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背中越しの体温 6


 教室に着き、授業の準備をしている内にどんどん頭が冷えて行った。
 どうしてあんなに怒ってしまったのだろう、と自分に嫌気がさす。スザクはさぞかし戸惑った事だろう。
 恋人のひとりやふたり、この年齢なのだから今までにいたとしてもおかしくないし、今もいておかしくない筈だ。スザクがあまりにもその手の話をしなかったかったから意識していなかっただけで、何もおかしな事ではないのだ。
 間違われた事には少々腹を立てても良いが、頬へのキスなど挨拶代わりのようなものだ。
 ブリタニアで生活していた時は、それが普通だった。今も本国で生活していたとすれば、それを普通として受け止めていただろう。幾分日本かぶれしてしまって、キスが特別なもの、との認識が出来てしまっているが、それでもそこまで怒る程のものじゃない。
 なにせスザクは寝ぼけていた。
 一緒のベッドで寝ても良いかと思ったのは自分の判断だったし、朝起きて抱きしめられていたのも、子供の頃を思い出して嬉しくもあった。
 急に恥ずかしい気持ちになった。
 勝手に意識して、何をしているのだろうと。
 弁当はきちんと作ったし、朝食もちゃんと準備した。怒っていてもその手を抜かなかった事だけは、安心の材料に繋がった。
 帰ってから謝ろう、と思う。
 ナナリーの言う通りだ。理不尽に過ぎた。
 まだ授業が始まるには時間の余裕がある。
 昨日の午後から関係改善に勤しんだお陰か、クラスにはきちんと受け入れられていた。
 朝から机の周りには、人が集まり出す。挨拶や、他愛のない話。宿題の事。
 平和な空間だった。
 穏やかな気持ちになり、更にスザクには申し訳ない気持ちになる。
 きっと彼は今も気に病み、リラックス出来ていないだろうからだ。今にも彼の教室へ向かいたいが、そんな時間はない。
 思っている間にチャイムが鳴り、席に集まってきていたクラスメイトたちも自分達の席へと戻って行った。



 たった二日目だと言うのに、授業に身が入らない。
 昨日は学校とはこういう場所なのか、スザクはこんなところに通っていたのかと新鮮な気持ちでいたのに、今日は焦りが内にあるせいか、気が乗らない。
 もちろん、当てられればそれなりに解答する。難しい問題はどこにも存在しない。
 学生としてはどうやら優秀なようで、念のため教科書の一番最後のページを見ても、問題は軽くクリア出来そうだった。
 だから、窓の外を見ていた。
 どこかのクラスが体育らしく、ジャージ姿でランニングをしている。その中に見知った顔を見つけて、思わずじっと見入った。
 スザクだった。
 そうか、彼のクラスだったのかと何故か安堵のような気持ちがする。
 だが、彼は笑顔を浮かべクラスメイトと一緒に軽く走っているようだ。
 ルルーシュの心配は全く無用だったと言う訳だ。
 彼は彼なりに、充実して学園生活を今日も送っているらしい。
 そのことにやはり憮然とした。
 怒るような立場ではない筈なのに、やけにイライラする。同じクラスの生徒なのだろう、女子に軽く肩を叩かれて抜かれて行くのに、笑っていた。
 彼女の口元が動く。きっと本気出しなさいよ、とでも言っているかのような口の動きだった。
 気安く彼女はスザクに接する事が出来るらしい。もしかすると彼女だろうか?
 いや、短絡的に考えてはいけない。
 それよりも、スザクに彼女がいようがいまいが関係ないのだと言う事に気がついた。
 もしいたとしても、告げていないと言う事は、スザクにとってそれは自分達に必要のない情報だからだろう。実際、家に招待するのならともかくも、彼に彼女がいたところで知ってもルルーシュには何もすることも出来ないし、どう受け止めればいいのかも分からない。
 理路整然とした頭脳の持ち主と自負してきていたが、頭の中がなんだかぐちゃぐちゃと訳の分からない事になってきた。
 自分は一体、何をスザクに求めているのか? それが分からない。
 だからこんな事になっているのだ。
 今まで閉じた世界に閉じこもっていたから、分からなかった。
 こうやって複数の同年代の少年少女に囲まれ、それなりに友達と呼べるものを作り、恋をしたり恋人を作ったりして過ごして行くのだろう。
 そういう事に慣れていないから、こうやってパニックを起こしているだけにすぎないのだ。多分。
 その辺りは、ナナリーの方が順応性がありそうだった。
 妹に負けていてどうすると自分を叱咤する。
 だが窓の外のスザクからは目を離せなかった。彼は楽しそうにランニングを続けている。仲が良いのだろう、蒼い髪の少年とずっと並んで走っているが、時折笑い、彼を軽く叩いたりしている。
 いいな、と思った。
 自分も彼と同じクラスなら良かったのにと思ってしまう。
「ルルーシュ・ランペルージ。そんなに窓の外が楽しいですか?」
「え? あ、いや……」
 女性教師に指摘され、思わず赤面した。
 ささやかな笑い声と、かわいいなどという呟きまでもが聞こえる。
「すいません、珍しかったもので、つい」
「ああ……あなた、学校は初めてだったのね」
「ええ。事情がありまして」
「そう。でも、授業中はちゃんと前に集中。いいわね?」
「はい、分かりました。すいません」
 素直に謝っておく。
 残念ながら、この後のスザクの姿は見られそうになかった。



「何見てたの?」
「あ、E組が体育だったんじゃない? それじゃないかな」
「そうかもな。俺もちらっと見たもん」
 授業が終わって、幾人かが席の周りに集まる。
 その中に栗色の髪の少女が初めて混じっている事に気がついた。彼女は、少しだけ笑って、
「私、シャーリー。よろしくね」
 と、告げた。
 昨日は欠席してたそうだ。だから初対面になるのだろう。
「俺は……」
「もう知ってるよ、ルルーシュくんだよね。すっかり有名だもん」
「え?」
「今まで学校に行ってなかった、カッコイイ男の子って女子には人気よ?」
「えーと……」
 それは喜ぶべき事態なのだろうか? どうなのだろうか? 良く分からない。
 その様子に周囲がくすくす笑い出す。
「だから、可愛いのよね、ルルーシュくん」
「世間慣れしてないって感じかな」
「そうね」
 と、女子がこぞって口を出す。
「悪い、事をしたのかな?」
 と言えば男子も含めて全員が笑い出した。
「ううん、全然。私たちの方が悪いの。ごめんね、えーと。ルルって呼んでもいい?」
「ああ、もちろん構わないが」
 積極的な彼女は、にっこりと笑った。
 気持ちの良い女の子だと思った。芯がまっすぐしている。
「悪いって、どう?」
「慣れてないルルを、みんなが弄って遊んでるのよ。ほらみんな、ルルに謝った方がいいよ?」
「ごめんなさい、ルルーシュくん」
「えーと、私もルルって呼んでいいかな」
「ダメー! 私が先に言ったんだもん、他の人はダメー!」
「えーと」
 賑やか過ぎる周辺に、ルルーシュは狼狽えるしかない。
 同年代と言えばスザクしか知らなかったから、集団になるとこんなに賑やかな事になるとは知らなかった。ふたりでいれば、自然とナナリー中心の世界になった。彼女はおっとりとした性格だ。だから自分達もゆったりとしたペースで物事を進めて来た。会話だってそうだ。
 今朝のような言い争いめいた事だって、幼少時以来したこともなかった。
「シャーリー、ルルが困ってる」
「だから、ルルって呼んでもいいのは私だけだって!」
「分かった分かった」
 賑やかさは、チャイムの音でようやく中断された。
「あ、ヤバイ。宿題やってない!」
「私も! 難しくって」
 と、ばたばた走って行く。
 次の時間は、数学だった。昨夜スザクに教えながらやった問題集だ。
 彼女たちにも教えてあげれば良かったかな、と少しだけ思った。



 休憩時間ごとにそんな騒ぎが周囲で起こった為か、ルルーシュはスザクに謝りに行く事が出来なかった。それに、朝見た景色もある。彼は差程堪えていないようだった。
 謝りに行く必要が感じられなかったのだ。
 それなりに、クラスメイト達と過ごすのは楽しかった。場慣れしていないせいか笑いを誘う事もあったが、それも好意的に受け止められていると感じる事が出来る。
 こういう場所もいいな、と思いながら過ごしている内に、昼休みとなった。
「ルル、お客さん!」
「え?」
 教室の入り口付近に座っているシャーリーが、いち早く反応したようだった。
 反射的に彼女の方を見て、教室の入り口を見る。そこに立っているのは、果たしてスザクだった。



「なんだ、結構クラスに馴染んでるんだね」
 と、スザクは言う。
 屋上に上がって一緒に昼食を取っていた。謝る必要もないくらいに、彼は普通だった。
 だが、それでも今朝の空気を悪くしたのは自分だ。きちんとけじめはつけなくてはいけない。
「朝はすまなかった、スザク」
「え?」
「気を悪くしただろう?」
「………いや、別に。それよりも、今の方が気分は晴れないかな」
「え?」
 同じ音を出したのは、今度はこっちの方だった。
「だってルルーシュ、あんなにクラスに馴染んでてさ。ルルなんて呼ぶ女の子だっていてさ。ずっと僕とふたりきりだったのに、なんだか取られちゃったみたいで拗ねてるんだ。……ごめん」
 俯きがちに、彼は言う。
「そんな事は……」
 と、言いつつも確かにそうだろうなと思った。
 急に自覚出来た事があったのだ。朝の混乱。あれは、嫉妬と言うものだった。
 自分だけが知っていると思っていたスザクを知っている他人がいる。それが悔しかったのだ。その相手に間違われた事がイヤだった。
 だから、あれほど怒ってしまったのだろう。
 そう思えば、自分の感情を把握しているスザクがひどく大人のように思えた。
「いいや、早くお弁当食べよう。せっかくルルーシュが作ってくれたんだもん。冷めてもおいしいよね」
「当たり前だ、ナナリーだって食べるんだぞ」
「そうだよね」
 と、彼は笑みを浮かべた。少し無理をしている表情だったが、それには突っ込まない方がいいと言う事くらいは、ルルーシュにも理解出来た。



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2011.5.23.
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