
「どうした? 今日は大事な会合があった訳ではない筈だが」
「出来ましたの、大事な事が」
 そして、書類を手渡される。そこにはゼロレクイエム前にルルーシュが超合衆国に併呑させた地域――レアメタルの採取出来る場所の概要と、現在の利権問題が書かれていた。
「これ……」
「少し問題になっていたんですの。でも、今日になって現地の人間がついに蜂起したのです。ゼロ様の出番です、まだ蜂起と言っても一般市民の集団に過ぎません、黒の騎士団は出したくありませんわ」
「これにはバックがいるね」
「あら、冴えてますのね。そのようです。レアメタルを巡って、中華とEUが民衆を煽動していると言う噂があります。どこまで本当かは分かりませんけど」
 おそらくそれは、本当だろう。国名は違ったとしても外部勢力による蜂起に違いない。
 すごいよ、ルルーシュ。と、心の中でスザクは語りかける。彼が想定していた通りになった。今は超合衆国圏内にあるから小規模で収まっているものの、放置されていたら文字通り奪い合いに発展していただろう。
「この事例は予想済みだ。そのために超合衆国下にあの地域を置いた。わかるな、神楽耶殿。あなたの手腕も問われます」
「もちろん、承知しています」
 世界が早く動くせいか、彼女も早く大人にならざるを得なかったのだろう。浮かぶ表情は冷静な一人の女性を思わせる。元から大人びた子供だった。幼い頃はいたずらばかりをし、時にいじめられひどい目にあったけれども、少なくともキョウトを名乗り、黒の騎士団を支援していた頃から聡明であったらしい。
 いとこの変貌ぶりには目を見張るが、彼女の存在がなくては今の世界が立ち行かないのも事実だった。神楽耶の優秀さは、誰からも認められるものだ。
 女版ルルーシュだな、と心の中でひとりごちて、苦笑した。
「なんですの? わたくしの事、さっきからじろじろとご覧になって」
「いえ、貴方がいなくなればこれからの世界は立ち行かないなと思っていたのですよ」
「まあ。心にもないことを」
「本当ですよ」
 彼女はゼロが本当は誰なのかを知っている。なので、二人きりの時に時折素を見せる事があった。
「あなたに信頼されるようになったら、わたくしもおしまいですわ」
「ひどい言い様ですね」
「だって」
 と、言いかけた言葉をストップさせる。この先はふたりきりでもしてはいけないたぐいの会話だ。
「………申し訳、ありません」
「いえ。こちらこそ気が緩みました。神楽耶殿のせいではありません」
 彼女は、すこしだけしおらしくしゅんとした気配を漂わせ、書類に再び視線を落とした。
「あの方は?」
「まだ。私の方へは連絡がありません」
「そうですの」
 伏せられた名はどちらも了解している。ジェレミアには連絡を取っているが、ルルーシュ自体が通信に出ようとしなければ、状態も伝えるなと言っているらしいのだ。
 こちらのわがままで起こした出来事だ。彼が納得するまで付き合おうと、気を長く持つことにしている。
「それで、この権益ですが……」
「超合衆国での国際的平等の分配が望ましいかと思われます。サクラダイトと同じ扱いにしてはいかがかと」
「そう……そうですわね。そうすべきですね」
 それは、残された言葉として受け取ったものだったのだろう。
 彼女は少しだけ感慨深そうに、涙を浮かべそうになるのを我慢する顔をしていた。
「こう見えてもわたくし、あなたの妻だったんですわ」
「それはもう無効だろう? 私ではなく…」
 彼女は人差し指を唇に当てて、言葉をストップさせた。
 自ら告白してどうするつもりなのだ。ひどい失態を犯す所だった。
「でも、そうですわね。私もあなたの妻は遠慮したく存じます」
「聞けば、貴方は私の事を随分理解していたと言う」
「どなたから?」
「C.C.から。一番本質を理解していたのは貴方だと言っていた」
「そうですの。それは、嬉しい事です」
 くすりと笑ったが、涙の気配は残ったままだった。彼は生きている。だが、もう二度と彼女が妻と名乗る事は出来なくなってしまった。そして、C.C.の言う事が本当だとすれば、本質を知っていながら防げなかったこの事態をひどく悔いているのかもしれない。それは、ゼロレクイエムの全貌に気付いた全ての人間が抱いている悔恨だけれども。
 申し訳ない事をした、と今では思っている。
 だが、あの手しかなかったと今でも思っている。
 こうして世界はひとつになった。彼の想い描いた通りに。



 現地にて演説を行えば、蜂起した人間もゼロが現れた事により、少しの混乱と落ち着きを取り戻した。
 この地は超合衆国の制圧下であること。採取されるレアメタルも、同じく。富の偏りがあってはいけない、サクラダイトと同じく、均衡に世界へ分配される事を告げれば、不満は出たがおおまかな納得を得る事が出来た。
 ゼロという存在が持つ力はひどく大きい。同じ事を神楽耶の口から告げても、納得は得られなかっただろう。それは、背後に黒の騎士団という軍隊がある事も由来しているかもしれない。
 蜂起をこれ以上続ければ、制圧に出る事もやむなしとなってしまうからだ。
 それを騎士団トップのゼロが現地に現れた事によって、現実味を帯びてしまった。
 だからこその、早期解決だったのだろう。
「富は分配される。誰かだけが富む世界は既に皆、飽きた筈だ。採取される側になることも、採取する側になる事も、これから先も私は許さない」
 演説をそう締めくくれば、どこからかゼロコールが始まり、やがて民衆の全てがゼロの名を呼んだ。
 こんな自分でも出来る事があるのだと、納得させられた。



 早期解決に礼を言われ、送り届けられたスザクは、私邸で再びの驚きに出会う事になる。
 到着は深夜を過ぎていた。衣服を脱ぎ去り、シャワーでも早く浴びて寝ようと思っていた頃に響いた通信のコール。表示されるのは、ジェレミアの名前。
「なにかあったのか?!」
 こんな時間帯だ。時差をいつも考慮している彼らしくない。
 非常事態でも起きたのかと声に緊張が増した。
『焦り過ぎだ、ゼロ』
 音声のみの通信。しかし、この声は――
『今日の演説、聞かせてもらった。想定済みの問題であったとは言え、合格点だ』
「ルルーシュ!」
『その人間は死んだ。だから、そう簡単に呼ばないでいただきたい』
「体調は? 具合はもういいの?」
 音声のみと気付き、慌ててスザクは仮面を脱いだ。汗にまみれた髪が額にくっつくけど、そんな事を気にしてはいられない。
『おいおい、そんな調子で大丈夫なのか? 言葉が滅茶苦茶だ。守秘回線とは言え、盗聴でもされていればどうする』
 笑いの気配がする。
 望んでいた、ずっと待ち望んでいた存在の、柔らかな気配。
「君から通信が入った時点で、盗聴されていたとすればアウトだよ。それに僕が本当のゼロじゃないことくらい、知っている人間は知ってる」
『そうじゃない人間にまでバラすなよ?』
 声は柔らかい。
「具合、良さそうだね」
『ああ、ここは過ごし易い。気持ちよく静養させてもらっているよ。いずれ政治の裏舞台に戻るとしても、この休暇はありがたかった。ありがとう、スザク』
 彼は、最後にわざわざ名前を呼んだ。何気なく、ついと言った調子ではあったけれども意図的であることは、スザクにも分かった。
「まだ、休んでていいんだからね。全治は一年。それが君の休養期間だ」
『飽きてしまいそうだな』
 笑い声。
 おもわず、涙が頬を伝っている事にスザクは気付けなかった。
「それなら、今回のような事が起こったときのための草稿を作っておいてよ」
『それくらい自分でしろ。俺は静養中だ』
「分かったよ……。うん、分かった」
『っと、ジェレミアがうるさい。そろそろ切るぞ』
「あ、うん。また、こうやって通信してくれる?」
『お前がゼロをきちんと努めていれば』
 そして、あっさりと通信は切れた。
 ようやく涙が落ちている事に気付いたスザクは、タオルを手に、そのまま衣服を脱ぎさりシャワールームへ向かう。
 柔らかな声だった。甘い声だった。知っている、誰よりも愛おしい声だった。
 ほぼ自動的にシャワーを浴び、頭から全身ずぶぬれになって、泡まみれになって、流し終わるとその場に思わず座り込んだ。
「ルルーシュ」
 小さな声で名前を呼ぶ。
 そして、再び涙が溢れ出した。
 こんなに、彼に飢えていたとは自分でも知らなかった。



 通信を終えると、傍らに待機していたジェレミアが笑っていた。
「どういう心境の変化ですか?」
「いや。単に、出来を誉めただけだよ。俺の生徒のね」
 軽く言うと、ジェレミアに支えられ、席を立つ。まだ胸の中央部分は身動きをすれば痛む。それに耐えながら彼に体重を預けると、そのまま抱えられ、ベッドへと連れられて行った。
「そんな事をおっしゃっていますが、本当はもう許してらっしゃるのでしょう?」
 ジェレミアは、ベッドに主を横たえ、穏やかに笑みを浮かべる。
 そう、とっくに許したのだ。
 ここの緩やかな時間の経過と優しい人たちに囲まれ、平和を思い知った時に、自分でそれを見る事が出来た事に感謝した。そして、それをスザクが意図していたのだとも思った。
 あそこで死ぬ事は必須だったとは、今でも思っている。
 だが、死んだと世界中を騙すのも自分らしくて良いじゃないかとも思い始めていた。何もかもを嘘でだましていたのがルルーシュ・ヴィ・ブリタニアという人間だったのだから最後までその姿勢を貫いても問題はあるまい、との諦念めいた気持ちでもあった。
「許しているかどうかは、俺には分からない。ただ」
「ただ?」
「この世界が見れる事は、感謝している」
 スザク、と語りかけた。あれほどひどい拒絶しか示さなかった人間に対し、柔らかな言葉を用いた。それで全てだ。何もかもがそれで理解出来るだろう。
「私も、あなたと一緒にこの世界にいれる事は無上の幸せですよ」
「おおげさだな、ジェレミア」
 笑うと、扉が開いてアーニャがやってきた。
「ルルーシュ、薬」
 時差の関係で、スザクの元では深夜だったがこちらは昼を過ぎている。通信を先に行ってしまった事に、アーニャは静かに怒っているようだった。
「すまなかった、ありがとう」
 痛み止めと化膿止めの錠剤を数錠。水とともに流し込むと、ようやくアーニャは納得したようで半ば水の残るコップを引き取った。
「食後は先に薬。絶対に」
「分かった、すまなかった。これからはもうしない」
 こくり、と彼女は頷く。なにげにここで一番権力を持っているのは彼女かもしれなかった。言葉少なに意思を貫く。
「しかし、どうしてこの映像を?」
 まだベッドに住民であるルルーシュがテレビ画面を見る機会は滅多にない。それをタイミングよく、しかも荒い映像を見れたのは奇跡に近かった。
「通信があったんだよ、神楽耶嬢から」
「神楽耶様から?」
「ああ。まさかここの通信コードがバレていたとは思わなかったな。変更をしておかないと」
 この分だと、この映像が撮られていたことも、全世界へ放映されていたことも、スザクはきっと知らないだろう。彼女の独断だとルルーシュは判断する。
 その通り、彼は彼女との極秘作戦だとばかり思い込んでいたので、先ほどの通信の不自然さに気付いていなかったのは偏にルルーシュとの通信という驚きからのみだろう。
「映像が荒すぎるんだ。神楽耶嬢には少しアドバイスしておきたいところだが、まだ俺の出番じゃないな。放っておこう」
 言って、ルルーシュは訪れた柔らかな眠気に身を任せた。
 薬には鎮静成分も入っている。眠って治す事も必要なのだ。



 部屋に戻り、先ほどの通信を心の中で反芻しながらスザクは簡易な服装に改める。夜着というのは着ない。何があるかまだ分からない世情だからだ。すぐにゼロの服装へ改められるよう、一人の時は簡単に脱ぎ着出来るものしか身につけていなかった。
 まだ心臓が強く脈打っている。それは、時間を増すに連れて大きくなって行くような気がした。
 彼からの通信は優しい声音だった。スザク、と名を呼んだ。
 あれほど拒絶されていたのに、どういう心境の変化だったのだろう。生きる事を認めてくれたのだろうか。
 期待に、胸は膨らむ。
 ここで過ごしていたのは二ヶ月近くだったから、彼の残りの休養時間はほぼ半年となる。長いな、と焦りに似たものを感じてしまった。
 気を長く持とうと思っていたところなのに、たった一度の通信で、一言の言葉で、こんなに心が揺れてしまう。
 彼に早く会いたかった。



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2011.3.31.
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