ずっとナナリーはご機嫌だった。余りにはしゃぎすぎて、知恵熱が出てしまう程だ。
これでは添い寝は無理だと、残念そうにナナリーは告げる。
それでも傍にいるからと告げれば、申し訳なさそうな顔をしながらも嬉しそうに「ありがとうございます」と笑顔を見せた。
ナナリーの幸福は自分に直結している。
それは、良いことなのだろうか。これからもルルーシュは家を空ける機会が多いだろう。実際、明日には家を出るし、次に戻れるのはいつになるのか分からない。いっそナナリーに全てを告げて、黒の騎士団に入れさせた方がいいのではないかとまで思った。
夜中を過ぎ、すっかり寝入ったナナリーの寝息は穏やかになっていた。
額に手を乗せると、熱はすっかり引いている。
ほっとして、伸びをした。
そして、濡れタオルと洗面器を片付けに部屋を出る。もう必要のないものだからだ。
浴室に置いて、ナナリーの部屋に戻る前に、ちらりとだけ自分の部屋を覗く気になった。そこで今日はスザクが寝ている。客室もあるのだが、せっかくだしここでいいよと彼が言ってくれたのだ。
同じベッドで寝る事なんて慣れている。自分の部屋で隠さなければならないものも、彼へは何一つ存在しない。だから、そこで眠ってもらうことになった。
扉を開け、中に入れば驚いた事にスザクは半身を起こした。
「起きてたのか……?」
「いや、気配がしたから」
ああ、そうだったと思い出す。彼は軍人なのだ。気配には聡い。
「すまない、起こしたようだな」
「いいよ、別に。大丈夫」
言って、枕元灯をスザクは点けた。
暖色の明かりが部屋を柔らかく包む。
「どう、ナナリーは?」
「もう熱も下がった、大丈夫だよ」
「そっか、良かった。でも、申し訳ない事しちゃったね……。もう少し頻繁に君が帰れるようにするようにしないと」
「それなんだが、スザク」
さっき思いついた事を相談してみることにした。
ざっと話すと、
「やめといた方がいいよ」
と、スザクはすぐに答えてしまった。
「何故だ?」
「二人もアッシュフォードから消えて、どう説明するの? それに戦争は決して綺麗事じゃない。汚い部分ばかりだ。勝利すれば構わないけど、人死にも当然出る。そんな場所に、彼女は似合わないよ」
「………後方に、と思ったんだが」
「それでも、人が死んでいく事実をラジオなんかよりリアルに知る事になる。君の大事な妹なんだろう? そんな事、知らない方がいいよ」
「……そうだな」
スザクの言葉は正論だった。
汚いものを見せたくない訳ではない。だが進んで見せたいとも思わない。普通に生きて、普通の感覚を妹には養って欲しいのだ。それには、黒の騎士団と言うスペースはイレギュラーに過ぎるだろう。
自分の愚かさを思い知った。妹愛しさに、どうやら目がくらんでしまったらしい。
「ありがとう、スザク」
ベッドに歩み寄る。そして、端に座った。
ベッドに置いた手に今まで寝ていた人間特有の温かな手が被さる。
「どうするの、君は。今夜はこのまま寝ないつもり?」
「いや、ナナリーの熱も下がったし」
そしたら……と、言って、スザクは毛布をふわりと持ち上げた。入って来いと言う事だ。
「スザク、ここじゃあ……」
「何もしないよ。ただ、一緒に寝るだけ」
「………そうだが…」
「それも、ダメ?」
上目使いで首を傾げるなんて、その辺りの女子がやるものの筈なのに、自分の目には誰よりも魅力的に感じてしまう。ズルイ、と思う。
「仕方ないな」
苦笑して、ルルーシュは布団の中へ潜り込んだ。すぐさまスザクに抱きしめられる。
「こら、スザク」
「何もしないって」
「この手はなんだ、この手は」
「えーと……癖?」
苦笑を浮かべる。まあいいか、とルルーシュも思ってしまった。
彼の腕の中にいるのは、心地良い。
最初痛くて仕方なかったのに、体がそれをもう覚えてしまった。その方が寝心地が良いと体を作り替えられてしまったのだ。
「仕方ないな」
背中向きだったのを、くるりと腕の中で体を反転させて向かい合わせになる。
そして、至近の額に自分の額をくっつけた。
「おやすみ」
「眠くなさそうだけど?」
「それは、お前もだ」
「僕は軍人だから。どこでもいつでも、寝れる時は寝れるよ」
「そしたら、その寝顔を見てよう」
「……そんな勿体ないこと、出来ないなあ。やっぱり」
むう、とスザクは唇を尖らせる。
こつん、と合わせた額を一度引き離して、ぶつけた。
「あいた」
「勿体なくても、ダメだ」
「…………はぁい」
でも、これくらいならいいよねと唇を重ねて来る。これくらいならば、と先ほどもしてしまった行為だ。ルルーシュは受け入れた。だが、次第に濃厚になっていく口づけにこちらの我慢が出来なくなってしまいそうだった。
こんな姿勢で、こんな口づけは、卑怯過ぎる。
「スザク」
唇を離した瞬間に、軽くねめつけて低くたしなめるように名を呼んだ。
「ごめん。だってさ」
「………俺だって、我慢してるんだ。お前も耐えてくれ」
「そんな事言われたら、余計に煽られちゃうよ」
ぼそぼそとそんな事を言い合いながら、時間は流れてゆく。
朝が来るまではそれほどの時間を残していなかった。
「明日、明日は絶対だからね」
妥協したのか、そう告げてスザクは寝てしまおうとした。
こちらは軽く興奮状態のままだ。眠れそうにない。
ズルイ、と再び思って、ぎゅうと彼に抱きついてやった。
そしてそのまま目を閉じる。
意外に、眠りはそのまま訪れてくれた。
「珍しいですね、お兄様がお寝坊さんなんて。昨日、私が看病させてしまったから……」
「いいや、違うんだ。それは関係ない」
朝食の席に遅れて顔を出せば、ナナリーは既に制服に着替えてトーストを食べていた。
咲世子が今朝も来てくれていたらしい。基本的にルルーシュがいれば家事のほとんどはルルーシュがしていたが、つい今朝もいないつもりで顔を出してしまったらしかった。
彼女の困ったような顔に、慌ててルルーシュは反論した。
理由はと言えば、涼しい顔で横に座ったこの男のだと言うのに、それを告げる事が出来ない。
「ああ、それとももしかして、スザクさんとお喋りなさってたんですか?」
「あ、ああ。そうなんだ」
確かに、喋っていた。色んな余録はついていたが。
「本当に仲良しになったんですね。なんだか、嬉しいです」
にこにこと笑顔で、彼女は告げる。その笑顔を見ていると、自然にルルーシュも笑顔になった。
「お兄様って、お友達たくさんいそうだけど、おうちに連れてきてお泊まりさせるようなお付き合いをなさるような方っていらっしゃらなかったですもの。密かに心配してたんですよ」
お姉さんのような口調をわざとして、笑いを誘う。
「すまなかったな、甲斐性のない兄で」
「ええ、本当に」
言ってから、ナナリーは自分でぷっと吹き出して笑った。
「お兄様、帰ってきてくださってありがとうございます。きっとまだお忙しいんでしょう?」
「え?」
笑顔の片鱗を残して、彼女はそんな事を言う。
驚いたのはルルーシュ、スザク、共にだ。
「本当は……言わないでおこうかと思ってたんです。でも、やっぱり言っておいた方がいいと思って」
ナナリーの笑みが、微笑みと言って良いものに変わった。
「誰にも言いません。ゼロ……は、お兄様ですよね?」
驚きすぎて、二人共が口を開けなかった。
ナナリーは微笑んだまま、二人が冷静になるのを待っている。
「何故、分かった?」
先に理性を取り戻したのは、ルルーシュの方だった。いや、もしかしたらスザクも我に返っていたのかもしれない。だがこの問いをするのはルルーシュでなければいけなかったのだ。
「癖です。お兄様の喋り方、声のトーン、言葉の選び方。そして、歩き方。私はずっと傍にいましたもの。もしかして、ってずっと思ってました。でも、今ので確信出来ました」
ふふ、と彼女は笑う。
「妹を侮ってはいけませんよ?」
そして、手を伸ばしてきた。
その手にルルーシュは自分の手を添える。
嘘をついていない、との証明だ。
「ああ。確かに、そうだ。すまなかった、ちゃんと言っていなくて」
「いいんです。言えないだろう気持ちも分かりましたから」
そして、もう片方の手でルルーシュの手も伸ばして、ルルーシュの手を包み込んだ。
「お願いがあります。決して、死なないでくださいね」
「ああ、約束しよう」
「スザクさんも、一緒なのでしょう? お願いします。お兄様を守ってください」
「うん、もちろんだよ」
そして、スザクの手が伸びて、ナナリーの手のひらを覆った。
不思議な情景だっただろう。
だけど、そのぬくもりのかたまりは、大事な約束のしるしになった。
ナナリーが学校を出るのを見送ってから、自分達も帰路へついた。
「まさかな……バレてたとは」
「盲目なんでしょ、ナナリーは。だったら音に敏感な筈だよ。歩き方ひとつで人を見分けるでしょ?」
「確かに。迂闊だったな、俺としたことが」
だから、あれだけ泣きじゃくったのかもしれない。離れていた寂しさの為ではなく、無事だったことに対してではなく、戦場で戦闘に立つ兄が無事に戻って来てくれた事に対しての安堵の涙だったのだ、きっと。
もう二度と帰らないと思っていたかもしれなかった。
「また、時間を作って帰ろう? 僕もお供するから」
「ああ、そうだな」
もうあんな泣かせ方を二度とさせたくなかった。
そのためには、きちんと生きて、ちゃんと帰らなければならないのだ。
「頼んだぞ、スザク」
「え?」
背中をぽん、と叩けばきょとんとした顔をする。
「守ってくれるんだろう?」
「ああ、その事か……うん。必ず、何があっても、君を守るよ。ナナリーの為だけじゃない。僕のためにもね」
そしてふわりと笑う。
その笑顔に、路上だと言うのにキスがしたくなって困ってしまった。
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