沈黙を挟んだ後、ルルーシュはナナリーの居所を聞いてきた。
知っているのだろう? と。
それに頷き、答える。
「彼女は今、ブリタニア本国にいる。無事だ。いずれ皇族復帰し、エリア11の総督として訪れる」
「バカな。また、利用されていると言うのか」
「違うよ、これは彼女の意志だ。ユフィの意志を継いで、優しい世界を作るためにエリア11の総督を申し出る。それを皇帝は受諾した。そして、特区日本を再び再現させようとする」
「……無理だ。もう、特区日本は…」
自分が汚した。苦しそうな声だった。ああ、本当に悔いていたのだと、あれからわずかの時間も置かない今だからこそ良く分かる。あの電話では普通にしていたのに、彼は本当に泣いていたのだろう。
なかなか信じようとしなかった過去の自分へ、今、殴りたい気持ちになった。
「もちろん、成功しなかった。君がぶち壊した」
「俺が?!」
ナナリーの、夢を? 壊した? そう、続く。
「そう。裏取引でゼロを国外逃亡させる事を約束してきた。その代わりに、100万人を集めようと。もちろん日本人は再びの特区日本に懐疑的だったよ。だが君は本当に100万人を集めて来た。そして、全てにゼロの扮装をさせ、国外逃亡させた。――結果的に、日本は平和になった。不穏分子が100万人消えた訳だからね」
「そういう、ことか。はは、いかにも俺がやりそうな事だ」
だが、ナナリーの皇族復帰にはやはり合点がいかないようだった。
「警備担当は僕だった。だからこそ、攻撃しないとの信頼を置いてくれていたようだ。そのことについては礼を言いたいと思っていた。ありがとう」
「記憶にもない事で礼を言われても困る。そう思うなら、この戒めを解いてくれないか」
「それとこれとは話が別だよ。今ほどけば、確実に君は逃げる。君を逃がす事は出来ない。なんのために……」
未来から、戻って来たと。と、言いかけ慌てて言葉を遮った。それを自分の口で言えば、一気に嘘くさくなってしまう。自分でぶち壊してどうするんだと呆れる。
「作り話にしては良く出来ている。では…」
そうやって、夜の時間中ルルーシュは未来について自分が語らなかった事、些細な事を尋ねて来た。
知っている事に関しては逐一丁寧に説明した。信じてくれればいい、そう願いながら。
そしてようやく朝の気配が窓から射し込んで来た頃に、今度こそはっきり見えるルルーシュの表情が訝しげにゆがんでいる事に気がついた。
「作り話にしては出来すぎている。整合性がとれすぎている。スザクの頭で、こんな内容は作れない筈だ」
「酷いな」
「事実を述べているだけだ。お前は――何者だ?」
「未来から来た、って言ったら信じる?」
「頭がおかしくなったんだなと病院にくらいは連れて行ってやるよ」
乾いた笑い声で、やはり信じてはもらえなかった。
「もしやC.C.と契約した訳ではあるまい。もしくは、そのV.V.とやらと」
「黙秘させてもらう」
「やっぱり。お前もギアス持ちか」
「黙秘、だよ。君がそう思うなら思っておけばいい。僕は答えない。絶対に」
「分かった。そう判断させてもらおう」
完全に朝が来た。そうとうもがいたのだろう。若干の余裕を持たせて縛ってあった四肢が、ぎゅうぎゅうになっていた。苦しそうな姿勢で、ずっと彼は冷静に話をしていたらしい。いや、話ながらも逃れる事を諦めていなかったのだ。
「ゼロを、辞めてもらう。そうすればナナリーが皇族復帰することもなくなる。君がブリタニア本国へ向かい、彼女へ安全な姿を見せてあげればいい」
「そしてまた政治の道具にされる人生を送ればいい、と言う訳か?」
「逆だ。君が政治を道具にすればいい。僕は君の騎士として側に仕えよう」
「友達は騎士にしない、だっけかな。過去に言ったな。今はお前のような不審な存在をナナリーに近づける訳にはいかない。騎士にはしない」
「そうか。残念だ」
右手と右足、左手と左足。そしてその両手を一つに。
結んであった紐を若干緩める。彼の姿勢が気の毒だった。別にルルーシュを苦しませるために過去へ来た訳ではないのだ。
「じゃあ、しばらくはここで我慢してもらうよ。僕は戦線に戻る」
「放置して大丈夫なのか?」
「鍵は四重に掛かるように今から細工する。窓から出ようにも、ここは五階だ。命はない。隣の部屋は壊滅している。上手くその拘束を解いたとしても、バルコニー伝いに出ればそのまま落下だ、一応忠告しておくよ。無駄に命を縮めないで欲しい」
「良く言う」
本当は放置などしておきたくなかったけれど、今後の事がある。一度帰投しなければならないのは、諦めなければ行けない事実だった。
「食料はいずれ届けさせてもらう、少しひもじい思いをさせてしまうかもしれないけど、ゴメンね」
ルルーシュからの返事はなかった。
そしてスザクは、外へ出た。
何も四重の鍵を準備出来る筈はない。どうせ使い捨ての隠れ家に過ぎないのだ、ここは。
鉄製の扉を、MVSの高温で溶接し、完全に密閉した。自分が入る時は再びMVSを用いれば良かった。
トウキョウへ戻れば、惨憺たる有様だった。黒の騎士団、幹部のほとんどは捕らえられていた。今回の戦闘でスザクの戦功はないに等しい。最初から、ゼロ狙いで動いていたのだから。
だが、ゼロを離脱させた事で黒の騎士団の崩壊が始まり、それが何故かスザクの功績となっていた。
「それで? ゼロを捕らえたんだろう? どこにいるんだい?」
上司は殴った事への恨み言ひとつなく、自分を迎えた。ランスロットに傷はない。その事にも喜びを見せていた。彼の言動はやはり理解しがたいものがある。
「取り逃がしました……しかし、もう二度とゼロは現れないと思います」
「と、言うと?」
「致命傷を与えた筈です。もう生きてはいないでしょう。海へ落ちて行きました」
淡々と口から紡ぎ出る言葉は誰の言葉だ? こんなに簡単に尤もらしい嘘をつく自分に驚きはしたが、表面には出さなかった。
「なるほど。幹部はほとんど捕まったか死亡。黒の騎士団もオシマイだね! 君、出世出来るよ」
「出世は……」
望んでいない。必要ないと言っても良い。だが、ルルーシュが自分を騎士にしないと言うのなら、本国に居れる方が良かった。
「ブリタニア本国へ赴任することは出来るでしょうか」
「どうしてだい?」
「ロイドさん…」
まだ、ここのスザクは主を亡くしたばかりの哀れな騎士だ。それに気付いているのだろう。セシルがロイドを引き留めた。きっとこの地にいたくないのだとばかり思ってくれるのだなら、都合が良い。
「分かったよ、どうせ実験データは全て取り終わったしね。あの人のところへ一度戻らなければならない。まだそれでもデバイサーとして必要なら、君も連れて行くよ。それでいいね?」
「ええ。構いません」
それでは、24時間の休暇を。
言い渡されて、ほっとした。咎を受ける訳でなく、昇進まで約束された。そして24時間の休息だ。
「ロイドさん、ランスロットは…」
「んー。今から調整しちゃうよ」
「そうですか、分かりました」
仕方がない、と思った。ここで無理に連れ出しても仕方がない。ルルーシュに取っては無理な高さでも、自分なら地上五階なら上れない高さではないのだ。足だけを確保して、再びスザクはシズオカのルルーシュの元へと戻る事にした。
足場はかなり悪かった。戦場の跡だ、がれきの山は用意した軍用ジープすら時折足を止めさせ、崩された多層構造のトウキョウ租界辺境部は立ち入りを制限されている。彼くらいなものだろう、こんな思い切った作戦をとれるのは――と、スザクは改めて思う。
彼は稀代の戦術家であり、戦略家でもあった。
そんな彼ならば政局という有象無象のひしめく場所でも、上手く切り抜けるんじゃないかと期待してしまう。七年前には無理だった。まだ子供だった。だが、今の頭脳を備えたルルーシュなら?
十分に通用すると、今まで会ったことのあるわずかな皇族と見比べて決して引けを取らないと確信する。
食料を準備し、随分楽なクライムヒルを行って、五階の角部屋へとたどり着いた。
さすがに、ルルーシュはその登場場所に驚いていた。
「この壁を登って来たのか。相変わらずの体力バカめ」
随分落ち着いたらしい。悪態は、生徒会室で耳にしたレベルにまで落ち着いている。
ただ、それでも抜け出そうとあがいた跡は見過ごせなくて、ため息を落とした。
「君一人でほどける訳がないだろう。軍で習う専用の括り方だ。そう簡単にほどけない上に、動けば動くほど締まる構造になってる。おとなしくしていた方が身のためだよ」
ぎゅうぎゅうに締まった両手首は圧迫されすぎて、血流まで止まってしまいそうだった。
改めて、それを緩めた。体幹は押さえたまま、一度紐を解く。この紐では締まり過ぎてて本当は別のものを使いたかったが、ここにはもう他に紐らしきものはなかった。なので仕方なくそれを、使う。
「ス、ザク…苦しい」
「少し我慢してよね。自業自得なんだから」
「どうしてそうなる! お前が縛ったりするから!」
「そうしないと逃げ出すのは君でしょ。逃げ出さないなら、解いてもいいけど」
「どうせ扉は開かない、ここは五階の離れ小島。縛らなくとも逃げれないと説明したのはお前だぞ」
「それでも抜け出そうとするのが君だから、こうしてるんだ。君の身を護ってもいるんだよ」
「なにを」
「無理にバルコニーから抜け出そうとしても、どんな手を使っても落ちるのが目に見えている。それでもやってしまいそうだから、それを防いでるんだ。恨むならそう思わせるだけのことをしてきた自分自身にしてよね」
ルルーシュは黙り込んでしまった。やはり指摘したことは事実だったのだろう。なんとかして逃げだそうと試みるつもりだったのだろう。
「それと。君へは報告する義務があるから伝える。藤堂さんを含め、騎士団の幹部ほとんどは制圧され、捕虜となった」
「――……」
「カレンは幸いにも神根島においてきたから、無事だ。だが、彼女へも追っ手はかけられている」
「おれの、せいだな」
「ああ、君のせいだ。君一人で成り立っている軍隊だったんだ、黒の騎士団というのは」
「返す言葉もない。そう作ったのは俺自身だ。俺の軍隊だったんだ」
さすがに沈み込んだようだった。
静かにしてもらえて、幸いした。縛り直すと、再びルルーシュは最初に座っていた場所へと移動し、立てた膝へ頭を伏せるようにして、黙り込んだ。まるで世界を拒絶しているようだった。
食料は買ってきたけれど、この様子では決して食べないだろう。
スザクも共に沈黙する。
どうすればいいのかを考えるためだ。ブリタニア本国への赴任は可能なようだった。あとはこの頑固者の皇子を説得するだけだ。
だが、さすがに今それを告げる気にはならなかった。
「スザク」
「なんだ」
「俺を抱いた事を後悔しているか?」
いきなりの質問に、きょとんとした。
「何故、そんな事を?」
「俺はお前の――大事な、ユーフェミアを殺した。憎んでいる筈だ」
「それは……もう、いいんだ。大丈夫なんだ。知っているから」
「何を」
「あれが事故だったことを」
「…っ!」
明らかに動揺しているようだった。それは、そうだ。あの密室の事は最後まで彼は口を割ろうとしなかったのだから。C.C.がいて、ようやく知れた事だった。
「事故だから許す? 随分甘い騎士道だったようだな。お前の主の名は汚濁にまみれた。それでもか」
「それでも、だよ。君が後悔していることを知っている。静かに泣いた事もだ。だから、それについてはもう不問にすることにしたんだ」
「何故……っ、なら、今俺を抱けるのか」
「ああ。君が望むのなら」
「望むものか。……許していないのは、こちらの方なのだから」
彼もまた、悔いていたのだ。
まだこの時間軸では生々しい出来事だ。
スザクとしても、本来なら決して平静な気持ちで向かい会える時間が過ぎた訳ではない。
ただ、ここに彼の知らない一年以上の時間が横たわっているだけで、彼がどれだけ傷ついていたかを知れる。激情に駆られた自分には気付けなかった事だった。
「君が、君を許して居ないんだね。なら、改めて僕は皇族へ復帰することを進言する。ユフィの分まで、優しい世界を君の手で作り出せばいいんだ」
「無理な事を…」
「無理じゃない。ナナリーは既に本国だ。それでもか?」
にらみつけるように、彼は自分を見た。そして一言だけ告げる。抱け、と。
「無理を言わないで。そんな事を、今……」
「俺が望んでいる。なら、出来るのだろう?」
「自虐的な望みを叶えてあげるほど、優しくはないよ。もう一度良く考え直して…」
それとも、抱けばいいのだろうか。とろとろに甘く、優しく、憎しみのカケラもない心で。
そうすれば今度こそ彼はそれを信じるだろうか。彼はまだいぶかしがっている。なぜ知るはずのないことを知っているのか、疑っている。当然のことだ。
「憎んでいるはずだ、お前は。俺の事を…」
「そうじゃない。強情だね、君は」
そして、スザクは立ち上がった。ルルーシュの両手の紐を解く。そして、足につないでいたものもだ。
「君は自由だ。さあ、どうする? 手駒のなくなった状態でゼロを続けるか?」
「手駒はなくなった訳じゃない。取り戻せば済む。それに、カレンもいる」
「カレンは君の正体を知った。果たして、付いてきてくれるかな」
「お前の知らない味方だっている」
「C.C.の事なら知っているって言っているだろう。それに彼女は今、海底だ。まだ戻れない」
ちっ、と舌打ちをしてルルーシュはスザクにつかみ掛かった。
「抱け。そして無茶苦茶にすればいい。罰を与えろ、それがお前の義務だ」
「そんな義務はもうないんだ」
どこまでも平行線だ。ああ、ずっと過去もそうだった。ゼロに傾倒していくかに見えたルルーシュに苛立ち、軍をやめるやめないの話に苛立ち、そして、今も。
「お望みなら、抱いてやるよ。後悔しないでよね」
「望んでいる。だから、勝手にすればいい」
そして彼は自分の着ていたゼロの衣服を脱いだ。マントを剥ぎ、スーツを脱ぎ、タイを解く。その指先が白く、彼が緊張している事を知る。
手を伸ばして、彼の動きを止めた。そしてその続きを自分がする。
下に着ていたシャツのボタンを解く。素肌を晒し、そこへ唇を寄せる。優しい、優しいキスだ。
唇にすれば何故か噛みつかれてしまう気がして、だから代わりにそこへ落とした。
「違う、スザク!」
「違わない。君は思い知ればいいよ、僕がどんなに君を望むか。君が生きている世界を望んでいるか」
「違う、違うんだ」
彼は、じたばたと暴れ始めた。足払いをかけ、腰を抱き、ゆっくりとその場に横たえる。
「君が抱けと言ったんだよ。勝手にしろと言ったのも、君だ。だから、僕の勝手にさせてもらう」
優しく、優しく抱いた。そのたびに彼は抵抗をしたけれども、全て黙殺し、愛情だけを与えた。自分が彼に飢えて居たことも事実だった。失ってもう何年にもなる。彼を愛していたという気持ちだけを抱えて、生きて来た。
その彼が今、腕の中にいるのだ。
「何故、泣く」
「君がいるからだよ」
挿入し、ゆっくりと正対し、動きながらも涙が止まらなかった。痛みひとつない性交にルルーシュは既に諦めて喘ぎを漏らしていた。そこへ落ちてくるものが、汗でなく涙だと気付いた彼は、手を伸ばし、不思議そうな顔をしていた。
「君がいるから、嬉しくてたまらない」
「お前は……っ、ぁ、くぅ、んっ」
ゆっくりとした動きで彼の弱い場所を突く。ぽろぽろ落ちる涙は、そのままだった。
水道も止まっている。せめてと思い、自分の衣服で彼の汚れた体をぬぐった。こんなに優しいセックスをしたのは、初めての時でもなかった。彼の命が失われようとしていく時ですら、既に自分はもう優しくあれなかったから、出来なかった。
「お前は、何者なんだ。未来から来たと言うのは、本当なのか」
「さあ。君が信じたいように、信じて。ただ僕が話したのはカケラの誤りもない事実だよ」
「………」
ぬぐわれた体に、ルルーシュは衣服を着け始める。体に言い聞かせたつもりだった。ひどく嫌がったが、それでも尚彼に言い聞かせた。
「お前が、未来から来たとして。そうしたら俺は、何をすればいいんだ? ゼロなど茶番だったと言うのか」
「いや。ゼロがいたからこそ、世界は平和になった。ただ、君だけを消して」
「なら、それで構わないじゃないか。俺など世界のノイズに過ぎない。消えたところで…」
「まだ、分からないの」
強い口調で言えば、彼は黙り込んだ。効果はあったのだろう。それなりに。
日は暮れ始めていた。二十四時間の休暇は残り半分近くになっただろう。
時計を見ず、窓の外の沈みかける太陽の姿を見て、そう思う。
残された時間で何が出来るか、考えなければならなかった。余計だったとは思わない。だが、予想外の時間を使ってしまったのは確かだ。
「食欲なんかないかもしれないけど、食べてよ。傷んでしまう。君の為の食料だ」
「……」
おずおずと、彼は手を伸ばし取った。
「ははっ、ここでもお目に掛かるとはな」
「冷めてるから美味しくないと思うけど」
「いや、いいんだ」
ピザトーストを手に、彼は笑った。そしてそれはC.C.の好物だったことを思い出す。だから、きっと笑ったのだ。
冷めたそれをかじり、差し出したペットボトルのお茶を飲み、彼は人らしく振る舞い始めた。
冷静に見える視線は窓の外を見ている。頭の中では、何を考えているのだろう。
「ブリタニアへ戻ればいいんだな。そこにナナリーはいるんだな」
「ああ」
「分かった。だが、まだ時間をくれ。俺には共犯者を待つ義務がある」
「C.C.なら……」
「前は放って行かざるを得なかったのだろう? なら今度は待っていてやっても悪くあるまい」
「分かった」
そして、その言葉をスザクは後悔することとなる。
三日後、ルルーシュの姿は隠れ家から消えた。
きっと、C.C.が戻ったのだ。彼女が連れ去ったに違いなかった。
それから数日が過ぎて、ゼロが世界に現れるのは、必然に過ぎて机ひとつを殴り壊しても足りない後悔の表れだった。
抱いて、納得したのは自分の方だったのだと思わされた。
案の定自分は、またしても彼に踊らされていたのだ。
そしてスザクは、時間を巻き戻すギアスを、自らにかけた。
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