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背中越しの体温 1


 十歳のときに、日本に送られた。友好の証と公表され、当時の日本国首相の家へと預けられたが、自分たちは体の良い人質にしかすぎなかった。
――はずだ。
 当時日本とブリタニアは緊張関係にあった。
 日本が大幅に所有するサクラダイトは貴重な鉱物資源であり、それを巡り戦争が起こっても仕方ない状況だったのだ。当時ブリタニアはそのサクラダイトを大量に使用したい理由が存在した。
 ナイトメア・フレーム。人型の決戦兵器だ。
 版図拡大に躍起になっていたあの大国は、そんなものまで作り出していたのだ。
 だからサクラダイトは喉から手が出る程、欲しいものだったに違いない。
 そのためには、日本を自分の属国にしてしまうのが最も手っ取り早い手段に違いなかった。
 しかし戦争は起こらなかった。
 自分たちは、土蔵という屈辱的な場所をあてがわられ、細々とした暮らししか出来なかったが、最初に喧嘩になったこの家の一人息子、そして自分と同じ歳の枢木スザクと言う友人を得て、それはそれなりに幸福な時間を過ごしたのだ。
 時間は過ぎる。
 戦争は起きず、サクラダイトの分配率を他国よりブリタニアへと多く配分することで戦争を回避したスザクの父親は、有能な政治家だった。
 当然反発は起きた。EUや中華、それに小さな国でもサクラダイトは喉から手が出る程欲しい物質だったからだ。それを上手くなだめ、調停した事こそが彼が有能であったことに他ならない。
 スザクは、本家へ移る事を何度も告げた。
 土蔵なんて場所を提供したのは、当時の関係悪化の仕返しのようなものだったのだ。だが、関係改善した今、そんな場所に皇子皇女を置いておく訳にはいかない。
 学校にもきちんと通わせなければならなかった。
 彼らは既に人質ではなく、当初の名目通り、友好の証となったからだ。
 暗殺を恐れる日々は、もう終わったのだとスザクは根気強くルルーシュを説得しなくてはならなかった。たとえ後ろ盾を失おうが、彼らはれっきとした皇族の血を引く子供達で、日本の賓客なのだ。失ったのならば、枢木がバックに着けば良いだけの話だった。
 そしてそれを、時間をかけて徐々に徐々にルルーシュの心はほぐされて行った。
 中学校へあがる歳、ルルーシュらは初めて本邸へと足を踏み入れた。
 用意されていたのは、馴染みのない畳の広い部屋がみっつ。
 ふたりしかいないのだからふたつで十分だと言えば、眠る部屋と遊ぶ部屋は別なんだとスザクは告げた。
 眠るための部屋には、ブリタニアで馴染んだ様なベッドはない。
 ただ、ふかふかの布団というものが毎夜家政婦が敷きにくる。それをルルーシュはかなり気に入っていた。
 足の悪いナナリーにはベッドが用意されていた。その方が移動には楽だろうとの配慮だったのだろう。実際、車いすと同じ高さにしつらえられたベッドには、子供の力でもナナリーを抱き上げ、移動してあげることができた。
 こうなってもまだ、スザク以外の人間にはルルーシュはナナリーを触れさせなかったのだ。そして食事もまた同じだった。家の用意したものは食べない。
 彼は自ら料理を覚え、キッチンを借り、作っていた。
 土蔵で生活していた日々よりも格段に生活は潤っていた。
 だけど、ルルーシュはまだ気を許していた訳ではなかったのだ。
 その証拠に、鍵のかからない日本の家屋では、ナナリーを決してひとりぼっちにはさせなかった。
 土蔵で暮らしていた時よりも、外出が減った。
 それを、スザクは不満に思ってもいる。
「ナナリーが寝てるときくらいはいいじゃないか」
「バカだな、スザク。そういう時こそが危ないんじゃないか」
 と、頑として彼女の傍を離れようとはしなかった。
 彼が何故そこまで様々なものにおびえていたのかを知らない訳ではなかった。
 スザクは、何故ルルーシュらが日本に送られて来たかの理由を本人たちから聞いている。母親を暗殺された事。弱者には用はないと父に告げられた事。
 それは、十歳にならない子供には酷すぎる出来事のはずだった。
 だからだろう、彼がかたくななのは。
 スザクは寂しい想いをするようになっていた。だけど、それを表に出す事は決してしなかった。してはならない事だったからだ。
 土蔵での生活より、ここの方が暮らしやすいに決まっていた。
 なのに、あの頃の方が良かったなどとは口が裂けても言える筈がなかった。



「ルルーシュ、ルルーシュ!」
 変声期を通り過ぎたスザクの声は、柔らかな声になっていた。決して野太い男の声ではなかった事に、ルルーシュは少しばかり安堵していた。
 既に彼は高校に通っている。
 時折教科書を貸してもらって、ルルーシュも独学で勉強は続けていた。
 大体はざっと見て覚えられる範囲だった。なのにテストで赤点を取ってくるスザクは少し遊びすぎなのではないか、と思ってしまう。
「なんだ、騒がしい」
 ここでの暮らしも長くなった。
 決して脅かされる場所ではないと、もうルルーシュも自覚している。
 だがそれでも身に染み付いたものがあった。ここから遠くへは、あまり離れられないのだ。
 ナナリーが望み、一緒に行くのならばどこにだって向かう。
 今時ブリタニア人など日本には珍しくもなく、ふたりが連れ立って歩いていたとしても、決して皇子皇女だなどとバレはしないだろう。
 七年も前になった、人質のように連れられて来たブリタニア人の子供の事など、覚えている人間の方が少ないだろう。
 だが彼女を一人残してどこかへ行く、という事はどうしても出来ないのだ。
 子供の頃からの癖だったからかもしれない。底知れない罪悪感が芽生え、動けなくなってしまう。だからルルーシュの活動範囲は、枢木の家の中だけに近い。
「ごめん。もしかしてナナリー、寝てた?」
「いいえ、起きてますよ。どうかしたんですか?」
 駆け込んで来たスザクは、息を切らしていた。
 体力バカなのに珍しい事だ。きっと神社の階段も駆け上って来たのだろう。
「君、明日から学校って知ってた?」
「え?」
「今日先生から聞いたんだ。明日からブリタニア人の転校生が来るって。誰? って聞くと君のおうちの人よ……って」
「なんだ、それは。そんな話聞いてないぞ」
「だよね。僕もびっくりしちゃって」
 子供の頃の我の強さはなりを潜め、スザクは柔らかい言葉遣いをするようになっていた。それは好ましくもあったし、同時に昔が懐かしくもある。
 しかしそんな場合ではなかった。
 学校へ通う――? そんな事をすれば、ナナリーはどうなると言うのだろう。
 彼女は学校へ通うには適さない身だ。第一、あの神社の階段を毎日降りる事など出来はしない。
「父さんが帰ってくるまで、ちょっと待たないと。事情を知ってるのは父さんだけだろうから」
「そうだな。でも俺は、学校になど行く気はないぞ」
「うん……」
 スザクの声は、少し沈んでいた。
 それが気になって、なんだ? と問いかけてみる。
「ルルーシュが学校に行くのは、良い事だとは思うんだ。友達も僕しかいないし、ここだけで生活していくなんていうのは、あまり誉められた事じゃないと思うし」
「ナナリーを置いていけと言うのか?」
「お兄様、私、大丈夫ですよ?」
 彼女はきっと気を使ったのだろう。そう告げる。
「ひとりっきりになるんだぞ? そんなの俺がいやだ」
「でも……スザクさんがおっしゃるのも、確かですもの」
「ナナリー」
 彼女の言葉に、ルルーシュが呆然とした。
「お兄様が傍にいてくれるのは嬉しい事ですけど、私にずっと縛り付けられてるのかもって思うと、辛くなることもあります」
「そんなつもりじゃ」
「なくても、私にはそう感じられるって事です」
「……………」
 そんな想いを抱かせていたのかと、忸怩たる思いになる。
 さっぱり気付いていなかったのだから。
「だから、お兄様は学校へ行った方がいいですよ、きっと」
「――スザクの父上が戻られてからだ、話は」
「ええ、分かりました」
 ナナリーは従順に、頷いた。
 スザクもそれ以上打つ手はなく、黙るしかなかった。


 スザクの父親は仕事の関係上、ほとんどが東京での生活を行っている。
 今日も戻ってくるとは限らなかった。
 だが、本人を無視していきなり決められた転入だ。決めたであろう本人が戻ってこない訳がなかった。
 その日の夜遅くに、枢木ゲンブは帰って来た。それをスザクとふたりしてじっと待っていた。
 おかえりなさい、を取り合えず告げたのち、スザクはいきなり話を切り出した。
「父上、ルルーシュが学校へ行くと手配したのはあなたですか?」
「ああ、もちろんそうだが?」
「何故、今になって」
「人質ではないのだ。なのにまともな教育も与えないなどとは、人道に悖るではないか」
「今更、ですか」
「――なにか?」
「いえ。小学校、中学校の時は何もおっしゃいませんでしたよね」
 ルルーシュも参加する。
「スザクが高校に上がる時にも何もおっしゃいませんでした。なのに、何故今なのです?」
 問いかければ、少しばかりゲンブは困ったような顔をする。
 今まで忘れていたとかそんなオチならば、さっさと断れると思った。
 だが、彼の口から出て来たのは意外な内容だった。
「ブリタニア本国からの要請があったからだよ」
「――え」
「君の父上だね、皇帝陛下と久々に会う事があった。あれは元気にしているか、学校には馴染んでいるか――と、問われたのだ。学校へは行っていない事を告げれば、たいそう驚いたようでね」
「そんな! あんな男の……」
 だが、分かっている。あの大国には日本は逆らえない事を。
 戦争の火種は消えたとは言いきれないのだ。あの国がその気になった時が、戦争の起こる時だ。そのためには、日本は従順であらなければならない。属国ではなくとも無言の圧力はそこに存在する。
「――では、行かざるを得ないと言う事ですね」
「分かってもらえるのならば、私は助かる」
 体中の力が抜けた気がした。ため息すらも出てこない。
 どこへ行っても、人質に差し向けられた時と同じ、自分たちは駒でしかないのだ。
「それでは、お願いがあります。ナナリーも一緒の学校へ転入させてください。スザクの通う学園には中等部もありましたよね」
「ああ、それは構わないが」
「アッシュフォードは、確か寮制だ。そこで俺たち二人を住まわせてもらうことは?」
「ルルーシュ!」
 驚いたのはスザクの方だった。
「それは手を回せば可能だろう。なに? 君たちはここを出て行くつもりなのか?」
「ナナリーの足ではこの神社の階段を上り下り出来ません。だからと言って、ひとりにさせておくのはあまりにも酷です。だから――」
 そこまで告げれば、ゲンブも理解したようだった。
「分かった、至急手配しよう」
「父上! それじゃあ、ルルーシュ達は!」
「あと、それと一つお願いがあります。俺たちは皇族として学園に通いたくはありません。偽名を用いらせてください」
「ああ、それは手配してある。無駄な混乱の元になるからな。君の名前は、母上の旧姓をお借りしている。それで良かったかな?」
「お気遣い、感謝します」
「父上! それでは僕も同じ寮に入ります。ふたりのいない家なんて……」
「我がままを言うでない」
「ですが!」
 まっすぐにスザクは父親を見上げていた。
 そう。自分たちはいつも一緒だった。今更離れて生活することに、自分だって抵抗がある。しかし第一に優先すべきはナナリーであり、そのためには仕方がないと思っていたのだ。
「もし……我がままが許されるのであれば、スザクも………」
「君まで言うのか」
「私の唯一の友人です」
「君は今から学校へ通う。友達もまた出来るだろう。それに、スザクも同じ学校へ通っているのだぞ?」
「それでも、です。ナナリーがいて、スザクがいることが私たちに取って普通の生活でした。それが激変するのです。私は構いません。ですが、ナナリーには負担をかけたくないのです」
 少しばかり、詭弁を用いた。
 ナナリーを理由につかってしまった。
 だが、それも事実の一端でもあった。
「そうか………考慮しておこう」
「ありがとうございます」
「父上!」
 感極まった声で、スザクが告げた。
 学校へ――アッシュフォード学園へ、明日より通う事になるのかと思ったが、妙に現実感はなかった。
 私室へ戻ると、制服や教科書、鞄などの一式が届けられていた。



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2011.5.20.
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