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割れた硝子の上を歩く41


 一息ついてみると、自分は焦り過ぎていたらしいとようやく気付く事が出来た。
 スザクのお陰だ。
 この一ヶ月あまりの間、彼すらも駒としておざなりに扱っていた事に気付く。あり得ない失態だった。
 この愛おしい存在を駒扱いするなんてことはあり得ない筈なのに、シュナイゼルの施政は敢えて隙を与え、そこを突かせて来る。その頭脳ゲームに振り回されていたのだ。
「すまなかった、スザク」
「え、なに?」
 神楽耶襲撃後、再び部屋にふたりきりに戻ってしばらくした後のスザクは、何も分かっておらず、首を傾げている。
 神楽耶の事なら謝るのならむしろ血縁のスザクの方であり、彼は彼女が帰った後、必死で謝っていた。その様子を面白く思い出した。
 それが表情に出ていたのだろう。微笑みにつられたように、彼も笑みを浮かべた。
 そして、その笑みを深めルルーシュを抱きしめて来る。
「良かった、いつものルルーシュだ」
「……?」
 今度はこちらが首を傾げる番だった。だが、考えずともすぐに分かった。追い詰められた動きをしていた自分はきっと尋常ではなかったのだろう。それがスザクに心配掛けていたに違いない。
「だから、悪かった。平常じゃなくなってたな、俺は」
「ああ、そういう事…」
 抱きしめたまま至近の距離で目を見つめ合い、微笑まれる。
「いいよ、元に戻ったから。確かに少しルルーシュはおかしくなってたね。でも指揮官ってのはそういう立場だもの。しょうがなかったよ」
「いや……」
 でも、と反論しようとしたがその言葉は途中で遮られた。
「僕たちが早くに気付いて、考えなければいけなかったことなんだ。黒の騎士団には司令部がない。ルルーシュの頭ひとつに掛かっている。そんなの、軍隊としては異常だよね。君ひとりに負担が掛かりすぎていたんだ。それにもっと早く、気付ければ良かった。謝らなきゃいけないのは僕のほうだよ」
 ぎゅう、と抱きしめられる力が強くなる。
 そして耳元で「ごめんね」とささやかれた。
 完敗だ。
 くたり、とルルーシュは力を抜いて彼に体重を預けた。
 そして「ありがとう」とささやくに留める。
 何を言っても意味がないだろう。それを選んだのは自分自身だと言う事。司令部を育てなかったのも自分自身だったと言う事。すべて自分の責任だったのに、それをフォローされた。きっとそのことを告げても、彼は謝ってくるだろう。
 それでも必要だった、と。
 確かに騎士団の頭脳が自分ひとりという状態はおかしかった。
 本当は司令部がなければならない。協議し、責任を分散し、それぞれの命を預からなければならなかったのだ。
 だが今更遅い。
 副司令の扇はこういったことに慣れていない。
 頭が切れる人物と言えば、後はディートハルトだが、彼はこういった事に向いていない。あくまでも使われる側として、生き甲斐を感じているように見受けられる。しかも、ゼロに。
 自分でなくてはならない。
 それは、変わらない。
 だが、心の余裕をもう少し取り戻すべきだった。
 今のゲリラ戦は良い戦法ではない。単なる消耗戦だ。相手の手のひらで踊っているだけに過ぎない。
 しばらく、行動はストップさせた方がいいだろう。
 そして軍隊として正式に動き出せるまで、待つ方がいい。
 その方がスザクやカレンと言う、今現在負担を背負っている人間の責任も減らす事が出来る。
 何も見えなくなっていたのだなあと今更ながらに思った。
「ありがとう」
 再び、告げた。
 意味が分かったのか分かっていないのかは分からないけれども、笑いの気配と共にスザクは「どういたしまして」と告げた。



 久しぶりに本隊の基地に戻れば、歓迎された。
 基礎訓練やKMFの研究、実験に追われている地味な現場だ。トップの帰還という派手な出来事は喜ばしい事だろう。
 そこで幹部を招集し、今後の方針を伝える事にした。
 しばらく、黒の騎士団としての行動は慎むこと。幸いにも基地の場所は割れていない。
 静かにじっと、嵐が過ぎるのを待つかのようにおとなしくしていれば見つかることもないだろう。
 そうやって、ラクシャータの研究が終わるのを待つ。
 そこでようやく、自分達は再び立ち上がり軍隊として動き出すのだ。
 待つことも時には重要だった。現在の黒の騎士団の立ち位置は非常に不安定だ。形成はいずれ逆転することもあるだろう。
 待つだけの時間はきっと長く感じるだろうが、皆に耐えてもらうことにした。
 一部の人間は名誉ブリタニア人となって、市政の内側に入ってもらう事も考えた。騎士団の人間は面が割れている人間の方が少ない。その方法は簡単な事だった。
 まずは手始めに、扇がトウキョウ租界に潜り込む事になった。手下を数人連れて、元々学校の教員だったという扇は日本語教師の資格を取り、教員になる事とする。
 手下達は同じ建物に住み、シュナイゼルの施政を感じること、穴を見つける事が役割だった。
 ルルーシュは残念な事に、枢木首相暗殺事件の件がある。ナナリーの事が心配だったが、それは扇に任せる事とした。扇が赴任するのはアッシュフォード学園だ。そうなるよう、周到に裏側から手を回した。個人的なコネクションも使用した。
 失踪扱いになっているルルーシュに、かつて同じ生徒会役員だった彼女は酷く驚いた後怒っていたけれども、同時に彼がブリタニア皇子である事、そして枢木首相暗殺の被疑者のひとりとして数えられている事も知っていたので、それ以上は深く追求してこなかった。
 身を隠さなければならない理由を、彼女は理解していたのだ。
 ルルーシュが皇子であり、本当に枢木ゲンブを暗殺したのであれば、戦争の一端は彼にあることになる。そうじゃないとしても疑いを掛けられた時点でアウトだ。身辺を調査されれば困る事になるのはなにもルルーシュだけではない。匿い続けたアッシュフォードも無事では済まされない。
 ナナリーの事だけ頼み、最後に一言だけ彼女と会話を交わした。
『待っています』
 彼女の言葉に込められた複数の思いを受け取って、ルルーシュは通話を切り、扇を向かわせた。
 日本人街にも幾人か人員を散らして配置する。租界とゲットー。どれほどの差があるのかはっきりとこの目で見極めねばならなかった。
 


 ラクシャータの研究はそこそこ進んでいるようだった。インド軍区からの人員が追加された事は連絡を受けている。ブレイズルミナスはまだ実用化には至らないが、それも時間の問題だろう。
 ルルーシュが研究室兼倉庫に向かったとき、彼女は大仰に驚いてみせた。
「あーら、珍しい人がいるじゃない」
 煙管をふかし、そしてけらけらと笑う。
「待ってたわよ、ゼロ。貴方全然戻ってこないんだもの。あたしたちは放って置かれたままなのかしらと勘違いしちゃったじゃない」
「済まなかった、些事に追われていた――で、どうだ?」
「ヴァリスは完装済み。ブレイズルミナスについては八十パーセントの仕上がりってところかしら? 時間の問題ね。こちらにも搭載出来るわ。ただ、問題はやっぱり」
「エナジーフィラーか」
「ええ」
 かん、と煙管をテーブルに叩きつけ、ラクシャータは困った顔をする。
「これ以上エネルギー効率を良くするためには、サクラダイトが大量に必要になる。それは、そう簡単に手に入れられるものじゃないわ」
 そこで思い浮かんだのは、桐原の顔だ。
 彼はサクラダイト鉱山の開発を一手に引き受けている。
「お金を出してもそうそう簡単に手に入るものじゃないし――」
「キョウトに言っておく。問題はクリアされるだろう」
「はあ? そんな簡単に?」
 ラクシャータは知らないのだ。キョウトと実際面通しをしているが、それらが本来何をしている人物なのか、社会的役割はどうなのかと言った知識が一切ない。
 桐原なら上手くごまかしてサクラダイトを裏ルートで回す事が出来るだろう。いや、してもらわねば困る。そのために任されたようなものなのだから。
「簡単ではないな。だが、やってやれないことはない」
「――わかったわ」
 一応、もったいをつけておく。簡単にキョウトとNACとの繋がりを知られるのは、黒の騎士団内でも避けるべき出来事だと思ったからだった。
 そこへ、ふらりと現れた人物がいた。
「ゼロ様!」
 階段を駆け下り、駆けつけてきた彼女はいつもの着物姿ではなく、短い丈のスカート姿だ。それでも行動は変わりない。飛びついて来たのを、慌てて受け止めた。
「あらあら、おもてなようねえ、ゼロ」
「もてているのではありませんわ。わたくし、ゼロ様の妻です。当然のことですの」
 にこり、と笑う神楽耶の表情に邪気はない。
「あら、いつの間に妻帯者になったのかしら。愛人ふたりと妻ひとり、たいへんねえ」
 くすくすと子供をあやすように、ラクシャータが笑う。
「訂正させていただきますわ、愛人はひとりです。まあ、ふたりいたところで問題はございませんが」
「じゃあ、あたしでも?」
「お互いがその気でしたら、どうぞ?」
 不思議なことに、少女と言っても不思議でない彼女の表情はその瞬間だけ女の顔になった。
 恐ろしいものだとルルーシュはそれを見て、思う。
 彼女は少女でありながら、実際は無邪気を装う女なのだ。朝にも言っていた。政治的判断としては、皇の血族が日本の顔となるのは正しいことだ。理に適っている。
 誰かにそう仕込まれた訳でなく、自分で考え、判断しているのだとすれば、この姿に騙されない方がいいなとルルーシュは彼女に対する認識を改める事とした。
 皇の一人娘として、単に甘やかされて育った訳ではなさそうだった。
「どうかいたしまして? ゼロ様」
「いや。私の妻はどうやら恐ろしい方だと思っただけですよ」
「あら、失礼ですわ。こんなに優しい妻などおりませんのに」
 ぷん、と表情を作ってしがみついたままそっぽを向く。それすらも計算されたものだろう。
 見事なものだと思った。
「ラクシャータ、それでは頼んだ。私はそれでは、妻と一緒に邪魔をしないよう、外に出る事にしよう。しばらくはここに滞在する。何かあれば私室へコールするように」
「りょーかい。わかったわよ」
 薄ら笑いを浮かべた彼女が何を思っているのかは知らないが、ひとまずその場を後にするしかないようだった。



「神楽耶嬢、あまりKMFのある場所へ向かうのはやめていただきたい。危険だ」
「申し訳ありません。ゼロ様がお戻りになってると伺って、つい」
 彼女はぺろりと舌を出し、上目使いで見上げてくる。
 子供らしい表情で、苦笑するしかない。
「分かりましたよ。今後は貴方のためにも時間を作りましょう」
「いいえ、結構ですわ。スザクがいるのに、仮の妻の相手をしていてもつまらないでしょう?」
「――そのことは……」
「他言はいたしません」
 にっこりと、彼女は笑う。
「ですが、少しばかり妬けますわ。私のどこがスザクに負けたのでしょう。お会い出来る時間がもっと早ければ良かったのに」
「こればかりは運命の神にでも文句を言うしかないでしょうね」
「あら。わたくし、幸運の女神なのですよ?」
「それは頼もしい。だが私は既に悪魔と契約も果たしてしまった。神とは相容れない存在です」
「そうですの――なにもかもが遅すぎたのですね、わたくし。貴方のデビューからあこがれていましたのに」
 そう語る彼女は確かに少女の顔をしていた。
 夕暮れが近づく時間、朱色に染まった世界で彼女はひどく可憐で、ひどく恐ろしいもののように見えた。



 その日は一日、大忙しだった。
 前日の無理もたたっていたのか、夜になると踏ん張りがきかなくなっていく。
 ルルーシュはディートハルトの報告を受け、扇の準備を整え、そして若輩兵の様子を視察し、部屋に戻れたのは午後十時を過ぎた時間だった。当然食事など取れる時間があった筈もない。
 仮面を脱げないゼロは、人ではなく象徴なのだ。
 私室に戻れば珍しくスザクはまだ戻っていなかった。
 それをつまらなく思いながら、仮面を脱ぎ、冷たい水を気が済むまで飲んだ。
 喉もからからに乾燥していた。実務ではなく、指揮でもなく、視察と報告だけに明け暮れる日々は久しぶりで調子がつかめなかったのだ。
 スザクが戻って来るより先に、C.C.が部屋に入って来た。
「お疲れのようだな」
「ああ、戻ったのは久しぶりだからな」
「目が覚めた、と言う顔をしているぞ」
「スザクに感謝をしてくれ。俺のおかげじゃない」
「まあ、愛人同士仲良くしておこうじゃないか。もう寝るのか?」
「スザクを待とうとは思うが……」
 しかし、大きな欠伸が出る。
 疲労は蓄積されていた。
「たまには一緒に寝てやろうか?」
「断る。スザクにまた誤解されて、酷い目にあうのはお前だぞ、C.C.」
「それもそうか」
 くすくすと、それでも楽しそうに彼女は笑っていた。
 シャワーを浴びて、スザクをどうやら待てずに眠ってしまいそうだった。
 ベッドのシーツの上に横たわる。寝込むつもりではなかった。それなのに、いつの間にか眠っていたらしい。
 扉の開いた音の後、
「ああああああ! C.C.! なにやってんだよ!」
 との盛大な声に起こされたのは午前0時を過ぎた後だった。
 ふと目を開ければ、C.C.の明るいグリーンの髪が傍にある。添い寝されている。
 その向こう側にスザクの憤慨した顔が見えた。



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2011.5.7.
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