空気の冷たい日だった。
これで雨でも降れば、確実に雪になるだろうなと思われたのに空はからりと晴れていて、浅い青が余計に寒さを煽る。
久しぶりに本国に戻る事の出来た枢木スザクは、正式なラウンズの衣装を纏い皇帝へ謁見した後、自分の屋敷に戻る途中だった。運転手を雇うのは柄ではない。元々が名誉ブリタニア人出身の為、贅沢には慣れていないのだ。
だからその日も、与えられている自分には広すぎると思う屋敷へ戻る途中の運転は自分で行っていた。ナイトメアを駆るより百倍も楽な運転だ。なにしろ、皇宮のある近辺には一般人が立ち入る事すら出来ない。ハイウェイと同じ感覚で走る事が出来る。スザクの屋敷もその一角に与えられている。
その時、不可解な黒い塊が視界の端を横切った気がして、思わずブレーキを踏んだ。
綺麗に整えられた街路樹と、塵ひとつ落ちていない歩道。ここの住民は歩くなどという事をしないのに、そんなものが備えられている。そして片側二車線の幅広い道路があるだけなのだが、その歩道に黒い塊は落ちていた。
「なんだ……」
気になり、道の端に車を止めてスザクは一歩外に出る。
丁度アリエス宮の裏側に当たる場所だ。こんな場所には普段用がないので、通り過ぎるのみで立ち止まったのは初めての事だった。
黒い塊は、人の様に見えた。
まるまって眠る人。
まさかこんな場所に、そんな人間が紛れ込む筈がない。
――だが、近寄ればそれは確かに人の形状をしていた。背中を丸め、黒ずくめの服を着て、黒髪で目を伏せている。死んでいる訳ではないようで、胸の辺りは軽く上下していた。
「おい、お前。何をしている」
肩をぐい、と引っ張ればそのまま仰向けにそれは転がった。
色の白い男だった。明らかにブリタニア人だ。しかも歳はスザクと余り変わらないような気がする。
だが、違和も覚える。それが何に起因するのかは分からなかったが、自分の感覚はいつも信じて戦場を生き抜いて来たのだ。迂闊に気を抜かない方が良いと、腰に差してある剣に手を掛けた。本当は銃の方が手っ取り早いのだが、胸に手を入れる前に癖のようなもので右手が左脇へと回っていた。
長らく剣道を続けていたせいだろう。
「起きろ、お前」
すらり、と抜き出した剣先を、男へ向ける。
ゆっくりと、彼の瞼が開けられて行った。
甘い、赤みを帯びた紫の、瞳――。
それはロイヤルカラーだ。
まさか皇族のひとりなのだろうか? 皇族とは言え百八人もの妃を抱える皇帝の子供を全てスザクも覚えている訳ではない。
しかし、同年代でこのような奇矯な行動を取るような人間には心当たりはなかった。
それとも精神に疾患があるのだろうか? だから今まで隠されて来たのだろうか?
ならばスザクも知る筈がない。
相手が皇族と分かれば、剣を向けるのは不敬罪に当たる。気付き、慌てて剣をしまった。
「失礼いたしました、あなたは? どこでこんな場所でお休みになられてたのですか?」
彼は非常にぼんやりとした目で、自分を見ていた。
そして、唇を開く。
だが音が出ないようで怪訝な顔をした。
「声が?」
彼は首を押さえたまま、首を傾げている。
その首もとに、奇妙な痣があることにスザクは気がついた。
――バーコード。
「ああ………なんて事だ」
これは、人形だ。
なんて不敬なのだろう。ロイヤルカラーの瞳を用いたロボットを制作するなんて。
しかも、皇宮敷地内に放置するとはどういう了見だ?
「ひとまず回収する」
告げて、スザクは彼の手を取った。ひんやりとした冷たい手だった。
彼は後部座席で大人しく座っていた。
ロボット――いわゆる人型アンドロイドの歴史は、ナイトメアの歴史とほぼ近い。小さいか大きいかの違いだけで、基本構造は大して変わらないと考えた方が良いだろう。
戦闘に特化され、銃器を装備し、防御に強化したナイトメアと違い、アンドロイドは人の生活に馴染む物として特化されて行った。主に用いられるは人的資源を用いるのがもったいないと考えられる場所での労働と、後は愛玩用だ。
彼はどちらかと言えば多分愛玩用だろう。皇族の誰かが作らせたものかもしれない。
だとすれば、早めに届けを出しておかなければならないだろう。
スザクの車は元来た道を戻り、太陽宮を通り抜け、ラウンズが使用するイルバル宮へと向かっていた。そこには各種提出書類も揃っていれば、このような場合の対処を相談出来る人もいる。
「君の名前は?」
愛玩用ならば、名があるはずだった。
「名と、銘があれば教えてもらおう、そうすれば話が早……」
ああ、そうだったと思い出す。どうやら彼は喋れない。
思ったよりやっかいな事になるかもしれないと思い始めた時に、イルバル宮の入り口に到着した。もちろん顔パスで通過出来る。
他の職員は知らないが、現在のラウンズの顔を知らない人間はブリタニア中には存在しないだろうし、その主たる集合地でもあるイルバル宮で知らない者がいれば、きっと処罰の対象となるだろう。
スムーズに車を乗り付けると、後部座席を開く。
彼は心得たもので、ひとりできちんと降りて来た。
喋れない事を除いては、普通に行動が出来る上に認知も出来るらしい。筆談でも出来ればきっと話は早いだろう。中に入る為には掌紋認証を行い、そして入り口の職員には連れがいる事を伝え、そのまま宮殿の奥まで足を進めた。
アンドロイドとは言え、非常に精巧に出来ている。
業務用の雑なものとは違い、入り口の職員が「連れ」と言って信じる程に人に近かった。
非常に低いが、体温らしきものもあった。その瞳には生気もある。
正直、スザクはこのアンドロイドの姿形を気に入っていた。同性なのが惜しいが、もし女性ならば自分がもらい受けたい程だ。
彼を傍らに歩き、そしてひとつの部屋をノックする。
中からは硬質な女性の声で、「どうぞ」と招き入れる声がした。
元ラウンズで、現在はラウンズを厳しく取り仕切る女史がそこにはいた。
「お疲れ様です、枢木卿。その方は?」
「拾い者をしてしまいまして……あなたなら、何かご存じかと思ったのです」
彼女は眼鏡の縁を軽く上げて、まっすぐに彼女を見ている少年を見る。
見た目は本当にただの少年にしか見えない。自分だってあのバーコードを見なければ気付かなかっただろう。
「彼は、アンドロイドです」
「アンドロイドですって?」
まさか、と彼女は呟く。
「どうして紫の瞳を?」
「それは分かりません。私も拾ったものですので」
「――遺失物に、そのような届けはなかった筈です。少し探してみますが、どうなさいますか?」
「どう、とは?」
「それの扱いです。多分日数が掛かるでしょう。ここに置きますか? それとも卿が預かりますか?」
幸いにも、長い戦線が終わったばかりで一ヶ月余りの休暇が今のスザクには与えられていた。
もっとも、イレギュラーが起きればすぐに出立しなければならないが、今の世界情勢でそれはないだろうと考える。
「私が預かりましょう」
「そうですか。銘と名は?」
「分からないのです。彼はどうやら話せません」
「――時間が、掛かりそうですね」
「はい」
「では、バーコードの転写のみ行います。皇族の方々が極秘裏に作ったものだとすれば、このまま申し出はないかもしれません。その場合はどうしましょう」
「私が受け取っても?」
「それは構いませんが、アンドロイドですよ?」
それは密かに差別の色合いを含む。
所詮愛玩具だ。それを所持しようと言うのだから、そのような目で見られたところで仕方がない。
「性別は同性です。私はその趣味はありません。単に気に入った――それでは、だめですか?」
「そうですね。別に私は構いませんが」
「では、そのようにお願いします」
簡単にバーコードを読み取り転写すると、自分達は一礼して、部屋を出た。
思わずふぅと息が漏れる。彼女の厳格さは正しいのだが、時にその正しさが息苦しくもさせる。今もそうだった。
肩の力が抜けて、傍らの存在に微笑みかける。
「しばらく、よろしく」
彼の表情は少しだけ、微笑んだように見えた。
スザクがラウンズになって、既に四年が過ぎていた。
日本がブリタニアに併呑され、エリア11と言う名前になった瞬間から元日本国首相の息子である彼の行き場はなくなってしまったのだ。たったひとりの肉親であった父親は、戦争が始まる前に自決している。
行き場を失った当時、彼はまだ十歳だった。
そこから向かったのは、日本を攻めたブリタニアの首脳陣が集まる会館だった。
自分の身の振り方は、自分では決められない身だったのだ。自分は既に自決したとは言え、最後の首相の子供だった。いつテロ組織に担ぎ上げられるか分からない。なので、出頭を命じられていた。
そこで与えられたのは、名誉ブリタニア人の名であり、軍人の籍だった。
他の名誉ブリタニア人と等しく扱われ、戦績を上げる事数回。
そこで、現在も行動を共にする第二皇子直属の特別派遣嚮導部へと引き抜かれた。当時代五世代だったナイトメア・フレームを軽く凌駕する第七世代のテストパイロットとして採用されたのだ。
もちろん、当時は反発もあった。
名誉ブリタニア人は重火器すら所持することも不可能であり、騎士にあたるナイトメアに騎乗するなどもっての他だったからだ。
だが、変わり者の上、第二皇子というバックを持つ特派は強かった。自らの意志を貫き通したのだ。
そのお陰で、スザクは自分の戦績を大きく伸ばす事になった。特派で開発されていたナイトメア――ランスロットとの相性もすこぶる良かったのだろう。いつの間にかあちこちの戦線で引っ張りだこになり、気がつけば帝国最強の十二騎士、ナイト・オブ・ラウンスの座を手に入れるまでに成長していた。当時、まだ十四歳だった。もっとも現在も同僚であるナイト・オブ・スリーのジノは自分より一歳下だし、もうひとりのシックスに至っては二つも年下だ。
それなのに、自分より先輩なのだから、この国の実力主義は本物なのだと思う。
決して望んで得た座ではなかった。
ただ流れに流されてたどり着いた果てなだけだ。
だけど、ひとつだけそんなスザクにも望みはあった。
ナイト・オブ・ワンになること。そうすれば自分が着任している間だけではあるが、ひとつのエリアを任してもらえる事になる。彼は故郷の事を忘れた訳ではない。エリア11という無機質な名前を受け入れた訳でもない。
ナイト・オブ・ワンになって日本を取り戻し、そしてせめて自分が治めている間に反逆の糸口を作らせる事を目標としていた。
そのためには自分は強くあらねばならなかった。
年のほぼ八割は戦場に出ている。そこで上げた実績は、間違いなくワンの座へ近づける者だと信じて今までただひたすらに軍務に明け暮れていた。
そんな中で拾ったアンドロイドだった。
自分が殆ど家にいないのならば、そのまま得る事が出来れば屋敷の手入れにも使えるし、便利には違いない。例え愛玩用だとしても、最低限の家事機能はついているだろうし、無駄に人を入れる必要もなくなる。
彼を連れて屋敷に戻れば、既に連絡は入っていたのだろう、屋敷に仕える全員が出迎えの姿勢で入り口に並んでいた。
正直、こういうのは苦手だ。やめてくれと言ったこともある。
だが、いくら騎士公とは言え貴族の端くれであるのならば、守らなければならないルールもあるそうだ。面倒な事だと思わされていた。
それをこのアンドロイド一台で済ませれたらどれだけ楽だろうかと思ったりした。
まあ、それはきっと無理な相談なのだろうが。
「枢木卿、そちらは?」
「友人だ、しばらく寝泊まりする。私の部屋に連れて戻るので、しばらくは気にしないで欲しい」
「分かりました」
咄嗟に、何故そんな事を言ったのかは分からなかった。
あまりにも良く出来たアンドロイドに騙されてくれるかどうかの実験をしてみたかっただけかもしれない。
彼等は非常にあっさりと騙され、食事の準備まで尋ねられたが、自分は既に済ませているし、アンドロイドに食事は必要ないだろう。
「構わない」と、一言で済ませて、自室へ向かった。
二間続きの深い絨毯の敷かれた部屋だ。
正直、馴染みがない。
ここで寝泊まりすることも少ないので、余計だろう。
「お前はソファでいいな?」
こくり、と彼は頷いた。
会話は出来なくとも、意志の疎通は出来るらしい。
ああ、そうだったと思って名を尋ねる。そして紙とペンを用意した。
「――ルルーシュ」
「え?」
「ルルーシュ・ランペルージ」
低いが、耳障りの良い声だった。
彼は、どうやら喋れなかった訳ではないらしい。
「なんだ、喋れたのか。早くに――」
「お前が性急に物事を進めるからだ。喋れないと決めつけ、動き始めたから俺も喋る事が出来なかった」
随分尊大な性格に設定されているようだと、苦笑する。
「それは悪かった。じゃあ、ルルーシュ。銘は?」
「ブリタニア」
「やっぱり」
その銘は、要するに皇室御用達という意味であって、マイスターの名を現すものではない。一般的に、このような愛玩具の場合マイスターは不明にしておくのが礼儀のようなものだった。
「どこにいたの?」
「さあ」
「さあって」
「――俺は気付いたら、お前と目が合っていた。それ以前の事は記憶にない」
「え?」
「集積回路の故障だろうか、それとも全削除された上で廃棄されたのだろうか?」
「それは……」
捨てるにしても、あんな場所では目立ち過ぎる。
回路の故障と見る方が得策だろう。
「分かった。自分には専門の技術士もいる。明日、その人に見てもらおう」
もちろん、特派で自分を引き抜いてくれた人物の事だった。今は既に自分の位が上がりすぎて、書類上部下という扱いにはなっているが、実質は違う。今でも自分は彼のテストパイロットのようなものだ。
だから、お願いしたら見てくれるんじゃないかな、程度のつもりだった。
「じゃあ、ルルーシュ。改めてよろしく。僕は枢木スザク」
「よろしく」
握手を交わす。
その手は、さっきよりも少し暖かく感じられた。
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