買い出しを終えて帰れば、夕飯を作るにも遅い時間となっていた。
そもそもとっかかりが遅すぎたのだ。学校へ行ってから片付けをして、それから必要なものの買い出し。
買い出しと言っても調理器具はあるものの香辛料のひとつもないものだから、物は膨大になっていた。スザクと共に出かけて良かったと思った。ひとりでは到底持ち帰れない量だったからだ。
明日の弁当の事もある。弁当箱まではさすがに用意されていなかったので、お互いのものと、ナナリー用の可愛い物を選ぶのでそこでまた時間を食った。
「すまない、すぐに作るから」
「簡単なもので構わないですよ」
ナナリーは兄を気遣って言う。
だがそういう訳にはいかないのが、完璧主義者のきらいのあるルルーシュだった。
オーブンに鴨を突っ込みながら、オレンジ風味のソースを作り、そしてシチューを作る。少々時期外れだが、他のスープものを作っていては時間が足りない。
シチューだって十分に煮込みたいが、その時間はなさそうだった。
パン生地を練り、ちょうどローストし終えた鴨の代わりにそれを入れる。
時間は十五分程度。それまでにシチューはどれほど煮込まれてくれるだろうか。
帰って来てから、既に一時間弱が過ぎていた。時刻は午後九時に近い。
初日から大失態だな、と思い忸怩たる思いを抱いている間に、パンは焼けた。
シチューはギリギリ合格点だ。これで大丈夫だろうと、食器棚から皿を出し、それぞれを見目良く移し始める。
「すごいや、ルルーシュ。たった一時間なのに」
「一時間も掛かった。もうこんな時間だ、ナナリーはそろそろ寝ないといけない時間だというのに」
「大丈夫です、たまには」
にっこり笑う彼女は兄に気遣っているのだろうが、それでも生活リズムを崩させるのをルルーシュ自身がいやがった。
「お待たせ、さあどうぞ」
「はい、いただきます!」
「いただきます!」
ふたりで両手を合わせて、夕食を食べ始める。この習慣は日本に来てからついたものだった。いや、本家に入ってからか。
食べ物に感謝してから食べるんだよ、と確か幼い日のスザクが言っていた事を思いだす。
「ルルーシュ? 早く食べないと」
「あ、ああ」
作っている間に、十分お腹がいっぱいになってしまったなどとは言ってはいけない。
ナナリーの管理をするのと同じように、ともすれば自分を適当に扱うルルーシュをスザクが厳しく管理しているのだ。
席に座り、一応自分の分と取り分けてあった分に、口をつけた。
急いで作った割には、味はしっかりとしている。長年の癖とは恐ろしいものだと想いもした。
「おいしいよ、ルルーシュ」
「ええ、おいしいですお兄様、ありがとう」
「こんな時間になってしまったからな。空腹は一番のスパイスと言うだろ?」
「あら、お兄様の味はいつだっておいしいです」
少しばかり責める口調で、ナナリーが言う。たとえ本人でも、兄をけなすような言葉を許さないのだ、彼女は。
「すまない、ありがとうな、ナナリー」
「いいえ」
にっこり笑って、シチューを口にした。
彼女は盲目になって長いせいか、食事程度ならば問題なく行える。
お風呂には既に咲世子に入れてもらったそうだ。
これで、食べればすぐに眠れる事が出来るだろう。
「そういえばナナリー、学校はどうだった?」
「すごく楽しかったです! 知らない方ばかりなのにみんな優しくて。あの――お勉強は、分からない事がたくさんあったんですけど」
もじもじと最後だけ伝えた彼女へは、ふたりが微笑んだ。
「今日はもう遅いけど、明日からちゃんと教えてあげるから。ナナリーなら大丈夫だよ、頑張って」
「は、はい! 頑張りますね、私」
微笑ましい空気の中で、食事が終わって行く。
結局最後になってしまったルルーシュは、パンを口にすることもなく、少なめにした鴨のローストと、これもまた少なめにしたシチューを口に押し込む事でこの場はお開きとなった。
ナナリーを寝かしつけて、ルルーシュは部屋へ戻る。
その間にスザクはシャワーを浴びていたようだった。濡れた髪が、くるくるとかわいらしく巻いている。綺麗に拭いきれていない水滴が、照明を反射してきらきら光っていた。
「ルルーシュも早く入っちゃえば?」
「そうだな」
と、着替えの準備をして、シャワールームへと向かった。
そこで、はあ、とルルーシュは息を吐き出していた。
見慣れた姿じゃないか、何を動揺しているんだ? と自分に問いかける。きらきらとしたスザクの姿を見て、思わず息を詰めてしまっていたのだ。
一緒の屋敷に暮らしていた以上、風呂上がりのスザクなど何回も見ている。正直見飽きたと言っても良い程だ。
なのに、何故だろうか。
環境が変わったせい? まさか。
そんな事くらいで感覚は変わらない。
だけど、その姿に妙にドキドキとしたのは事実で、ルルーシュはまず冷たいシャワーから浴び始めなければならなかった。
妙な気持ちになったのを、冷したかったのだ。
しかし季節柄まだ冷水のシャワーは冷たすぎて、慌ててあたたかな温度に切り替えなければならなかった。
ここの設備は素晴らしく良く出来ている。
猫足のバスタブも置かれたシャワールームは全電動のシステムになっているし、キッチンだって非常に使い勝手が良かった。
もしかして枢木が手を入れさせたのかもしれないが、だとしたら今度会った時には深い感謝を示さねばならないだろうと思った。
ゲンブはふたりを自分の子供のように見ていてくれているが、自分としては親というものにトラウマがある。
残念なすれ違いがそこにはあった。
申し訳ない気持ちにならない訳でもない。
しかし、これはどうしても仕方のないことなのだ。
彼が男親ではなく、女親であったなら、また話は違ったのかもしれないが、スザクの母は夭逝している。
お互い、親のいない子供同士としてスザクとは付き合ってきたようなものだった。
「おかえり、おそかったね」
「そうか?」
と、時計を見ればもう十時半を示していた。
明日の宿題もまだ残っているのに、これでは確かに遅すぎる。少しシャワールームでのんびりしすぎたかもしれない。
残念な事に、スザクの髪はすっかり乾いていて、いつも通りのくるくる具合に戻ってしまっていた。
「ルルーシュ、髪の毛びしょぬれだよ。そんなんじゃ風邪引いちゃう」
と、スザクがタオル片手に近寄ってくる。
そして、ベッドに座らせるとくしゃくしゃと髪を拭い始めた。
「ちょ、スザク……」
「せっかく綺麗な髪なんだから、きちんと手入れしないと」
「その割に乱暴すぎるんだが、お前のやり方は」
「え、そう?」
自分の調子でやってしまったのだろう。スザクの髪は自分のものより随分短い。
慌てて手を止めてタオルをのけた髪の毛は、鏡を見なくとも分かる。くしゃくしゃに乱れ切ってしまっているだろう。
「――……。あー……ごめん」
少しだけ間があいて、微妙な顔をしてから、彼は残念そうな声で謝った。
「いや、櫛を通せば大丈夫だから。ありがとう」
くしゃくしゃの髪のまま、机に向かう。小さな机置きの鏡を取り出せば、想像通りの髪型になっていた。
それにしてもさっきのスザクの顔はなんだったんだろう? なんて疑問がよぎったりする。確かに水気は飛んだ髪の毛を櫛で髪を整えながら、少しだけ奇妙な気持ちになった。
やがて、いつもよりぺったりとした髪の毛に整えられる。微妙に癖のある自分の髪は、乾くにつれて、裾がはね始めるのだ。だから髪を洗ったあとはこの程度でいい。
「なんだか、その髪型っていつも思うんだけどルルーシュらしくないよね」
などとスザクはさっきの雰囲気を払拭して、笑い始める。
「悪かったな、くせ毛なんだ」
「くせ毛なら僕の方がひどいよ。ほら」
と、一房とって、引っ張ってみせる。確かに。
彼のくるくるの髪は引っ張ってまっすぐにすれば意外な長さがある事が分かる。
「まあ、お前のそれは見慣れてるから。似合ってるぞ」
「そう? 見慣れたからそう思うだけなんじゃない?」
「そうとも言う」
「あ、酷い」
「それより宿題はいいのか?」
「あ!」
すっかり忘れているようだった。
自分はノートとテキストを取り出し、準備を始める。
スザクも慌てて準備を始めたようだった。
宿題を終えると、既に時刻は午前0時に近づいていた。
自分がスザクの分も面倒をみていたせいだ。
「早く寝ないとな。転校翌日から遅刻はごめんこうむりたい」
「だね」
と言って、ほぼ同時にベッドに転がり込む。
なんとなく、妙な気分だった。
スザクとはずっと共に生活してきた。
だがこうやって一緒の部屋で眠るのは、ほんの幼い日以来の事だ。
すぐに寝付いてしまったスザクの寝息を聞きながら、そんな幼い日々の事を思い出していた。
土蔵で生活していた日々。こっそり毛布を持ってスザクが忍び込んで来た。
翌朝、酷い騒ぎになって散々スザクが怒られた事を覚えている。
でもそんなことは全く気にしてなんかなくて、けろりとした顔で、また来るからなと言ったのだ。
そんな事を思い出し、くすくすと笑いが漏れ出した。
懐かしい日々だった。
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