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割れた硝子の上を歩く10


 その夜は熱が出て、はっきりと覚えていない。
 スザクが時折やってきて額のタオルを変えてくれたことは覚えていたが、それも曖昧な記憶だった。本当ならもうこの部屋には入れたくなかったのだが、それを拒否する事も出来なかった。
 とんだ失態だ。
 ずきずきと胸は痛むし、意識はもうろうとして、時折眠りに落ちる。そんな繰り返しで朝を迎えたようだった。
「食べれる? ルルーシュ」
 スザクが問うてくる。首を左右に振るので精一杯だ。
 とてもじゃないが、身を起こす事も出来そうにない。
 骨を折った事は何度かあった。だが今回は最悪だ。もしかして肺にまで達したかと危惧したが、もしそうなら吐血がなければおかしい。その懸念はしなくて済みそうだった。
 そして、思い出す。
 ああ、こいつに無茶苦茶にされた後だったのだ、と。
 体調は万全ではなかった。そこへこの骨折だ。まとめて一気にやってきたのだろう。
 ベッドにぐったりと横たわり、まぶたを伏せる。
 この男の行く末を早く決めなくてはならなかった。



 気がつけば再び朝だった。それが何度目の朝なのかは分からない。
 ただ、黒の騎士団からの着信が幾度もあった事だけはスザクの口から聞けた。
「通信機を持って来てくれないか」
「無茶だよ、まだそんななのに」
「構わない。お前は言う通りにすればいいんだ。人質だろう?」
「――……分かったよ」
 しぶしぶではあるが、スザクは素直に従った。与えられた通信機の着信を見れば、扇からのものがほとんどだった。
「扇か、連絡が取れなくてすまなかった」
『いや、いいんだ。怪我をしていたのか?』
「大した怪我じゃない」
 そこでスザクは酷く不満気な顔をしたが、無視した。
「なにかあったか?」
『ああ……サムライの血の残党が、黒の騎士団に入団を希望している。果たして受け入れていいものだろうか?』
「そうだな……」
 サムライの血は自分達が殲滅してしまった。それを恨みに思っている者もいるだろう。自ら危険物を懐に入れるバカはいまい。
「断れ。基地にまで来ている訳じゃないんだろ?」
『ああ。ここは知らないようだ。通信で連絡が来た』
「では、断りを入れた上で通信コードを変更しろ」
『分かった――あと、カレンが酷く心配している』
「変われるか?」
『ああ。ちょっと待ってくれ』
 その合間に息をつく。
「無茶だよ、その怪我で大した事ないだなんて」
「テロを行ってるんだ。無傷でなんかいれる訳ないだろ」
『ゼロ!』
 大きな声だった。そこで、スザクは口をつぐむ。自分の存在は知られない方がいいと自分でも分かっているのだろう。
「カレン、そんなに大きな声を出さなくても大丈夫だ。少し怪我をした、それだけだ」
『でも、しばらく連絡が…』
「私も少々多忙だった。それについてはすまなく思う。近いうちにそちらに顔を出す、次の作戦を準備してあるので、心構えするよう伝えておいてくれ」
『はい……本当に、大丈夫なんですよね?』
「くどいぞ、カレン」
 思わず苦笑が浮かんだ。
『すいません。では、分かりました』
 それで通話は終了した。
「次の作戦? 近いうちに顔を出す? どっちも無理だよ」
「お前に指図される所以はないと思うが?」
「その怪我だよ? 黙って見ていれる訳がないじゃないか」
「構わないだろう。お前が痛い訳でもあるまい」
「好きな人が痛いんだよ、黙ってられない」
「――本気で言っているのか?」
 思わず声が低くなった。一目惚れをした、と確かあの時、彼は言った。
 それを思い出したのだ。嫌な記憶と共に。
 声音が変わったのに気付いたのか、スザクは一拍、黙る。
 だが引きはしなかった。
「好きじゃなくても、怪我人に無茶をさせるような事は出来ない。君はまだまだベッドで眠っているべきだ」
「お前も軍人だろう。怪我をしたからと言って戦線をそう簡単に離脱出来ないことくらいは分かってるな? 指揮官なら尚更だ。ベッドの上からでも指揮するのが指揮官という仕事だ」
「それは……。でも、君は隠そうとするだろう? 今だってごまかした」
「不要な心配を掛ける必要を感じなかっただけだ」
「違う。君は負けず嫌いなんだ。弱味を見せるのが嫌なんだろう?」
「なにを……」
 スザクの指摘は当たっていた。確かに負けず嫌いではあるし、人に弱味を見せるのは嫌いだ。
 だが、だからこそここまでやってこれたのだ。
「お前の指図は受けない。いいな」
「そんな…」
「お前は人質だ。それ以前に、もう死んだ人間だ。自殺しようとしていたんだろう? 自殺者はものを喋らない。人に意見しない。そう理解しろ」
「…………」
 スザクは黙り込んだ。そして、部屋を後にする。
 理解したらそれでいいんだと思った。
 だが、すぐに彼は戻ってきた。手に鍋を持っている。
「それだけ喋れるなら、食べれるでしょ? もう三日も食べてない。胃には優しいと思うから、食べてみて」
 と、鍋の中身を器に移した。
 どろっとした白米のようだ。食べ物とはとても思えない。
「なんだ、これは」
「おかゆって言うんだ。日本の病人食だよ」
「食欲の沸かない見た目だな」
「味はついてるから、そのまま食べれるよ。騙されたと思って食べてみて。それから、鎮痛剤を見つけたからそれも飲んで」
「――……分かった」
 何か分からないそれを口にするのは、非常に勇気がいった。
 だが、いざ口に入れてみると意外とおいしい事に気付く。
 空腹を一気に思い出した。
 器がすぐに空になる。スザクはそれを察したか、おかわりを入れてくれた。
 それは少し多かった。半ばまで食べて、後は残してしまう。
 それにしても米など買っていただろうか? 買っていたのだろう。人質は日本人だ。
 まだ頭ははっきりしていなかった。
「ほら、そしたらこれ飲んで」
 差し出されたのは市販の鎮痛剤だ。こんなものが効くのかどうかは分からなかったが、気休めと思って差し出されたグラスの水と共に流し込んだ。
 沈静効果もあったのだろう。
 じきに眠くなってゆく。
「もうちょっと君は寝てた方がいいよ」
 そして、額に冷たいタオルが置かれた。気持ちよかった。
 髪を梳く手も、同じに感じた。
 きっと弱っていたのだろう。



 次に目が覚めたのは日が暮れた後だった。きっと鎮痛剤が切れたのだろう。ずきずきと胸元が痛む。
 それなりに役にたっていたのだなと感心した。
「あ、起きた?」
「お前、起きてたのか」
「まだ寝る時間じゃないよ。……君が眠ってから、十時間くらいかな。気になって見てた」
「そうか」
 日が過ぎていなくて良かった。
 自分には、一応ではあるが制限時間があるのだ。河口湖に行くと告げたのは一週間。三日も眠ったまま過ごしてしまった。残り時間は少ない。
「PCを持ってきてくれ。なにか連絡があるかもしれない」
 あのまま放置したままだった。忙しかったせいもあるが、本来あり得からず状況だ。
 スザクは素直にPCを持ってくる。上半身を起こせば鋭い痛みが走ったが、我慢出来ない程のものでもなかった。
 スザクは小言を言うが、そうも言っていられない。
 メーラーを開けば、首相官邸よりのメールが数通届いていた。
 メッセージは当初と同じだ。
 見ても見なくても同じだったと言う事だ。少しだけ、ほっとした。なんらかの要求が向こうからあれば、こちらが無視した事になってしまう。それは避けたかったのだ。
「一度金でも要求してみるか」
「え、お金?」
「実験だ。本当にお前にそんな価値があるかどうか試してみたい」
「……ひどいな」
「事実、現在までお前は放っておかれている。この先取り引きがあったとして、役に立たなければ意味がない」
「それは、そうだけど……」
 金の引き渡し方法についてはいくつかのパターンが思い浮かんだ。
 首相本人を使うのは、この際悪目立ちする。秘書官のひとりを使うのが良いだろう。
 データを引っ張りだす。第一秘書を見ればこれは頭が固そうなので、使えそうだとほくそ笑んだ。
「あ、悪い顔」
「悪いか。悪い事を考えているんだからな」
 どうにも彼との関係はなしくずしになっている。本当は拒絶しなければならないのに、自分が怪我を負ってしまったせいで、看病されてしまった。それからはまた以前の状態に戻ってしまっているのだ。
 今更突っぱねるのもためらわれた。今のスザクにあのような行為を行いそうな気配はない。
 ルルーシュはキーボードを叩き始める。
 要求金額は三億。枢木の家であれば用意出来る額だ。
 取り引き相手は第一秘書を指名した。
 そして、電話を掛ける。
 首相官邸へだ。黒の騎士団の通信機を使えば、逆探知は懸念する必要はない。
 だが、出てきたのは枢木首相ではなく、桐原と名乗る老人だった。
『ゼロか。スザクを人質に、何を行おうとしている』
「なに、先ほどメールを送らせていただきました。指示に沿って金額を揃えてもらいたい」
『それが目的ではあるまい』
「それはわかりません。誰にも」
 笑い含みで伝えれば、相手も笑った。
 それなりに懐の広い人物なのかもしれなかった。それに桐原と言えばキョウト六家の一員だ。
 今回の件に噛んでいてもおかしくはなかった。



「金を用意させて、第一秘書に運ばせる。それにはスザク、お前にも協力してもらうぞ」
「え、僕が?」
「今更裏切りはしないだろう?」
「う、うん。そんな事はしないけど」
「なら、結構。それでプランを組む。お前の役割は最終的に金を回収する事だ」
「え、そんな大役でいいの?!」
「万一捕まったとしても、お前なら脅されてたと言って物事が済むからな。まあ、失敗などさせないが」
 そして、笑いを浮かべた。
 簡単な知的ゲームだ。人命が掛かることもない。
 これほど簡単で、興味のそそる事はあるだろうか。
 ようやく誘拐らしくなってきたなと思い始める。
 最初は、第一秘書の籠絡だ。ギアスを使えば簡単な事だ。
――いや、ギアスなど使わず純粋な知的ゲームを楽しむべきだと思った。



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2011.4.16.
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