そしてまた夜がやってくる。
そもそも昨日が寝不足に近いのだし、今日も一日ばたばたしていた。疲れていないはずがないのに、スザクの健康的な寝息を聞いていると眠れない。
別に、煩いと言う訳ではない。
聞いている分には心地良いものなのだ。だけど、それが耳に響いて眠れない。
自分はどうかしてしまったのだろうか? と思った。
今日もホットミルクを飲むべきだろうか。それとも――と、思い。
ルルーシュはベッドから降りた。
一緒になら、眠れるかもしれない。
「スザク」
小さな声で呼びかける。もちろん起きる気配はない。
驚かせてしまうかなと思いながら、するりとスザクのベッドに忍び込んだ。
「……あれ? ルルーシュ?」
ひどく不明瞭な声で、告げられる。
「すまない、起こしたか?」
「ううん。大丈夫」
そう言って、彼はルルーシュを抱きしめて来た。
今まで眠っていた人間の体温はあたたかい。
そろそろ暑い季節に入るのだろうが、ここ数日は肌寒い日が続いているのだ。ちょうど良かった。
「おやすみ、ルルーシュ」
そう言って、スザクは鼻の頭にキスをして、目を閉じてしまった。
――今のはなんだ?????
ちゃんと、自分と彼は認識していた。そしてキスをした。
キスと言っても、かわいらしいものだったけれども確かにキスだ。
もしかして今朝のキスも勘違いではなかったのか?
ルルーシュの頭はまたもぐるぐるしてしまい、なかなか寝付ける状態ではなくなってしまった。
それでも朝は来る。いつの間にか眠ってしまっていたようで、間近のスザクの顔に、ルルーシュは驚いてしまった。
ああ、一緒に眠ったんだったと思い出したのがその後。
だけど、どうしてこんなにぎゅうぎゅうに抱きしめられているのだろう?
起きなければ、お弁当が作れない。でもこの状態が心地良かった。出来ればこのままでいたい。
おでこをこつんとぶつければ、間近すぎるスザクの唇が小さく動いてなにかを呟いている。なにをかまでは分からなかった。寝ぼけているのだろうと、笑いが浮かぶ。
自分も腕を回してスザクを抱きしめた。
充足感がある。――そこで、これはちょっとおかしいのではないか、とようやく気が付いた。
自分達はもう幼い子供ではない。いつまでも子供のような真似をしていては格好悪い。
それに、本格的に起きなければお弁当作りが間に合わない。
もぞもぞと自分が抱きついていた腕を解いて、スザクのそれも解こうとする。だけど、余程しっかり抱きしめられているのかなかなか外れない。
「スザク、スザク。起きたい」
「ん……」
まだ完全に眠りの住民だ。目は閉じられたままだった。
「スザク」
不自由な姿勢のままで、揺り動かした。そこでようやくまぶたがゆっくり上がる。
その途端、ひどく嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「……スザク?」
「ルルーシュ」
そして、ぎゅっと更に強く抱きしめられる。そして今度は唇にキスされた。
頭が真っ白になった。
満足したようでスザクはそのまままた意識を手放す。
ルルーシュは呆然として、そのまま動けなかった。
「お兄様がお寝坊なんて、珍しいですね」
にこにことナナリーが告げる。
違う、起きてたんだとは間違っても言えない。
あの後しばらく呆然とし、自分が使い物にならなかったのだ。
触れるだけのキスだった。だけど、確かにスザクは誰にキスをしていたのかを理解してキスしていた。どう取れば良いのだろう? 親愛の一種か? だが日本ではキスは特別だという。恋人か愛している人にしかしないのだそうだ。
でも自分は彼の恋人ではない。
「なんか良い夢を見た気がするんだけどな。覚えてないなー」
と、言いながら、作り置きしてあったバゲットをスザクはかじった。
その夢のせいだったのだろうか、あれは。
だとしたら、どんな夢を見ていたのか問いたい。問いたいけど覚えていない以上意味がない。
「お兄様? 食べてますか?」
「あ、ああ。ナナリー。食べるよ」
結局お弁当は作れなかった。朝食だって作り置きしてあったバゲットに、目玉焼きと簡単なサラダのみだ。こんな事は今までに一度もなかった。
「なんか今日のルルーシュ、ぼーっとしてるね。もしかして風邪でも引いた? それともそろそろ疲れて来た? 新しい環境だもんね、疲れもしそうだ」
お前が全ての原因だ! と言いたいのをぐっと我慢した。
「さすがに休む訳にはいかないけど……」
スザクが手を伸ばしてくる。額で熱を測ろうとしたのだろう、だがその手から思わず逃げてしまった。
「か、風邪じゃない。大丈夫だから!」
「本当に?」
「ああ、大丈夫だ」
「まあ、転校三日目で欠席すると目立っちゃうから行けるなら行った方がいいけど、無理は禁物だよ」
「無理はしてない……」
事実だ。ただし心的負担はこれ以上もなく掛かっているけれど。
朝食を食べ終え、昨日と同じに学校へ向かう。
昨日と違うのは、自分の口数が少ないことと、喧嘩になっていないことだ。
「それじゃあお兄様、スザクさん。いってきます」
と、先にナナリーが中学棟へと向かう。
そしてふたりきりになってしまった。
しばらく無言で歩いていたが、やはりスザクは不審に思ったのだろう。
「本当にしんどくないの? 風邪じゃない? もしそうだったら、今からでも戻ったら……」
「いや、違うんだ。あの……スザク。今朝の事を覚えてるか?」
「今朝?」
彼はきょとんとした顔をした。
「今の今だよ、そりゃ覚えてるよ。君が僕のベッドに入り込んで寝坊した事もね」
「それだけか?」
「え? なにか他に?」
「――いや、ならいいんだ。構わない。行こうか」
「え、なんなのルルーシュ。気になるじゃない」
「いいって言えば、いいんだ。つまらない事だから」
そう告げて、先に歩き始めた。昨日のような流れになってしまったのは申し訳なく思っている。だが自分の中で処理し切れてない問題をどうすればいいのか、分からなかったのだ。
すたすたと早足で歩く。スザクは少し遅れて、付いてきた。
また悪い気持ちにさせてたら申し訳なかったけれども、本当にどんな顔をして相対すればいいのか分からなかったのだ。
クラスに入れば、ほっとする。
シャーリーが一番に挨拶をしてくれて、やっと笑顔を浮かべられるようになった。
「あれ? ルルちょっと寝不足?」
「どうしてそう思うんだ?」
「疲れてそうだから」
言い当たられて、息をついた。
「あ、やっぱり。寝不足はダメだよ。お肌の大敵なんだからね」
「俺は男だぞ?」
「でもルルは綺麗だもん。お肌つるつるだし。ねえ?」
と、振り返って他の女子にも聞く。
いつの間にか、そこには数人の女子が集まっていて、うんうんと頷き合っていた。
「ズルイくらいだよ、ルルーシュくん。女子より綺麗なんて」
「そうよね」
などと続き、どうにも居づらくなったルルーシュは、机に向かう事にした。
「あ、ルル逃げた!」
「違う! もうすぐ始業だろ?」
図星を突かれて大声で反発すれば、男子からも笑い声が上がった。
ちょうどそこで、始業のベルがなる。
騒々しさで、少し気が紛れた。ほっとした。
「ルル、枢木君!」
と、またしても呼ばれたのは一限目が終わってすぐの休憩時間だった。
「どうしたんだ、スザク」
彼の教室は遠い。だから、来るとしても昼休みだろうと高をくくっていたのだ。動揺した気持ちがよみがえってくる。
「いや、調子悪そうだったから……」
「だから、それは大丈夫だって」
「でも…やっぱり保健室行こう? 顔色余り良くないよ」
「大丈夫だって言ってるだろう」
思ったよりも大きな声と、身振りになってしまった。手を掴みかけたスザクの手を払ってしまったのだ。彼は驚いた顔をした後、傷ついた表情になった。
「ご、ごめんスザク……」
「いいよ、それじゃあ僕は教室に戻るから」
「スザク」
思わず後を追った。そういうつもりではなかった。
ただ、自分は動揺していただけで……。
「スザク!」
やっと追いついて、肩を掴む。
「なんか、一緒に暮らし始めてから、あまり上手くいかないね、僕ら」
「……スザク」
彼の声のトーンは低い。
「ごめん、多分僕が悪いんだ」
「違う、俺が」
と、告げた瞬間にチャイムの音が鳴り響いた。
「スザク――保健室に行く。着いてきてくれないか?」
「だってさっきは」
「今は、一緒にいて欲しい」
「――……うん、分かったよ」
保健室までの道のりは、終始互いに無言だった。
だが、手が触れる程近くの距離で歩いていた。
その手を握りたいという衝動は、なんだったのだろう。
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