朝になって、体がべたべたな事に気がついた。
傍らに眠っている姿には、奇妙な事に腹は立たなかった。酒の勢いというものもあったし、気持ちが良かったからだ。それに彼が幾度も自分が好きだと繰り返していた事を思い出す。
「ストックホルムシンドロームだ」
やっかいなものに捕まってしまった。よもや自分までもそうなるとは。
それにしても良く寝ている。起こさないよう、ベッドから降りた。体は以前と変わらずがたがただった。本来そんな事に使わない場所を使い、あり得ない行為をしているのだ。使わない筋肉が使用されている、筋肉痛にも近い感覚だった。
「ルルーシュ……?」
よたよたとベッドから降りれば、残念ながらスザクを起こしてしまったらしい。
「大丈夫?」
「大丈夫そうに見えるか?」
苦笑じみて言えば、「見えないね」と返される。
スザクが起き上がり、ルルーシュの体を支えた。
「シャワーでしょ? 僕も一緒に入るよ」
「え…」
「今更じゃないか。いいよね? そんな状態じゃ危なっかしいし」
まあ、いいかと思った。
スザクの言う通り、今更だ。
それに思っていたより体が辛い。
狭いシャワールームにふたりで入った。
幸いにもいたずらはされなかった。湯で温められたお陰か、体のつらさも若干和らいでいる。
そのままキッチンに立ち、朝食の準備をする。
スザクは構わないと言ったが、腹が空いている。自分の為にも食事が欲しかったのだ。
「お前、黒の騎士団に入れるか?」
オムレツを作りながら、問いかける。
「え?」
聞き間違えだと思ったのだろう。なにせスザクは日本軍の軍人だ。
だが、KMFは駆れる。
「黒の騎士団に入れるか、と聞いたんだ。KMFは乗れるんだろ」
「乗れる、けど……」
決して勧誘する態度ではない。出来上がってほかほかの湯気が立ち上るオムレツをスザクの前に置き、自分の分を作り始める。
スザクは困惑しているようだった。それはそうだろう、今まで敵だった陣営につけと言うのだから。
自分のものを作り終わると、その前に作っていたサラダと共に並べる。
パンには軽く火を通しただけだ。
ぱりっと香ばしくなっている。
しばらくは食事に集中した。
「やっぱり、僕には黒の騎士団はつとまらないよ」
食事後、スザクが言った。
「何故だ? 軍人だからか? 軍人崩れなら中にもいるぞ」
「いや、そういう理由じゃない。キョウトをこれ以上敵に回したくない」
ああ、と思った。
そう言えば彼はキョウトから逃げているのだった。
「取り返しの付かない事っていうのは、なんだったんだ?」
今なら話すだろうかと問いかけてみる。
スザクの表情は苦しそうに歪められた。時期はまだ早かったらしい。だが、彼は口を開いた。
「人を、殺したんだ。一般人だ」
「そうか」
それが何故キョウトから? と思う。まさかキョウトの人間を殺したわけではあるまい。
それ以上はどれだけ待っても、口は開かれなかった。
まだ言える段階ではないのだろう。
テレビを付ける。相も変わらずテロの事件報道ばかりだ。
いい加減に決着をつけなければ、テロで日本が崩壊してしまうだろう。
だが枢木首相は非戦派だった。当然開戦派を潰しに掛かってきてはいる。だが次から次へと出てくる開戦派のグループに追いついていないのが現状だった。
「まだ、公表しないのか…」
小さな声でスザクがつぶやいたのを、ルルーシュは聞き逃さなかった。
だが、問い詰める事はやめた。そのうちに明かされる事だと思ったからだ。
さて、金は手に入れた。
メールを見れば、金は渡したのだから解放しろとの連絡が来ている。
しかしあれはただのテストに過ぎなかったのだ。本命はこの後に控えている。
スザクを黒の騎士団に入れる。その上で、その事実を公表する。
枢木首相の息子が開戦派に入ったとなれば、世間は騒然とするだろう。それによって考えを改める者もいるかもしれない。
世間の意見は、レジスタンスと同じに二分化されている。ただひとつ共通しているのは、日本が戦場になってはいけないと言う事。そして、今日の続きは明日、その続きは明後日と、切迫感がないことだけだ。
「黒の騎士団に入る気はないか?」
食事を終え、ソファに移動して再びスザクに問いかける。いざとなれば強制的にでも構わなかった。残念なことにもうギアスは使えない。だが、それでもついてくるだろうとの妙な確信があった。
「考えさせてくれないか……さすがに、すぐには決められない」
「だろうな。分かった」
もう一週間が過ぎようとしていた。
一度家に帰らなければならない。
「じゃあ、俺は一度戻る。夜にはまた来るから、それまでに出来れば何かを考えておいてくれ」
「分かったよ」
腹がくちくなれば、眠くもなってきた。それはスザクも同じようで、先ほどからあくびを繰り返している。
「あ、ベッドはちゃんと片付けておけよ!」
「分かってるよ」
そして自分のカバンを整理しなおして、帰り準備をする。おみやげがないのは不自然だろうと、途中トウキョウ租界の駅で買い求めて帰った。
久しぶりの自宅だった。
「おかえりなさい、お兄様!」
車椅子の妹が、飛んでくる。そのまま抱きつきそうになるのを、危険だからと咲世子がなんとか留めていた。代わりにルルーシュがナナリーに抱きついてあげる。
「ただいま、留守して悪かったな」
「いいえ、帰って来てくださればそれでいいのです」
「でも、寂しそうでしたわよ」
「咲世子さん!」
ぷん、と怒ってしまう。兄に心配させる姿を見せたくないのだろう。そう思えば一層愛らしく見える。
「ごめん、悪かったね」
「だから、構わないんです。咲世子さんの言う事は気にしないでください」
こっそり咲世子と目配せし、苦笑を浮かべた。
「分かったよ。これ、ナナリーへのおみやげだ。後で一緒に食べよう」
「わあ。なんですか?」
「まんじゅう、というものらしい。日本の食べ物だよ」
「へえ……楽しみです」
「ナナリー様、ルルーシュ様に一度お部屋へ戻っていただいた方が良いんじゃないですか? ここはまだ玄関ですよ」
「あっ、ごめんなさい」
「いや、俺も久しぶりにナナリーの顔が見れて嬉しい。じゃあ、ものを片付けてくるから少しだけ待っててくれないか?」
「はい!」
そしてナナリーは咲世子に車椅子を押され、リビングへ入って行く。
そう。彼女が安心して生きていけるような世界を作るために自分は生きているのだ。
ブリタニアの政策は強くあらねば生きていけないというものだ。弱者は切り捨てて行く。
かく言う自分も切り捨てられた人間だ。
そんな世界は必要なかった。
黒の騎士団はまずエリア11を解放するだろう。その後、世界へ打って出る。
ブリタニアとの戦争を行うのだ。
そうなればナナリーと過ごす時間も少なく――いや、ほぼなくなってしまうだろう。
今の内に十分彼女との時間を大事に過ごしておくべきだった。
咲世子は本来、ここを提供してくれている、アッシュフォード家のメイドだ。
時間が来れば帰ってしまう。
家にいるときは自分が夕食を準備するのが常だった。
ナナリーの好きなものばかりを用意する。彼女は目が見えない。それでも食べやすいものを作り、テーブルに並べて行く。その間もリビングとキッチンで河口湖がどんな場所だったかをずっと尋ねられている。
嘘ではないが、本当でもない事を伝えながら、食事の準備は終わった。
「さあ、ナナリー。食べようか」
「はい、お兄様」
花がほころぶように笑い、自分の席へ向かう。
ルルーシュが微調整し、自分も席に座った。
夜になり、ナナリーが自分の部屋に入って眠ったのを見計らってから、自分は再び家を出た。
完全寮制度の学園だったが、抜け道などいくらでもある。
手を加えてある地下水システムのエレベータに乗り、地下へ降りる。整備用の出入り口からルルーシュは外に出た。
ぶら下げているのはPCの入ったいつものカバンだけだ。
ゼロになる必要もないのだから、準備はしていない。
道のりは簡単だった。既に通いなれた道だ。
隠れ家にたどり着くと、明らかに鍵の開いた音で起きたと分かるスザクがいた。部屋は真っ暗だ。いったいいつから寝ていたのだろう。
「おい、いつから寝てた?」
「えーと……」
「もしかして、俺が帰ってからすぐか?」
「えーと」
答えようとしない。仕方ないのでPCのモニタで録画記録を見れば、自分の帰ったほぼ直後から寝ていたのが分かった。
「――寝過ぎだ」
「ごめん、つい」
「疲れる俺が寝るのなら分かるが、お前は普通にセックスしただけだろう? その上軍人だ。体力は有り余ってるだろうに」
「だからだよ。軍人は寝れる時に寝ておかなきゃいけないんだ!」
ふあ、と大きなあくびをしてスザクは立ち上がる。
「それに君がいないのに起きてても面白くないよ」
そして、ルルーシュに近寄り、抱きしめて来る。
「おい、スザク」
「なに?」
抱きしめたまま、返事をする。ルルーシュは抱き返さない。
「手を離せ。そんな関係じゃないだろ」
「え。違うの?! 昨日は同意してくれたじゃないか」
「あれは……酔ってただけだ!」
思い出して赤面する。すっかりその気になっていたのは確かだ。そんな嫌な気持ちもなかった。そうされるのが当然との気持ちもあった。
だが、自分はしたたかに酔っていた。
「酔ってる方が素直になるもんだけどなぁ…」
どこか納得行かず、それでもスザクは両手を離した。
「夕食も食べてないんだろう? 作ってやるから待ってろ。――その様子だと、考えもしてなさそうだしな」
「う。……ごめん」
手早く米を炊き、野菜炒めと肉を炒めてやる。こんな簡素な食事はナナリーには出さないが、作る事は可能だ。
ひとり分を用意して、テーブルに並べてやった。
「あれ? 君の分は?」
「もう食べた。何時だと思ってる?」
ちらり、とスザクは壁の時計を見た。
「十時半……」
「十二時間も寝てると脳細胞が死ぬ。だからお前はバカなんだな」
「バカってばっかり言わないでよ」
「バカにバカと言って何が悪い。で、どうするんだ?」
「待って、食べさせて。すごくおいしそう」
「そんな簡単なものが?」
「すごくお腹が減ってた事を今思い出した!」
匂いに導かれたか、スザクはすごい勢いで食べ始めた。ご飯はおかわりした。昼食を抜いているのだ、それも当然だろう。
十分も掛からず食べ終わると、ようやく満足したようにほぅと彼は息をついた。
「ごちそうさまでした」
綺麗に片付いた皿を見る。それなりに満足だった。
片付けながら、再度問いかける。
「黒の騎士団には?」
「まだ決めれないよ」
「ああ、寝てたからな」
「う…それを、言わないでよ」
「事実だろう」
「そうだけど」
しばらく時間を置いて、後一日考えさせて欲しいと言った。
それくらいなら待てる。
分かった、と答えるに留めた。
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