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割れた硝子の上を歩く59


「私は、あなたの母です」
 少女は、そう告げた。
 スザク以外のルルーシュ、そしてシャルルは目を見開いた。
 C.C.は知っていたのだろう。
「どういう……」
「説明してちょうだい、C.C.」
「私に振るのか、高いぞ?」
「今更だわ。この能力をもらった時点で支払いは終わった筈よ」
「何を言う、契約不履行のくせに」
「どういう、ことだ? 母さんもまたギアスユーザーだと言うことか?」
 C.C.へルルーシュは問いかける。
「ああ」
 と、彼女の答えは簡素なものだった。
「記憶を渡るギアス――どうやら死亡時に発動したらしいな」
「まさか!」
 そう叫んだのはルルーシュではなく、シャルルの方だった。
 彼は席から立ち上がり、少女を凝視している。
 そこに彼女の面影など欠片もない事を承知で、マリアンヌを探している。
 ああ、とルルーシュは思った。
 彼は本当に母を愛していたのだと、知ってしまった。
 彼の反応は愛した者を探す姿そのものだったからだ。例えば、自分がナナリーを探す姿。スザクを探す姿。そして、求める姿――。
「お前は、知っていたのか」
「ああ」
 そう問われたC.C.は答える。
「ならば、何故」
「彼女の希望だ。もう、皇宮とは縁のない生活を行いたいと」
「それは……」
「愛していたわ、あなた。でも、私は子供すら守れない弱い母で、権力を持たない弱い妻でした。あなたの寵愛はそのまま刃となり突き刺さりました」
「だから、死を選んだと言うのか」
「――ええ」
「何故。言えばどれだけでも守ったものを」
「無理です。あなたが守れば刃はより鋭く長くなる。私たちに逃げ場はなくなります」
 がた、と音がした。
 皇帝、シャルルが椅子に座り込んだ音だった。
「私が全ての元凶なのか」
「違います。私の弱さと、寵愛を受けてしまった事が原因です。――あなたは、悪くない」
「待て。それではなぜ俺たちを捨てたんだ、母さん!」
 ただの痴話喧嘩など余所でやって欲しかった。自分は、彼女に問いたい事は山のようにあるのだ。
「何故捨てた。そしてナナリーを巻き込んだ」
「ナナリーは……あれは、事故でした。あの子が眠れないと部屋に来た時、賊が来たのですから」
「そんな事はなんの言い訳にも…!」
「そうね。全て私が悪いの。私が賊なんかを手配したから。逃げだそうと思った事が全ての元凶。私をどうぞ恨んでちょうだい」
「そんな……」
 やり場のない気持ちがルルーシュの中を巡った。
 いつの間にか、スザクが横に立っていた。そして固く握りしめていた手をゆっくり包み込むようにしてほぐさせる。
「ルルーシュ」
「……スザク」
 こんな悪い夢、覚めて欲しかった。
「私はあなたたちを捨てたつもりはありません。あなたを守ってくれるだろう枢木に託したのです。それを、アッシュフォードが」
「アッシュフォードが悪かったと言うのですか? あなたの後ろ盾だった貴族でしょう」
「ええ、確かにそうね。でも、私が死んだ後のアッシュフォードは単なる一般人になりました。再び貴族の位を取り戻す為に、やっきになっていた。あなたたちをいずれ利用しようともしたでしょう」
「分かっていて、なぜ」
「私は動けなかったから。こうやって、アーニャの中で見守る事しか出来なかった。思っていたのと違う流れになっていく出来事を」
 スザクの手を、握った。目を閉じて、天井を見上げた。
 結局なんだったのだろうこの茶番は。
 自分が枢木の家から逃げ出さなければ、何も問題は起こらなかったのだろうか。戦争もなかったのだろうか。全て自分が悪かったのだろうか――。
「全て、あなたたちの責任です。ルルーシュに責を問わないでください」
 スザクが思考を読んだかのように、静かな声で告げた。
「あなた方ふたりの責任です。あなたは弱すぎて見捨てた。そして、あなたは強すぎて見えなかった。どちらも子を持つ親として失格でした。ルルーシュに謝罪してください。そして、この場で世俗から退場すべきだ」
 静かな静かな声だった。
 なのに、広いホール内に響き渡った。
 
 一発の銃声が響いた。
 それは、シャルルが自分の頭を打ち抜いた音だった。
 そして、少女の体は崩れ落ちる。
 一瞬の間をおいて目を見開いた彼女の目は無機質ではあったが、決して女の顔ではなく、十五の少女にふさわしい表情を浮かべていた。



「行ったよ、あいつは。シャルルの記憶に入り込み、一緒に旅立った」
 C.C.が告げる。
 また、逃げたのだろうか。それともそれが彼等なりの謝罪の方法だったのだろうか。
 それは、誰にも分からない。
 ただ、ルルーシュは抜け殻のような寂寞とした気持ちを抱えていた。
 そこを埋めてくれたのは、傍らの存在だった。
 手を握り、そして抱きしめてくれる。
 頬を自然と涙が伝う。
「スザク……」
 天井を向いたまま、涙は目尻を伝いそのまま床へと落ちていく。
「スザク……こんなもの、求めていたんじゃないんだ」
「ああ……分かっている」
 彼は抱きしめ、そして優しい口づけを与えた。
「戻ろう。僕たちの国へ。そして、自由な世界を構築しよう。君が求めていたものはまだ完成していないんだ。シュナイゼルを傀儡に立てるんじゃなかったのかい?」
「ああ、そうだな……」
 ひとつ、ゆっくりとルルーシュはまばたきをした。
 目を閉じたと言っても良い程の緩慢な動きだった。
 そして再び世界を取り込んだ時には、いつもの彼の表情に戻っていた。
 涙の後は残っていたけれど、既に新しい涙はない。
「後で、ゆっくり泣けばいいよ」
「いや、もう泣かない」
「僕の元でくらい、泣いてもいいのに」
「お前の元だからいやなんだ」
 天井を向いていた頭が、こてんとスザクの肩に乗せられた。
 抱きしめられる力が強くなった。
 それに、心が埋められていく。
 まだ終わりじゃないことを思い出させてくれる。
「ありがとう、スザク」
 そして、その身を離した。
 温度が名残惜しかったけれども、まだまだ機会はあるのだと自分を慰めるしかなかった。



 執務室に向かい、シュナイゼルと顔を合わせる。
「兄上、迎えに参りました」
「待っていたよ、ゼロ」
 仮面はもう被っていないのに、彼の脳は自分をルルーシュとは二度と認識しないだろう。
 それは幸いな事であり、同時に寂しいことだった。
 彼を兄と思ったことはない。義兄としても年が上すぎたし、既に政務に携わっていた彼は遠い存在だった。そんな中で時折相手をしてくれたのは、母が原因だったのだろうと今では分かる。
 彼の母親は皇帝の寵愛を特に受けていた相手ではなかった。だから、ひとりの子供が生まれると同時に捨てられたも同然になった。それを、ふたりの子供もうけ、育っていく過程すら見守ってゆく自分達に憧憬すら抱いていたのかもしれない。同時に、母の事を憎んだだろう。
 だから、彼は笑顔の仮面を被り続けたのかもしれない。
 記憶に残る彼の姿は、いつだって穏やかな笑顔だった。政務に当たる際も、チェスを打つ時も、普段の生活を送る時も。
 愛されなかった、可愛そうな子供。
 愛されたが故に、可愛そうだった子供。
 どこが違ったと言うのだろう。結果は同じだ。
 だが、その一方を今自分は利用しようとしている。このブリタニアという国を潰す為に。
 きっと誰もが望んでいた事を行うのだ。
 全て、ブリタニアという大国があったがために生まれてしまった悲劇なのかもしれない。
 父シャルルは皇位継承するまでに同じように母を殺されている。そして、兄弟ふたりきりで殺し合いの中を生き延びてきた。その途中で兄すらも失った。
 皇位を継承した後も、争いは絶えなかった。ラウンズによる反逆。それを諫めたのは自分の母マリアンヌと、今は傀儡となってしまったナイト・オブ・ワンのビスマルクふたりだけだったと言う。
 そこから始まった、版図拡大。
 弱い者は虐げ、強い者は引き立てる政策。
 それは、失う事が怖かった父の惨めな生き方にすぎなかった。
 こんな国さえなければ、起きなかった悲劇だったのだ。
「この国の崩壊をお願いします」
「ええ、分かっていますよ」
 シュナイゼルは、執務室の席を立った。そして血に汚れた皇帝の謁見室へと向かおうとする。
「清掃は」
「今、行わせています」
「そうか。では、衣装を改めて参るとするか」
 血で汚れた謁見室は皇帝の遺体を棺に入れ、自害との公表をするかどうかで揉めているところだろう。だが、現在トップにあたるシュナイゼルには包み隠さず公表させるつもりだった。
 強者を望んだ皇帝ですらも、弱者であったと証明するために。
 そして、強者だけでは世界が成り立たない事を宣言させる。草稿は既に出来ている。
 彼がブリタニアを引き継ぎ、まずエリア制度の解体、そして貴族制度の撤廃を宣言させる。
 寄生虫を全て引きはがすのだ。
 彼こそが皇帝となり、新しい世界を裏側でゼロが構築していく。
 弱者にこそ、優しい世界を作り上げて行く。
 誰ももう怖れない世界を作っていくのだ。



 全世界へ向けて、皇帝自害と崩御の放送が流れる。そして、新しく皇帝に即位するシュナイゼルの姿が映し出された。
 彼は草稿通りに、今までとは違う国になって行く事を告げてゆく。
 エリア制度の解体には、各地が沸いた。
 貴族制度の撤廃には、恐れを抱いた者達が急いで逃げ出す事にもなった。貴族だから威張り散らしていた者たちが、復讐を怖れたのだろう。
 最後に、「弱者にも優しい世界を」……と、告げたのは彼自身の言葉だったのかもしれない。
 草稿にはない言葉だったからだ。
 シュナイゼルには既に自我がないはずだった。
 だが、それでもわずかに残っていたのかもしれない。そしてそれが、その言葉なのだとすれば人選に誤りはなかったのだと心から安堵出来た。
 そして。
 ルルーシュ達は、日本に戻る事になる。
 二度とエリア11と呼ばれる事のない、日本へ。



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2011.5.18.
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