朝、顔を合わすのがひどく気まずかったが、ルルーシュは普通だった。
そうだった、彼はアンドロイドなのだ。
彼にはスザクの抱える感情の機微など分からない。そう思うとがっかりしたような寂しいような、それでいてほっとした気持ちになった。
「ルルーシュ、食事は食べれる?」
「食べる必要はないが、食べる事も出来る」
「そう。じゃあ、一緒に食べよう」
そう、彼は機械。アンドロイド。そう自分に繰り返し告げ、らしい対応を取るように心がける。
そうしなければ、彼はあまりにも人間らしくて自分の心を持っていかれそうになるのだ。
なんてことだ、と思う。
たった一晩体を合わせただけで、こんなに動揺している自分は全くらしくない。
迂闊にベッドで一緒に寝ようなんて誘わなければ良かったと思う。
そう、らしくなかったのだ。
彼はまだ所属不明のアンドロイドだ。それを無防備に部屋に招き入れるなんて、自分らしくない。
彼等には基本プログラムとして人に危害を加えないと言う項目がある。そして人の命令に従わなければならない、自己を守らねばならないという三原則が存在する。
それにしても、得体不明で、どこか壊れているかもしれないアンドロイドなのだ。
ひとつ大きな息を落として、自分の失態を悔いた。
彼は既に人の命令を無視している。と言う事は、自分を害する可能性も存在した。
相手が人であれば、それなりの警戒心を抱いただろう。いや――どうだろうか。既に良く分からなくなっていた。彼は非常に人間らしくて、だからソファなんて場所じゃなくベッドで寝ればいいなんて言ってしまったのだ。
自分の感覚が信用出来なくなった。こんな事ではラウンズ失格だ。
ほぼ定刻通りに食堂に降りると、既にふたり分の朝食は準備されていた。
彼の事を友人として告げてあるから、当然のことだろう。彼が物を食べることの出来るアンドロイドで安心した。
「君の所属は、今日改めて確認するから」
「ああ、面倒だが頼む」
「どうする? 僕と一緒に行動するかい?」
「――どうだろう? 俺がここにひとりでいるのは不自然ではないか? 俺はお前の友人として招待されている訳だし」
「確かにそうだね」
彼の頭脳は明晰なようだった。
確かにそうだ。
友人をひとり残して仕事に行くなんてのは、貴族としてなっていない。
例え一代限りの騎士公とは言え、最低限の礼儀は仕込まれていた。それを守らなければ、屋敷に仕える人間達にも示しは付かないだろう。
「じゃあ、一緒に行こう。その方が話が早いかもしれないしね」
暖かなカフェオレを飲みながら、ベーコンエッグを食べているルルーシュへ告げた。
彼の所作は非常に優雅だった。さすが銘がブリタニアなだけはある。
そう言えば彼の瞳の色はロイヤルカラーだ。使用人達はそう近くに寄ってないから気付いていないかもしれないけれど、それは隠した方が良いかもしれなかった。
ここまで人間らしいと、皇族の誰かと間違えられかねない。
カラーコンタクトとかは使えるのだろうか……?
それとも眼鏡を掛けてもらおうか。
いずれにせよ、イルバル宮へ行く前に街へ出る必要が出来たのは確かだった。
自分の運転で、昨日のように彼を後部座席に乗せて街へ出る。
外の様子が珍しいのか、彼は窓の外をずっと見ていた。
「面白い?」
「ああ。何も知らないからな、俺は」
全ての記憶が消えている。と、言うことはそう言う事なのだろう。早めにロイドに診せた方が良さそうだなと判断する。その前に、誰の所有物か分かればその方が話は早いのだが。
皇宮の敷地から抜け、やがて街へ出ると彼はますます外の様子が気になるようだった。
全く別世界だからだ。
皇宮内は静かで森のような敷地が多い。
だが、一歩外に出れば賑やかな繁華街となる。首都でもあるペンドラゴンでは、揃わないものはないだろう程、店が溢れ人も溢れていた。当然、彼のお仲間も存在するだろう。
「……すごいな。こんなに人がいるのか」
「これが普通だよ。皇宮の中が少な過ぎるんだ」
心からの感嘆の声に、思わず笑みをこぼしながら、返す。彼は本当に人らしい。一見硬質に見えるのに、感情が豊かだ。
「そうなのか……」
彼は相変わらず感嘆の様子を隠そうとしない。
きょろきょろと周囲を見回しているのが、バックミラーに映っていて更に笑いを誘った。
「どうかしたのか?」
そんなスザクにようやく気付いたのだろう。ルルーシュは外を見るのをやめて、ちょうどバックミラー越しに視線が合うのに気付いたらしくそこからまっすぐ自分を見た。
「いや、君の様子があまりにも可愛いから」
「可愛い?」
きょとんとした顔になった。
「俺は、そんな風に作られていないが?」
「いや、可愛いよ。作られていようがいまいが、そう見える」
「………」
彼はしばらく考えたような顔になった。
「やはりどこかが故障しているのかもしれないな」
そして真面目な顔で言う。
我慢出来ず、スザクは吹き出した。
「どうしたんだ」
「いや、やっぱり可愛いよ君は、ルルーシュ」
「バグが起きてるだけだ」
「そうじゃないと思うよ?」
「そんな筈がない」
憮然と言い続ける姿が面白くて仕方なかった。
やがて一件のショッピングモールへと車を入れる。
「そう言えば君、コンタクトレンズははめる事が出来る?」
「さあ……知らないな」
「そうか。一度試してみよう。君の目の色は、混乱を招きかねない。取りあえずこれ掛けておいて」
と、サイドシートのボックスから取り出したサングラスを彼に手渡す。
スモークの掛かったレンズだから、紫の瞳は一見分からないだろう。
「ああ……俺の目の色はマズいのか?」
「ロイヤルカラーだからね。――ロイヤルカラーは分かる?」
「皇族の色、だったか?」
「あ、そういう事は知ってるんだ」
「ああ。何故か今出て来た」
「そう。まあ、そういう事。皇族特有の目の色をしてるんだ、君は。だから人混みに入ると目立ってしょうがない。隠すものを考えないと」
「分かった」
素直にルルーシュはサングラスを受け取り、そしてそれを掛けた。
かなり似合っていないが、まあこの際は仕方ないだろう。
不似合いさに目を引く事はあったとしても、皇族として目を引くのよりは余程いい。
「じゃあ、眼鏡ショップに入るから。えーと……」
「三階のBブロックだ」
「え?」
「そこに書いてある」
「ああ……」
確かに駐車スペースからショッピングモールへ入るスペースに、小さな表示板がある。だがそれを見て、すぐに目的のものを探すのは難しいだろう。なにせ店数が多すぎる。
「さすがだね」
「なにがだ?」
「この中から一瞬にして探し出すなんて、普通の人には出来ないよ」
「そうなのか? ――まあ、俺はアンドロイドだ。それくらい出来ないと困る」
「まあ、そうだね」
苦笑を浮かべた。彼はまた憮然とした顔をしたからだ。
当然のことを褒められたのが、余り嬉しくなかったようだった。
「じゃあそのまま向かおう」
ちょうど場所は三階だ。このままモール内に入ってBブロックを目指せば良いだろう。後はきっとこの有能な彼が目的地を探し出してくれる。
そのまま歩き始めると、彼もまた歩き始め、歩幅を広げたのか並んで歩いた。
ふと気付いたのだが、身長は自分と殆ど変わらないようだった。目線が同じだ。
「君に何歳? って聞くのは野暮なんだろうね」
「その前に記憶がない」
「あ、そうか」
「ただ、作られてからおよそ三年は過ぎているだろう事は分かる」
「そう」
自分の内部のことだからだろうか、すらすらと彼は答える。
「一度メンテに入っているな。それは一年前だ。ただ、どこの工房かは分からない」
「そこまで分かれば大きな手がかりだよ。良く分かったね」
「自分のボディの事だ、さすがに刻まれてるよ」
「そう」
集積回路の故障、と言う訳ではないのかもしれないとスザクはふと、その瞬間に思った。
やがて、店舗が見えて来る。
「一応、コンタクトレンズを試そう。それが合えば、一番便利だ」
「そうだな」
店に入ると、ひとまず自分の身分証を提示し、人払いを頼む。彼の目を晒す以上、無駄な混乱は避けたい。ラウンズともなればそれくらいの事は簡単にできたし、その時店にいたのは冷やかしの客ばかりだったのも幸いした。
「彼にカラーコンタクトを探している。ただ、適合するかどうかは分からない。試してみてもらってもいいだろうか?」
「はい。お色は?」
店員に言われ、初めてそうだったと気がついた。色まで考えてなかったのだ。
「黒かグレーで。それが一番自然だろう?」
と、ルルーシュは自分の髪を引っ張ってそう言う。
確かにそうだ。色素としては、それが一番合う。
「じゃあ、その色で。度数はなしで構わない」
「分かりました」
検査をいくつかされたが、彼が人でないことはバレなかった。不思議なものだった。目を開いて光を当てても、眼球を覆う皮膚の下までも、人の組成と変わらないようなのだ。傍で見ていたスザクはそれに驚いた。
外側からはアンドロイドとは分からないように出来ているらしい。さすがブリタニア銘。
なので、当然のようにコンタクトは適合した。色目は黒よりもグレーの方が似合っていたので、そちらをスザクは選ぶ。複雑な色目だった。ただの灰色のラインの入ったレンズの筈なのに、薄く下の紫を透かしている。それがあまりにも綺麗で、思わず見入ってしまう程だった。
そのまま着用し、店を出る。
店には当然のように代金以上のものを支払わなければならなかったけれども、元来支給されるポンドの使い道に困っていたスザクに取ってはなんの苦もなかった。
これで一見、皇族からは遠のいた。
ただ、更に彼の見栄えが良くなってしまった事には困る。
紫の瞳、と言うだけでロイヤルカラーを思い浮かべ、思考停止してしまう部分も多いのだ。彼の細部をしっかり見ていなかった事に気付く。
彼は非常に整った顔形をしていた。
余程良い工房で作られたのだろう、人では殆ど存在しない完全な左右対称型を微妙に外してある。それが人らしく彼を見せている。だがそれは微妙なものであり、だから一見、完全な形にも見えるのだ。
「綺麗だよね、君」
「――何を」
「だって、綺麗だもの」
「それは、俺を発注したやつに言ってやれ」
そうだった。
彼の顔は彼が選んだものではないのだ。
余程趣味の良い皇族がいるのだろう。
それが少しばかり残念でもあった。
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