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割れた硝子の上を歩く22


 久しぶりの自宅だった。自宅と言っても、そこは学園のクラブハウスに過ぎないのだが、中学になる頃から住み出したそこにはそれなりの愛着を持っている。
 それになによりも、愛しい妹がいる。
 連絡は入れていたが、実際に会うのは本当に久しぶりの事になった。彼女はきっと心配しているだろおう。
 スザクの提案を受け入れ二日、すぐに出る訳にはいかず諸々の作業を片付け目処を付けてから、昼になる前の時間に戻って来た。彼女には告げていない。ちょっとしたサプライズのつもりだった。
 予め、咲世子さんにはこの日妹が休校だとは教えられていた。午前中に定例の検査があったのだ。
 だがそれも昼前には戻って来れるもので、例え学校に行くとしても午後からになるのが常だった。
 なので、この時間を狙ったのだ。
 どうしても、と言うスザクを引き連れ、クラブハウスのドアを開ける。
 車椅子の彼女の為に、居住区は一階だ。
「ただいま」
 自然と柔らかな声が出た。
 いつもならすぐに飛んでくる咲世子は来ず、不思議に思いながらそのままリビングへ向かう。
「ただいま、ナナリー」
 そこには妹がいた。
 ひどく驚いた顔をして、自分の顔の方向を見えない目で見上げて来る。
「お兄様……?」
「ごめん、長い間留守にして。ただいま」
「お兄様…!」
 歩み寄ろうとすると、彼女は器用に車椅子をあやつり、こちらへ向かってきた。そして飛び込むように抱きついてくる。
「ごめん、心配掛けたね……ナナリー、ごめん」
「お兄様、お兄様!」
 ナナリーは泣いているようだった。彼女も目の前で母を失った兄妹なのだ。家族の不在には人一倍敏感だった。それを分かっていながら、自分は家を空けていた。彼女の為の安住の世界を作るため、とは言え若干酷だったのだろう。
 分かっていた事だったのにと、罪悪感がルルーシュを蝕む。
「ごめんね、ナナリー」
 抱きしめて、頬摺りし、髪を撫でる。そして頬にキスをたくさん落とす。
 その様子を、扉の入り口でスザクはただ見ていた。
 家族という絆を余り知らない彼に取ってそれは不思議なものに見えていたのかもしれない。
 だけどルルーシュはその瞬間、スザクの存在をすっかり忘れてしまっていた。
 妹を泣かせてしまったことで、辛い気持ちがいっぱいになっていたのだ。
「ナナリー、ナナリー。大丈夫だから。俺は平気だよ」
「でも、お兄様がなかなか帰ってこないから……ごめんなさい、こんな事言って。でも」
「悪かった。色々あったのに、心配だったよな」
「ええ……日本はエリア11なんかになってしまって、またブリタニアが」
「大丈夫だよ、ナナリー。お前だけは守ってみせるから」
 もう、後は言葉にならないようだった。
 ルルーシュの胸に顔を埋め、泣きじゃくりながら必死でしがみついている。
 酷い事をしてしまったと、ルルーシュは後悔に苛まれた。ここでスザクに声を掛けてもらえなければ、まだ自分は帰ってなかっただろう。
 本来なら半日の休暇のつもりだった。だが、今夜ナナリーが眠って、朝起きて朝食を一緒に食べるまで一緒にいようと決める。
 そこで、ようやくスザクの事を思い出した。
「スザク……すまない、明日の朝までここにいたい」
「構わないと思うよ」
「……どなたか、いらっしゃるのですか?」
 スザクは柔らかな笑みを浮かべていた。だがそれで、ナナリーも彼の存在に気付いたようだ。
 人の気配には人一倍聡い彼女がようやく気付いたのだ。それほど、ルルーシュの不在が応えていたのだと、それだけで如実に知れる。
「友達と、一緒なんだ。スザクっていう。日本人だよ」
「スザク、さん……」
 名前を聞いて、彼女は不思議そうな顔をした。
「枢木神社の、スザクさんですか?」
「ナナリー!」
「はは、そうだよ。一度だけ会ったね。枢木スザクだよ。ナナリー、久しぶり」
「お久し振り、です」
 そう。
 彼とは初対面ではなかったのだ。
 七年前、日本に人質として自分達は送り込まれた。当時日本国首相だった枢木の家へだ。
 だがその翌日には母の後ろ盾でもあったアッシュフォードが攫ったのだ。自分達を。
 当時監視の目は厳しかった筈だ。それでもアッシュフォードは人質という立場を憐れみ、許そうとはしなかった。
 自分も当時七歳だったスザクに出会っている。
 告げなかったのは、その必要がないと思っていたからだけだ。彼も覚えていないとばかり思っていた。
「言ったでしょ、一目惚れだって」
「……!」
「その話は、また後でね。僕にも言えない事がいくつもあったんだ。後で話すよ」
「ああ……」
 当時の事を言っているのだろうか。まさか。
 動揺はそこまでにした。ナナリーの方が大事だったからだ。
 だが、スザクの存在でナナリーはいつもの姿に戻ったようだった。驚きで正気に戻ってしまったのだろう。
「スザクさんと、お兄様は一緒にいらしたのですか?」
「うん。ちょっとした奇遇で再会して、それからずっと一緒に。ねえ、ルルーシュ」
「あ、ああ。そうだな。奇遇だった。驚いた」
「もしかして、それでお兄様は帰れなかったのですか? 許しませんよ、お兄様になにか危害を……」
「ナナリー、大丈夫だ。スザクと俺は友達になった」
「え、友達に、ですか?」
 小さい頃のことを覚えている。初対面で自分達はいきなり殴り合いの喧嘩になったのだ。
 あの乱暴者のスザクがここまでおとなしくなっていたのは不思議だった。それを自殺とまで言うのだから尚更不思議だった。
 全てを知った今では、それも納得しているが。
 もしや再び人質になっていたのでは、と心配したらしいナナリーをなだめ、髪を撫でる。
 柔らかな手触りが懐かしくも愛おしい。
「そう。再会して、友達になった。もうあの頃のスザクとは違うよ。おとなしくなったし、決して乱暴はしない」
「そう、なんですか……」
「あれから七年も過ぎてるんだ。時効にしてもらえないかな、ナナリー。あのときは悪かったね」
「いいえ! こちらこそ……ごめんなさい」
「今日は一緒にお茶をして、夕食を食べよう」
「その後は?」
「お話をして、明日の朝、一緒にご飯を食べるんだ」
「あの……お兄様。お願いがあります」
「なんだ?」
「今日、一緒に寝てもらっても構いませんか? 甘えてるって分かってるんです! でも……」
 もう年頃の兄妹だ。本当ならあり得ない願いだろう。
 だが、ナナリーにはどこか幼さが抜けないところがあった。目が見えなくなり、歩けなくなってから、活発さを失い同時に心のどこかの時間を止めてしまったように感じる事があるのだ。
「いいよ、一緒に寝よう」
 スザクがちらりと自分を見たが、苦笑で返した。まさかここで抱き合う訳にはいかない。
「それより先に、昼食だな。咲世子さんは?」
「今、アッシュフォードに。もうすぐ戻って来られると思います」
「そうか。予定してたなら、勝手に手を出すのも悪いな」
「でも、二人分だと思いますよ?」
「ああ、そうか……。買い物から行かなきゃいけないかな」
「そうですね。――でも、ズルイです。帰ってくるのなら、昨日の電話の時に教えてくだされば良かったのに」
 ぷん、と怒る彼女は非常にかわいらしい。
「ごめん、ナナリー。本当に今日帰ってこれるかどうか分からなかったんだ」
 これは、半分本当で、半分嘘だ。何かトラブルがあって帰れない可能性はあったが、自分の仕事的には完全に仕上げてあった。残りの半分は、単に驚かせようと思っただけだったのだ。
 それがあんなに泣かれる結果になるのなら、何がなんでも昨日のうちに帰ると宣言し、電話で伝えて置けばよかったと思ってしまう。
 ルルーシュは妹にはめっぽう弱い。
 たったひとりの家族でもあるし、そうなってしまった理由が理由だからだ。それに、彼女は体に障害を抱えている。慕ってくる妹を、愛さない筈がなかった。
「それじゃあ、少し買い物に出よう。ナナリーは咲世子さんが来るまで待ってた方がいいよな……俺たちも、待とうか」
「そうですね」
 片時も離れたくないのだろう。
 ナナリーの手は、ルルーシュの手を強く握っていた。



 それから三十分もしないうちに戻ってきた咲世子もひどく二人の帰還を驚いていた。
 そして、買い物に行く旨を伝えると、咲世子はナナリーの分の昼食を作る為、お願いされてしまった。他の買い出しもだ。その辺り、彼女は控えめで良く気の付く人だが上手い。
 一度荷物を部屋に持って入ると、スザクは室内をぐるりと見回していた。
「ここでルルーシュは生活していたんだね」
「ああ、ほぼ監禁みたいなものだがな」
「そんな事言って……守ってもらったようなものなのに」
「そうだ、スザク。お前、覚えていたのか?」
 あの一日だけの邂逅の事をだ。
 スザクは当たり前のように頷いた。
「だから言ったでしょう、って。一目惚れだったんだって」
「そんな事は………」
 初めて体を重ねた時の事を思い出してしまう。ほぼ無理矢理に近かった。だが、彼は確かにそんな事も言っていた。
「初めて見た時、なんて綺麗な兄妹なんだろうって思った。本当は仲良くしたかったのに、当時の僕にはそんな方法分からなくて、喧嘩になっちゃったんだ。その時に、思った。君を守らなきゃって。思えばそれが僕の初恋」
「初恋は実らないと言うが?」
「見事、実ってると思うけど?」
 そして、ちゅっと唇を合わされる。
「こら、スザク! ここではそういうのは禁止だ」
「分かってるよ、ナナリーにバレたら、君、憤死しちゃいそうだもんね」
「…………分かってるじゃないか」
 不承不承告げたルルーシュに、スザクは盛大に笑った。
 ひとしきり笑った後で、しかししんとした表情になる。
「だからね、思ったんだ。再会したとき、運命かなあって。運命なんてある筈ないのに、最後に夢を見せてくれたんだと思った」
「夢じゃなかっただろ?」
「うん。こうやって君は傍にいてくれるし、愛してくれている。あのとき、出会えて本当に良かったよ」
「そうだな。お前があのビルを選ばなければ、戦闘がイレギュラーに起こらなければ、絶対に出会える筈はなかった」
「やっぱり、運命だよ」
 そう言って、こんどはゆっくり唇を合わせて来た。
 今度は拒む気持ちになれなかった。この存在が失われずに済んで良かった、と心から居もしないだろう神に感謝した。



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2011.4.25.
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