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割れた硝子の上を歩く6


 その夜、結局良い方策が見つからず眠りに就くことにした。
 スザクはソファに押しやったままだ、自分はベッドで寝る。この隠れ家はそれなりに頻繁に利用しているので、寝心地の良いベッドを置いてあった。だから、スザクも惹かれたのだろう。
 確かにいつまでもソファはかわいそうかもしれないな、とは思うが、告げた通り新しいベッドを置く余裕などない。そもそもいつまでも監禁しておく訳でもない。そんな者のために新たなベッドを買い与えてやるなどとは、バカげている。
 昨晩は全く寝ていないも同然で、今日は今日でそれなりに忙しかった。ルルーシュはすぐに眠りに落ちた。
 違和感に目覚めたのは、朝に近い時間だ。帰宅が遅かったので、眠りについて差程経っていない時間になる。
「な…ん、だ?」
 もぞもぞと布団をまさぐる。そこに感じる熱源。
 シングルのベッドだから、狭い。すぐにその理由は知れた。
「お前、何やってる」
 スザクだった。彼がベッドに潜り込んできたのだ。
「えーと、夜這い?」
「バカ言うな」
「一目惚れしたとかって言ったら、怒る?」
「バカか」
「バカバカ連発しないでよ」
「じゃあバカげた行動をやめろ!」
「ソファよりベッドの方がいいって言ったでしょ」
 押し出そうとルルーシュは抵抗したが、軍人の体だ。びくりともしない。それどころかスザクはそのまま手を伸ばして、ルルーシュを抱き込んできた。
「本当に、やめろ」
「夜這いだって言ったでしょ?」
 楽しそうな声が耳元でする。
「ふざけるな」
「ふざけてないんだけど……ひどいな」
「第一俺は男だ。男に一目惚れもなにもあるものか」
 抱きしめた腕が強くなった。
「あるんだから、しょうがないんじゃない?」
「だから、ふざけるなと……」
「ああ、もう。うるさいね」
 そしてスザクは至近に顔を寄せ、唇を合わせてきた。
 ぎょっとする。
 静かになったことに気を良くしたか、抱きしめる腕の力はほんの少しゆるんだ。そして、背中を撫でさすり始める。普段触られる事のない場所だ。ぞわりと感じる。
「これ以上はしないつもりだから、今は」
「あ……、あたり、前だ!」
 唇を離すと、スザクはやけに静かな声で告げた。
 ひとり焦っている自分が情けない。
「でも、ここで寝させてね」
 と、抱き込んだまま彼は瞼を閉じた。
 体温が高い。鼓動の音が聞こえる。こんなこと、自分の記憶にあるなかでは初めての事だ。
 ナナリーに添い寝してあげた時でも、こんなことはなかった。
 自分の顔がほてっていることに気付く。何故、と動揺した。
 そのうち本当にスザクは寝てしまったようで、健やかな寝息が聞こえ始めた。
「……最悪だ、こいつ」
 ストックホルム症候群――頭を過ぎったが、そんな良いものではあるまい。たった一日程度しか顔をつきあわせていない。それに人質と犯人という関係性とは若干異なる。
 単に人恋しかっただけなのだろうか?
 だとしても男性にキスをするなんてあり得ない。
 結局その夜、ルルーシュはスザクの行動に困惑させられたまま、一睡もする事が出来なかった。
 抱きしめられた腕から逃げ出してソファで寝ようかと思ったが、思いの外強く抱きしめられた腕はほどけない。何度か挑戦して諦めた。



 朝になって、いかにも良く寝ましたと言った顔で起き出したスザクに、取りあえず頭突きをかます。
「……ぃた、なにするんだよ!」
「なにをするんだと言いたいのはこっちの方だ!」
 まだ抱きしめられたままだった。寝相が良いにも程がある。
「お前のお陰で、一睡も出来なかった!」
「へえ、案外初心なんだね」
「そういう意味じゃない! 人質ならおとなしく人質らしくしろ!」
「共犯者、でしょう? 別にこのくらい、構わないじゃない」
 しれっとしたものだ。そして抱きしめる腕を強くすると、唇を寄せてくる。
 焦り、顔を横にした。スザクの唇は頬をかすめる事になる。
「あ、なんか傷つくな」
「それはこっちのセリフだと何度言わせれば……」
 正面を向いて、文句を言った瞬間にちゅっと唇を合わされた。
 満足気な顔をスザクはしている。
「どういうつもりだ……」
「昨日言わなかったっけ?」
「何をだ」
「一目惚れ、って」
「そんな戯れ言、誰が――どうでもいい、手をほどけ」
 にらみつけて言えば、しぶしぶではあるが手は解かれた。
「酷いな、信じてもらえないんだ。そんな憎たらしいものを見る目しちゃってさ」
「あたりまえだ」
 一音づつ区切って、ベッドから降りると告げてやった。
 ひどく体がだるい。不自然な格好で横になり続けていたからだ。体の下に腕が回った状態だったのだから、その場所が痛んですらいる。体重の下敷きになり続けたスザクの腕も無事ではすまされなかっただろうに、彼はけろりとしている。
「今日の朝食は作らないからな」
「ええー!」
「作ってもらえるとでも思ってるのか、バカものめ」
 言い捨てて、スザクをベッドから引っ張りだすと追い出した。
 パジャマというほどパジャマらしい格好はしていない。ジャージを着ているのだが、この姿で過ごす事には抵抗があった。毎日きちんと服を着替えるのは習慣となっている。
 だが、不穏な事を言い出した男の前で脱ぎ着をするにはバカげたことだと思いはしているのに、不安に思えた。
 扉を閉じ、中で着替える。
 それにしても一体どういうつもりだと、ふつふつ怒りがこみ上げてきた。
 おかげで二日続けて貫徹に近い。眠い。
 一度家に帰って眠りたいところだが、旅行中の身ではそれも不可能だ。
 他の隠れ家に行くか、と思った。
 そこでも作戦は練れる。ただ、スザクからなんらかの有益な情報を引き出せればそれに越した事はなかったのだけど。



「え、軍の機密? それなら君の方が良く知ってるんじゃないの?」
 僕の軍籍コードまで知ってるくらいだし、と、スザクは言う。
 朝食の席だ。公言通りにスザクの分は作らなかった。自分はオムレツにサラダにトーストというそれなりのものを食べているが、スザクは生の食パンをかじっている。哀れを誘う姿に、ちょっとやり過ぎたかと思わないでもないが、昨晩と今朝の事を思えばそれも当然だと思った。コーヒーだけでも入れてやった分、感謝して欲しい程だ。
「確かに。ハッキングなら大抵の階層にまで侵入出来る。そうじゃなく、生の情報が欲しいんだ。人伝達でしか行っていない情報」
「そんなの、役に立つ? 所詮僕は少尉だよ。尉官とは言え位は低い」
「それでも枢木首相の息子だ。政治的な情報でもいい。なにか知っている事はあるんじゃないか?」
 枢木首相の息子、と告げた時にだけスザクは微妙な表情になった。
 十歳で軍に入ったという。もしかしてこの親子には確執があるのかもしれない。
「残念ながら。父は政治的な事に僕を関わらせようとしなかったし、軍では僕はKMFを駆るのが仕事だ。どこの少将と中尉が出来てるらしいとか、片一方は既婚者だとかの噂は流れてくるけどね」
「そんなゴシップはいらない」
「でしょう?」
 コーヒーを一口飲み、小さくため息を落とす。
「役に立たない共犯者だ」
「僕は人質でしょ?」
「都合のいいときだけ、人質に戻るな」
 食事に戻る。
 結局要求は金にするのが無難なのかと思い始める。軍資金は確かにあって困るものではない。だが、そんな事でこの駒を使い捨てるのは惜しいと考える。
 この駒が重要過ぎて、思考を攪乱させられているのは確かだ。
 いっそ自分が、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアに戻って殺させるという手もあったが、今更その名を持ち出すのは自分としても抵抗がある。それにそもそも殺されては意味がない。……いや、殺されかけただけでも意味はあるのかもしれない。
 そうするなら、スザクを半死半生にして戻らせ、ブリタニア人にやられたと告げさせてもいい――だが、そうする確証はない。共犯者とは言え、そこまで信じ切っている訳でもないのだ。まだ。
 朝食は終わった。
「今頃僕、探されてるかなぁ」
「そりゃあ、そうだろう。軍にも来ない、所在不明じゃ誘拐を知らない奴らは動き始めているはずだ」
「誘拐を知っている人たちはどうしてるんだろう」
「そっちも探してるんじゃないか? もっとも黒の騎士団の基地は探し当てる事は出来ない。万一見つかってもすぐに放棄出来るし、そこにお前はいない。問題ない」
 さっさと食器を洗ってしまうと、再びソファに向かったスザクへ問いかけた。
「それで? お前は何をしたんだ?」
「え?」
 振り返って、怪訝な顔をする。
「自殺の理由を俺はまだ聞いてない」
「――……それは、プライベートだよ」
「いつか話と言った筈だったが?」
「まだそのいつかじゃない」
「頑固者め」
 ちっと舌打ちをする。
 機密漏洩か背任か人殺しか。昨晩着ていた服の事を考えると最後の線が正しそうだ。だが、軍人がいまさら人ひとりを殺したところで自殺を試みるだろうか? 相手は一般人だった? だとすれば筋も通る。
「人でも殺したか」
 言えば、びくりと彼の肩が震えた。返事はない。
 どうやら正解らしいとだけ、分かる。
「あの返り血だ。余程派手にやったようだな」
 スザクの背中は、微動だにしなかった。動揺を覆い隠しているのか、それとも動けなくなっているだけなのか。
 それは表情が見れないこの場所では分からない。
 正面に回れば、逃げる気がした。なのでルルーシュは刺激しないよう、その場にいる。



 そのまま、昼間が来る。
 話題は変えて話はしていた。要求は日本軍による宣戦布告。それが一番良いだろうとの結論がルルーシュの中では出始めている。だがそれにはスザクが酷く抵抗した。
 昼前に、ルルーシュは一度外に出ようとした。
 テレビを調達しに行くのだ。
 スザクは外の情報をとにかく知りたがっていた。
 だが、スザクも共に出たがったのだ。
 逃げるつもりはないから、としつこく言われ、遂にルルーシュも根負けした。
 租界を見てみたかったそうだ。日本人の立ち入りが許可されてない訳ではない。街中至るところに日本人は闊歩している。スザクが歩いていても、目立つ事はないだろう。
 首相と違い、顔が売れている訳じゃない。軍人に見つかれば若干やっかいだが、そんなものは見つからないように動けば良いだけだ。逃げ道ならいくらでも知っている。
 だが、出かけるにはスザクの格好は適していなかった。
 仕方ないので、先にルルーシュはスザクの衣服を調達に出る。
 二度手間だ。
 だけど共犯者というのなら、少しくらいわがままを聞いてやってもいいだろう。



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2011.4.14.
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