※このお話ではルルちゃんとスザクは見知らぬ他人です
「ごめんね、ルルちゃん。ナナリーが退院するまでの間だから」
と、ある日告げられたのは、クラブハウスから寮への引っ越しの事だった。
一部老朽化のため、ナナリーが検査入院をする間に修復を行いたいのだとミレイは理事長の言葉を代弁した。
居候の身だ、それも仕方ないだろうとルルーシュは諦める事にした。
いや、諦めるしかないのだ。アッシュフォードには世話になっている。ここで我が儘を発揮してもなんの得にもならないどころか、迷惑を掛けるだけだろう。その程度の恩返しはするべきだった。
「で、同居人がいるんだけど」
「ひとりじゃないんですか?」
「今ね、寮満員なのよ。ふたり部屋だから安心して。相手もフランクな相手だから問題ないと思うし」
その言葉に一縷の戦慄を覚えた。
ルルーシュは元々、狭く浅くの人間だ。
人との深い付き合いは望まない。それは自分の生い立ちによるところが多いのだが、全体的にどうでもいい対応――それを好意的に受け取る人間が多い事には驚きを覚えるが――をしてきた自分にとって、フランクな人間相手にどう対応すればいいのかが分からなかった。
それでも、ほんの半月あまりの事だ。
我慢できない期間ではない。
そう思い、ルルーシュは引っ越し準備を一日で整えた。
「おはよう、君が新しい同居人? よろしく、僕は枢木スザク」
引っ越し先のルームメイトはくるくるの柔らかそうな巻き毛に深い緑の目をした、印象的な人物だった。だがフランクな人間、と言うのは本当らしい。持っていた荷物をひょいと引っ張り上げ、部屋の中へ運んでいく。慌てて追いかける形になったルルーシュは、どうにも調子を崩された。
「よろしく。ルルーシュだよね、君」
「ああ、ルルーシュ・ランペルージだ。短い間だが、よろしく頼む」
「クラブハウス、修復なんだってね。大変だね」
そう言いながら、彼は右手を差し出してきた。
軽く首を傾げると、彼は「握手」、と笑顔で告げてくる。
失礼があってはいけないと、慌てて自分も右手を出した。
手の温度は高かった。やんわりと握られ、「よろしく」と改めて告げられた相手には、悪印象は受けなかった。
しかし、フランクと言うのは本当だったんだなとこの後ルルーシュは思い知る事になる。
最初は握手から始まった。その後、荷解きを手伝おうかと言う申し出はやんわり断ったが、好奇心旺盛な顔でじっと荷解きを眺められる。正直、居心地が悪かった。
彼は何か自分に思うところでもあるのだろうか? との疑念が過ぎる。それほど熱心に自分の動きをじっと見ているのだ。
クラブハウスで特別待遇を受けている事は、生徒会役員でもあるルルーシュの事だ。学園内では有名な事だった。それを気に入らない人間もいるだろう。彼もそうかもしれない。
だが、それにしては最初やけに友好的だったし、今の表情からもそのような気配は感じ取れない。
ただ、ちょっと身動きを取るのに不自由なほど眺められているだけだ。
「あの、枢木……」
「スザクでいいよ」
「枢木、余り見られていると、やりにくい。お前も用事くらいはあるだろう? そちらに没頭してくれないか?」
敢えて名前呼びを無視して苗字で呼ぶ事にした。たった半月しか同居しない相手なのだ。そう親しくする必要もない。それに、今更人付き合いを増やすのは面倒でもあった。
お互い不干渉であれる人間であれば良かったのにと軽く会長を呪う。
「別にヒマなんだけどな……やりにくい?」
「ああ、とても」
「そうか。それじゃあしょうがないね。僕、宿題でもやってるよ。頑張ってね」
と、ぽんと頭に手を乗せられ、彼は自分の机に向かって行った。
今のはなんだったんだろうと悩む。だが、深く考えるだけ無駄だと言う気がした。彼とはきっと根本的に人種が違う。
彼が見ていないとなれば、荷解きに差程時間は掛からなかった。
基本的に持ち出しているのは、学校に必要な教材とノートに筆記具、そして制服と着替えだけだ。
作り付けのクローゼットはすかすかで、机はかろうじて学生らしさが見て取れる程度に片付ける事が出来た。
「早いね、手際がいいんだ」
「――こちらの事は、気にしないでくれると嬉しいんだが」
「でもこの狭い部屋だよ? 気にしないって方が無理あると思うんだけど」
狭いとは言え、一般学生からすれば豪奢な部屋にあたるだろう。
ひとり当たり15平米は確保されたゆったりとした空間。そこにセミダブルのベッドと机とクローゼットが作り付けられている。それらがあったとしても、なにもない空間の方が広いくらいだ。
気にしないで過ごすくらいは簡単だろうに、彼にはそれが難しいようだった。動くものに興味があるのだろうか。まるで子供だ。
自分が意識しなければいいのだとの結論に達し、片付いた部屋のベッドの上に横たわった。読みかけの本があったのだ。その続きを読みたかった。
「ねえ、ルルーシュは妹と一緒に住んでるんでしょ? いいなあ家族と一緒って。僕、戦災孤児だから家族ってのがいないんだよね」
こちらが落ち着いたのを見計らったように、スザクは喋り掛けてくる。
しかも、返答しずらい話題だ。
「そうなのか」
無難に、そう答えるしかない。戦災孤児と言われて、どう返せばいいと言うのだろう。スザクは名誉ブリタニア人だ。名前が日本人なのだから、すぐに分かる。門戸の広い学園だからイレブンの生徒も数多くいるけれども、彼のような戦災孤児も中には多く含まれているのだろう。
学費さえ払え、勉学について行けるならば何も問題ないからだ。
「そうなんだ。だから家族ってのにあこがれてて――だって七年前だったでしょ、戦争は。子供の頃に全部なくなっちゃったし、元々家族を顧みる両親でもなかったから、暖かい家庭ってのに縁がないんだ。ちょっと羨ましいな」
また、困った話題を持ち出してくる。
しかしそう語るスザクの表情は、ちらりと垣間見れば本当に憧れだけを表に出していて、悲壮感が欠片もない。天然なのだろうか。困った事だ。
本当は、妹が戻ってきたら招待でもされたいのかもしれない。だが、ルルーシュには全くその気がなかった。
取りあえず、面倒な相手と同室になってしまったとの気持ちでいっぱいだった。
それからも読書の邪魔をされ続け、微妙な話題を振ってくる。
曖昧な返事しかすることが出来ず、だからと言ってぎくしゃくする訳でもなく、時間は過ぎて行った。
「あ、ルルーシュ! ご飯の時間!」
「え?」
「ああ、寮は初めてなんだっけ。ご飯の時間が決まってるんだ。逃すと食いっぱぐれて空腹と一晩付き合う事になっちゃうよ。早く行こう」
「行こうって、どこに」
「食堂だよ。三階が一面そうなってる。君、説明受けてなかったの?」
「――……そう言えば、聞いてなかったな」
ミレイと言えば、引っ越してね! としか言わなかったのだ。寮の造りや過ごし方など、今まで知らなかったことだし、知る必要もないことだと思っていた。だから尋ねる事も失念していたのだ。きっとミレイは同居人がどうにかするだろうと端折ったに違いない。
「ほら、行こう」
と、ベッドに横たわるルルーシュの手を引っ張って起こされた。そしてそのまま立たされる。
「メニューもいくつかあるけど、人気なのはすぐになくなっちゃうから食事の時間が来たらすぐに向かった方がいいんだ。味は保証出来ると思うよ? すごくおいしいって僕は思ってるから」
そして、手を握ったまま部屋を出ようとした。
「おい、手」
「え?」
「握ってなくとも、行けるから……離してくれないか」
「あ、ああ。ごめん、忘れてた」
笑いながら、彼は手を離して扉を開けた。
廊下には確かに食堂へ向かう生徒の人波が出来ている。この中で男同士手を繋いで歩いていたかもしれない可能性について考え、頭を抱えたくなった。
どうにもやはり、違う人種らしい。そして、それは自分とは相容れない存在でもあるらしい。
出来るだけ距離を取った方がいいなと思ったのだが、食堂ではスザクに案内されるまま隣同士の席に座り、同じメニューを食べた。
彼はボディタッチが癖のようだ。
喋りながら食べ、時に肩や頭に触れて来る。
それはつまらない話の合いの手や笑ったついでの行為のようで、周囲にも特別変には見られていないので、いつもの事なのだろうと思わされた。
彼から距離を取るには、果たしてどうすればいいのだろう。
明日の朝は、取りあえず彼より先に起きて先に食堂に向かおうと心に決めた。
ひとりで静かに食事くらいは取りたかったのだ。
しかしその野望は破られた。
「ルルーシュ、ルルーシュ、起きて。もう行かなきゃ朝食食べ損ねちゃうよ!」
ぐらぐらと揺さぶられて、朝を迎えてしまったのだ。
どうやら気疲れしてすっかり眠り込んでしまったらしい。スザクは遠慮なしにルルーシュを揺さぶり、起こそうと躍起になっている。
「……起きた、もう大丈夫だ」
「そう? おはよう」
「………おはよう」
ひどくぶっきらぼうな声になってしまったと思う。目が覚めた瞬間に意識が覚醒したルルーシュは、明らかに自分が失態を犯した事に気付いたからだ。
この調子では、今朝も彼と一緒に食事を取らなければならない。
「ほら、早く制服着替えて」
と、彼はクローゼットからルルーシュの制服を取り出してまでした。
「構わないでくれないか、そこまでしなくていい」
「だって同居人がお腹空かせて授業受けてたら、僕、切ないよ」
心配そうな顔を向けられれば、諦めるしかなかった。
仕方なく身を起こす。用意された制服に着替えはじめた。
「お前、先に行ってていいぞ」
「え、いいよ待ってるから」
「いや、お前も食いっぱぐれるかもしれないだろ」
「大丈夫だよ、ルルーシュが準備する時間くらい」
埒が明かない。こちらの意図を汲み取ろうという意志がないようだ。
こちらが急ぐしかないようだった。
「分かった、それじゃあ少し待ってくれ」
シャツのボタンを急いで留め、制服の上着を着る。
ボタンは部屋を出る為に歩きながら止めた。
「ほら、早く行こう」
手をまた握られそうになったので、すっと避けると、肩をぽんと叩かれた。
そのまま肩を握られて外に出る。
「おはよう」
「ああ、おはよう!」
食堂へ向かう波は今朝も健在だ。その中で、この不自然な姿勢は見咎められないのだろうか。スザクとすれ違う人々は普通に挨拶を交わして行く。
自分としては居心地が悪くて仕方ないのに、これではふりほどく事も出来ない。
「あの、枢木……」
「スザクでいいって言ったじゃない」
「その、手を…」
「名前を呼んだら、離してあげるよ」
ちっと舌打ちしそうになった。とんだ狸かもしれない。
「分かった、スザク。手を離してくれないか。落ち着かない」
「――うん、分かった」
手は簡単に離れて行った。だがそこに、彼の温度が残る。どうやら自分より体温の高いらしい彼は、跡まで残して行ったようだ。
見知った顔に、ルルーシュもおはようと挨拶を交わしながら、やはり昨夜と同じようにスザクと隣合わせに座って朝食を取る事となった。
彼はそうおしゃべりな訳ではない。
ただ、雰囲気が賑やかなのだ。
友人も多いようで、声を掛けられる機会も多い。
そのせいもあるだろう。
元来、そう広い交友を求めるタイプではない自分としては、落ち着かない事この上なかったが、今朝は起こしてもらった恩義がある。我慢するしかなかった。学校へ行けば、どうせクラスは違う。
そう思うと開放感が訪れた。
教室では静けさを堪能できた。今までずっとクラブハウス暮らしだったから知らなかったが、見知らぬ他人と一緒に暮らすというのはこんなに大変なものだったのかと思い知った。
リヴァルなどはずっと寮暮らしだ。彼は明るい性格でもあるのでそう苦にはならないかもしれないが、部屋の割り振りは自分では決められないと聞いている。相性の悪い相手と同室で一年を過ごす事もあるだろう。それを思うと、気の毒な気分になる。
そうだ、一年も我慢している生徒が中にはいるのかもしれない。
それならば、たった半月ぐらいマシなものだ。
ルルーシュはそう思おうとした。
過剰なスキンシップも好意と思えば悪い気持ちにはならない。嫌いな相手や、嫌われている相手と同室になるよりずっとマシだっただろう。半月くらいは大丈夫。暗示に掛けるように、ルルーシュは思い込もうとする。
しかし、それからも終始スザクにはペースを乱され続けた。
入寮してから一週間。
「ルルちゃん、なんか疲れてない?」
生徒会室で書類の決裁をしていると、横から書類との間に顔をにゅっとつき出した会長がいて、ひどく驚いてのけぞった。
「あはは、ルルーシュ驚き過ぎ!」
「会長、心臓に悪いですよ!」
「あら。でも気配にも気付かないなんてのはおかしくない? いつもだったら周到に避けるくせに。やっぱり疲れてるのね」
「そりゃあ、疲れもしますよ」
「やっぱ寮生活は慣れないか」
寮生活が慣れないのではなかった。枢木スザクに、慣れないのだ。
彼はやたらスキンシップを持ちたがる。ふとした拍子に頭や肩をぽんとされるのは当たり前。そのたびにびくっとする自分が情けない。それに、彼は片付けの才能がどうやらないらしい。
部屋の向こう側は、床にいつも何かが落ちている。それが気になって仕方ない。
それに、度々会話を求められる。殆どが一方的なもので、自分も返さない事も多いのだがそれでも相手はめげないのだ。
「あの男はなんなんですか……」
「あの男?」
「同室の、枢木スザク」
「ルルちゃんの方が良く知ってるじゃない、学園の生徒については」
確かに、全生徒の顔は覚えている。それに、どのクラスの誰かということまでも知っている。
でもだからと言って人となりまでは分かっていないのだ。それは交流する必要もなく、接触することがないからだからだ。もしそういう事態が起きれば、その直前に調べを付ける。
今回に関してはイレギュラーもいいところだった。不意打ちのようなものだったのだから。
先に枢木スザクという人間を知っていたら、どう対処しただろうか――? どうしようもなかった気がしてならなかった。天性の天然だ、あれは。こちらの意図を読む気もなければ、読もうとしても読めない予感がする。
そんな相手に打つ手はない。
せいぜい、先にミレイへ部屋替えを頼むのが精一杯だっただろう。
そろそろ期間は折り返し地点に入っている。残りの期間、持てばいいと思う事にした。
「なに? 枢木くんがどうかした?」
「いや、救いようのない天然だと思いまして」
「あー。そうなんだ、彼。人気あるんだけどなあ。身体能力は抜群で体育会系からは引く手あまた。ときどきあちこちのヘルプもしてるみたいだし、評判も上々。女子にも優しいって大人気よ。そんな相手なら大丈夫と思ったのになあ」
「なにがですか?」
「え? ルルちゃんの人見知り」
彼女はにっこりと笑った。
そんな風に思われてたのかと、軽く憤慨すらした。
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