そこにはカレンがいた。
彼女は目を剥いて、自分を見る。だが、息を一つ飲み込み作戦を優先させるようだった。自分を知らない人間として扱うつもりらしい。
「すいません、ブリタニアの学生さん」
と、彼女はぶつかってこぼしてしまったグラスの中身を拭く仕草をしながら、手に忍ばせた多分発信器だろう、それを取り付けようとしている。それを全てスザクは見逃す。気付かなかったふりをする。だが、それは成功しなかった。
黒のキング。奴隷狩りをしていた彼は下卑な男で、カレンをも手に掛けようとしたのだ。思わず、反射的に手を出そうとした。前の記憶は残っている、彼女とは既に敵対する関係ではいられない。だが、それを差し止めるように、ルルーシュがすっと手を出した。
チェスで決着を付けようと言うのだ。
いや、チェスを用いて自分に意識を持っていかせたに過ぎない。危険なやり方だと思った。
だが黒のキングは乗って来た。そして、圧倒的勝利を収めたルルーシュへ、これはいかさまだと言いがかりを付け、拘束しようとした。こんな細かな話は聞いていない。ヤバい橋をやっぱり渡っていたんじゃないかと阻止しようとした時、上階から爆発音が聞こえて来た。
物事が動き始めたのだ。
カレンが混乱に乗じてルルーシュを連れ出そうとしている。やはり彼女は、圧倒的に強い。黒のキングの手下など簡単に伸してしまった。そしてルルーシュの手を乱暴に掴み、走り出す。気付かれないよう、ほんの少しの間を置いてスザクも追いかける。自分が付いて行けば、まとまる話もまとまらないだろう。彼は彼女らへ帰さねばならない。
だが、自分にも事情がある。C.C.には出会わなければならないのだ。
この混乱の中、彼女らを見失わないでいるのは苦難の技だった。しかし見失う訳にはいかない。
「スザク!」
彼女に引っ張られるばかりだったルルーシュは、自分に気付いてしまったのだろう。手を伸ばして来る。しまった、と思った。カレンに警戒される。
「ルルーシュ、あんたはこっち!」
「やめろ、誰なんだお前は」
「え……」
「離せっ」
体力で敵う筈のないルルーシュだったが、きっとC.C.から聞いて知っていただろうに直接言われた事に衝撃を受けたカレンの腕をふりほどけていた。
そして、まっすぐこちらへ彼は走って来る。
「早く逃げよう、ここは危険だ」
「わ、分かった」
彼女から奪う事は本望ではない。だが、必須条件でもない。
彼女からはぐれた後、ルルーシュはC.C.と再会したと聞いている。分かった、と頷き人の少ない方へ向けて走り始めた。
カレンが追って来るのが分かる。
しかしこの混乱が逆に自分達の味方となった。逆送する自分達の動きは更に混乱を加速させる。
「待って、ルルーシュ…!」
どうしようかとスザクは悩んだ。このままバベルタワーを出る事は不可能に近い。出口に当たるエレベーターは既に満杯のところへ人が押し寄せるものだから、扉が閉じる事も出来ず、結果外に出る事が出来ないでいる。
「こっちだ」
ルルーシュが、その時に告げた。
体力勝負に向いていない彼の息は既に上がっている。それでもこのビルの構造をある程度把握していたのだろう。非常階段への道のりを示す。
頷き、彼に続いた。
建設途中であるビルの非常階段だ。まだ照明も灯されておらず、外光がわずかに入り込んでいるものの、薄暗い。
「気をつけろ……。それにしても、なんだったんだあの女は」
「さあ」
と、答えた瞬間だった。
人の気配を感じる。
「ルルーシュ、伏せて!」
ほとんど押し倒すようにその場に伏せさせた。跳ねる銃弾。黒の騎士団はここにまで手を回している。それとも、機情の方だろうか? 機情もまたC.C.捕獲作戦のために今回は人員を割いている。
自分の携帯している銃を取り出し、一瞬躊躇する。ルルーシュの前でこれはマズいだろうか? ――いや、もうじきそれも問題じゃなくなる。構わない。そう判断し、射撃手を打ち落とした。
「スザク、お前!」
「大丈夫だから。君は、僕が守るよ」
「……どうして、銃なんて」
「君が不穏な場所にばかり出入りするからだよ」
まだしもマシな嘘がつけたかと思う。租界外周に行けば、銃くらいすぐに手に入る。
「お前がそんなもの、持つ必要なんてないんだ」
「でも今、役に立った。危険だよ、ルルーシュ。気を付けて行こう」
「…………ああ」
仕方ない、と諦めたのだろう。長い沈黙の後に彼は頷いてくれた。
建材のまだ置かれた非常階段を一段づつ確かめながら降りる。C.C.はどこで現れるだろうか。少なくともここではあるまい。
彼女はKMFに乗っているだろう。それらがいそうな場所――階上? だがそこへ向かうにはルルーシュを説得出来る理由がない。
やがて、広い踊り場に出た。
酷い有様だった。
日本人もブリタニア人もまとめて虐殺されている。これは、黒の騎士団の手ではない。自分の落ち度だ。暴走した機情がこのような真似を起こしたのだろう。
「酷い……、一般人ばかりなのに」
あまりの有様に、ルルーシュは一度えづいた。それを支え、その向こうへと進む。
KMFが複数機、奥まった場所にいる。やはり機情の機体だった。そんな行動までは許していないのだから、処罰対象となる。だが、今はマズい。対象と共にしているので声を掛けてくるなどという迂闊な真似はしないだろうが、関係性がバレるのはまだまだ先でなければならないのだ。
「ゼロ……こんなものに、まだ縋って」
ルルーシュは、バニーガールの扮装をさせられた日本人の持つ写真に何とも言えない声を出していた。見れば、苦渋の表情を浮かべている。写真は血に濡れていた。
「ルルーシュ。……KMFだ。こっちはマズい」
彼ははっと顔を上げ、奥に目をやった。
黒にカラーリングされている機体は闇に紛れて酷く見づらい。だが、それでもどこからかの光に反射する硬質な輝きは見逃さなかったようだ。
ず、と一歩後ずさった。向こうは既に発見しているだろう。だが、自分がいることで動けないでいる。
そこへ、上空からの爆発と共に一機の新しいKMFが現れた。
「………っ」
「これは」
目を見張るのは今度はスザクの番だった。黒の騎士団のKMF。自分には見覚えのない機体――いや、対戦した事のある、そして過去のルートで見た機体だ。
事態は一気に動き出した。C.C.さえ見つかればルルーシュに用はないのだ。そしてこの機体を駆るのはC.C.本人。すぐにコクピットを開けて、白いパイロットスーツに身を包んだ彼女は姿を現した。
『対象、発見』
『これより掃討作戦へ突入する。局長の安全だけを確保』
『イエス・マイ・ロード』
マズい。彼らは行動を始めてしまった。長である自分の指示を待たずに。
「ルルーシュっ」
「彼女は……」
C.C.はまっすぐルルーシュを見ていた。
「男に待たされるのはキライだ」
彼女は不遜に言い、そうでいながら、笑みを浮かべていた。
だが、銃で貫かれるその体。
落ちてゆく。
ルルーシュが反射的に走り出した。彼女が地面へたたきつけられる寸前に、抱き留めた。
「こんな、簡単に…」
「ルルーシュ・ランペルージ。お前の役目は終了だ。お前も、終わる」
「やめろ!」
スザクは叫んでいた。だが、声はKMFの駆動音によって届かない。
「お前はその女をおびき寄せるための餌に過ぎなかったのだよ」
銃が向けられる。自分が防がねばならないのに、足が動かなかった。C.C.が撃たれてしまったのだ。希望が失われてしまった。
しかし彼女は動き出した。血に濡れたまま、ルルーシュへと口づける。
「……!」
そう、彼女は不死身だったのだ。これで、彼は記憶を取り戻す。
その前にC.C.には接触したかったのだが、この状態では無理だった。
いや――彼女は、自分を見た。ルルーシュの肩越しに寄こされた視線は、しっかり自分を捕らえていた。それが驚きに見開かれる。
「まさか、お前…」
「そうか、そうだったな……」
C.C.のつぶやきと、記憶を取り戻したルルーシュの声が重なった。
スザクの存在を忘れ、ルルーシュは取り戻した記憶の奔流を手なずけ、自分のものにしていってしまう。そして、目の前の存在へと告げた。「お前達は、死ね」と。
その通り、実行される現実。絶対遵守の力を初めて目の当たりにする。
彼らは非常に従順だった。隣り合わせた互いに銃口を向け、一方的にルルーシュを嘲っていた男は自分の喉元に銃口を向け、「イエス・ユア・ハイネス」と唱和し、複数の発砲音が響き渡った。
自分の存在は、ここにない方がいい。
彼が記憶を取り戻したことを知っていない方がいい。
一歩後ずさり、そのまま気配を消してその場から立ち去った。C.C.はきっと理解しただろう。それだけで十分だった。
バベルタワーの崩壊を待たずして、スザクは脱出していた。他にも機情の人間がいる。それらの手を借りながら、外部へ出た。
KMFにおそれを抱いてはぐれてしまった。その理由で彼は納得するだろうか? しないだろうか?
ただ、記憶を取り戻したその場所にいなかったと言うこと、そしてそれを自分が知っているとのボロを出さない事。それさえ貫けばきっとグレイゾーンのまま騙されざるを得ないだろう。
前よりも深い探り合いの時間がやってくるかもしれない。
それは、覚悟しなければならなかった。
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