脇腹が痛んだ気がしたが、それは気のせいだった。
パイロットスーツはいつも通りの筈なのに、何故か馴染まない。黒の騎士団のスーツに感覚が慣れてしまっていたのだろう。
長い、夢を見ているようだった。
あんな世界が本当なら良かった。同じルートを辿る事は可能だ。だが、シュナイゼルを避ける手段はあるだろうか? ――難しい、と考える。
現実でも本国から援軍が寄こされていたのだ。コーネリアというトップを失い、全エリアにまで広がったレジスタンスの波を抑えるには、本国からの増援が来るよりない。
まさかナイト・オブ・ラウンズが出てくるとは限らなかったが、出てこないとも言い切れない。賭に出るのはどうかと思われた。
だが、前もって対策を練る事は可能だ。もっと早期にフロートユニットを黒の騎士団に装備させて……と、考えて。それは無理だと分かる。自分が信頼されてからしか、その手段は用いる事が出来ない。そして、信頼されるためには政庁を落とす必要がある。制限時間が出来てしまうのは仕方なかった。
「無理だ…」
深いため息が落ちる。
手を取り合える未来はとても素晴らしいものだった。だが、その未来には先の保証がない。
自分を慰めるために、再び同じシナリオを選ぶ訳にはいかなかった。
もう、五度目になる。
初心に戻る事にした。
ゼロを、終わらせるのだ。
現実と全く同じルートを辿ることにした。その先に分岐を作っても構わないと言うことに、気付けたのだ。なにもここから始める必要はない。
ルルーシュを皇帝に売る。
そして、ラウンズの座を得るのではなく、ルルーシュの監視役を買って出た。
本来ならばロロが行っていた事だ。だが、自分では兄弟というには無理があるだろう。同室のクラスメイトとして、記憶を書き換えさせた。
C.C.が現れれば皇帝へ引き渡す事、ゼロが記憶を取り戻せばナナリーは皇帝の手駒になる事。その二つの条件は変わらない。
機密情報局のトップには自分が着任した。ヴィレッタはここにはいない。ロロもだ。
嚮団との接触はないに越したことがなかった。V.V.とルルーシュを接触させるのは危険だと思われたからだ。
「ルルーシュ、今日もサボリかい?」
「眠いんだ」
「昨日も夜遅かったでしょ、帰り何時だったんだい?」
クラブハウスではない。寮の一部屋に、二人は生活している。
無論、監視カメラは至る場所に付けられている。それらでのチェックはもちろんの事、スザクが直接見張れない場所へは機情のメンバーがきっちり所在を確認している。監視体制は万全だった。
本当は、彼の帰って来た時間は知っている。どこへ行っていたのかもだ。
「いい加減賭けチェスはやめた方がいいと思うけど」
「じゃあ、他の面白い遊びを教えてくれ」
ごろん、と自堕落に寝返りを打つルルーシュの姿はしどけないが、とても無邪気だ。記憶は失われたままであることは疑いようもない。こんな無防備な姿は滅多に見れるものではなかった。だがこのやり直しの期間には幾度も目にしている。
普通の家庭に育ち、普通に学生を行うルルーシュと言うのは、新鮮でもあった。
本質はこんなに無防備で、無邪気な人間だったのかと思わされてしまう。
同時に、そうであれなかった現実のルルーシュの事を思いやる。それほど過酷な子供時代を過ごし、そしてゼロにならざるを得なかった。その流れに気付けなかった事を、深く悔やんでもいた。
「僕は今から学校があるからダメ。帰ったら教えてあげるよ」
そう言って、唇を奪う。
「バカ、お前。こんな時間に…そんな意味じゃ!」
「だってそうとしか取れないでしょ。来れるなら、途中からでもいいからおいでよ? 学校」
「ああ、分かった」
そしてもぞもぞとシーツの中に潜り込んでしまう。ルルーシュの顔は、赤かった。
そのことにスザクは満足していた。
結局その日、ルルーシュは教室へ顔を出さなかった。ほぼ機情へ詰めていたスザクは、ルルーシュが眠っている姿をただ見ている。
「本当に対象は現れるのでしょうか」
「C.C.なら間違いなく来るだろう」
そして、スザクには狙いがある。C.C.が現れた時、接触するのはまず自分でありたかった。ルルーシュに会わせる前に事情を説明しておきたい。彼女なら、自分のギアスを知っている。
ルルーシュがいずれ記憶を取り戻したとしても、未来の不幸を回避してくれる手伝いになってくれるだろうと思われた。
今頃はカレンと共に逃亡生活中だろう。
ほぼ一年が過ぎようとしている。
あのときの季節が巡ってくるのは、もうすぐだった。その時にこそC.C.は姿を必ず現す。そして、ルルーシュの記憶を取り戻させる。その後はきっと憎まれるだろう。
「……それは、ちょっとイヤだな」
小さな声でつぶやいた。
だが、皇帝へ売った事実は変わらない。記憶を奪った事もだ。
本当はもっと優しい方法をとりたかったのだが、分岐を先に作るためには、そうするしかなかった。
C.C.と手を組めれば、多分そう間違えた方向へは進まない筈だとの根拠のない確信もあった。
彼女はルルーシュを大事にしている。そして、自分もそうだ。敵だと認識されているかもしれないが、未来の自分がギアスを与えたと知れば対応もまた変わるだろう。
それに、賭けた。
彼女次第の作戦だと言うことだ。自分もまた、機情の人間と同様に首を長くして彼女の出没を待ち続けている。
その時、画面に変化があった。
ルルーシュが起きたのだ。
「それじゃあ、僕は帰るから。後はよろしく」
彼らには自分達の関係を知られている。それは、最初に説明もしてあった事なので見て見ぬふりをしてくれている。それには感謝していた。
機情を出、長いエレベーターに乗り、地上へ出る。外はすっかり夕景に変わっていた。
「良く寝てたな」
柔らかな笑いが漏れる。朝スザクが部屋を出てからずっと彼は眠っていたのだ。だから昼夜逆転の生活になる。悪い遊びをやめないのも、そのせいだ。
そろそろ、遊び場へついて行くのも良いかもしれなかった。
カレンとC.C.が救出に現れるのはまもなくだ。準備を始めても良い頃だった。
そしてその夜、スザクは賭けチェスに出るというルルーシュに初めてついて行った。
「柄が良くないね。こんなところで綺麗な顔晒してちゃ、危ないんじゃないの?」
もっと早くに着いてくればよかったと思わされた。
日本人の女性がバニーガールの格好をさせられ、給仕させられている。一段沈んだ場所では日本人の兄弟同士が殺し合いを行い、それをブリタニア人達が賭の対象としている。
享楽はすべてブリタニア人に。それを支えるのは、日本人。
唾棄すべき場所だった。
「綺麗な顔とはなんだ。そういう言い方は止せと言ってるだろう」
気を悪くした顔で、ぷいとそっぽを向かれる。ごめんと謝れば簡単に彼は許した。
「こんな場所じゃないと、ブリタニア人同士の賭けチェスなんて楽しめないんだよ。お綺麗な貴族様の代打ちって手もあるが、最近リヴァルが余り良いのを紹介してくれない」
「そんな事までしてたの? 道理で学校に来ない筈だ」
はあ、とわざとらしくため息をついてみせる。
「娯楽がないんだ。仕方がないだろう?」
彼は、押さえ込まれた復讐心を心の底に飼ったままでいるだろう。命を賭したゲーム。そう前回感じたそれも深く求めている筈だ。賭けチェスや代打ち程度じゃあ満たされないだろうに、その程度しかこのルルーシュには与えられない。
そうしてしまったのは自分だけれど、あの生き生きとしていた顔を見れないのは残念だと思った。
彼は迷いのない歩調で、進んでいく。慣れている。
そして到着したのは、いくつものチェスボードが置かれた一室だった。
「ここ?」
「そうだ。間違ってもお前は手を出すなよ? レートは様々だがお前が勝てる姿を想像出来ない」
「酷いな」
実際、ルルーシュと対局しても勝てた試しはない。もっとも、彼が強すぎるからいけないのだけれど、劣等感だけはしっかりと植え付けられている。
「ここ、よろしいですか?」
と、ルルーシュは早速めぼしい相手を見つけたようだ。
レートごとにテーブルは違うのだろう。チップをたくさん積んだ男性は、相手が学生と見るとにやりと笑い、どうぞと席を勧めて来た。
ルルーシュの打つチェスは、一風変わっているのだと言う。出来るだけ早い段階で、キングを動かす。それは普通しない事なのだそうだ。だが、チェックされてしまえばおしまいになってしまうのに、時にはキングを用いて攻撃も行う。
危うい手だが、それが自分も対局してきて知っているルルーシュの常套だった。
「はっ、キングを動かすのかね?」
「ええ。トップが動かなくては、誰もついて来てはくれないでしょう?」
傍らで観戦しながら、嘲りの笑いを浮かべた相手にルルーシュは綺麗に微笑んで見せる。もったいない笑顔だなと思う。それは自分にだけ向けられていればいいのに、と。
だが、嘲った相手こそがバカだとはスザクにも分かっていた。
すでにもう、ルルーシュの作った罠の中に取り込まれている。後何手だろうな、とスザクでも理解出来た。もっとも相手は全く理解しておらず、動いたキングに興味津々の模様だが。
「もっともだが学生くん、君は社会をまだ良く知らないようだね。動かないトップなどどこにでもいるものだよ」
「貴方のようにですか?」
「言うね」
そして、ナイトの駒を相手は動かす。そこは、ルルーシュの射程範囲内だ。気付いて打っているのだろうか? それとも気付かないとでも思っているのだろうか。
それから、ほんの数分もしないうちに決着はついた。
相手は呆然とした顔をしている。それは、そうだろう。圧倒的有利に見えたのが見てる間に覆されて行ったのだから。観戦している側としては、爽快ですらあった。
「では、チップを」
「……っ。仕方ない」
相手はうなりながら、それでも規定通りのチップをルルーシュへ手渡した。
だが、こんなものでルルーシュは満足出来ているのだろうか? 渡されたチップの数から見ても、ここは最上級のレートの場所だと分かる。それですら、あの手軽さだ。
「満足出来てるの?」
「まさか」
素直に聞いてみれば、しれっと返された。
「だがこの程度しかここにはない。我慢するより他ないさ」
肩をすくめて、彼は笑った。似合わない笑い方だなと思った。
だがまもなく彼にふさわしい笑みを浮かべさせる事が出来るだろう。それが待ち遠しかった。
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