「何やってるんですか、彼は!」
ヒーローTVではなかった。出動要請が掛かり始めた際の、民放での生中継でバーナビーは事の一部始終を見ていたのだ。
バーナビーは怒っていた。なにが、『バニーちゃんよろしく』だ! 顔を映された瞬間、彼の唇は動いていた。何を言っているのかは即座に分かった。
人質になった上に自分に後を託すなど、先輩としてのプライドがないのだろうか。
「なにがよろしく、ですか。いい年のくせにひとりで対処も出来ないんですかあの人は」
そこへ、ようやく腕に巻かれたバンドから連絡が入った。
「情報が遅すぎますよ」
『それは悪かったと思ってる。ワイルドタイガーはたまたま居合わせちゃったみたいね』
と、アニエスの声。彼女も焦っている様子だった。あの血塗れの彼の姿を見れば、動揺しない方がおかしい。
「で、敵は?」
『現在確認中。ワイルドタイガーのバンドが道に捨てられていたの。場所の特定がひどく難しいのよ』
こちらの事情をある程度知る人間の犯行?
バンドの存在など、一般市民は知る筈がない。
いや、それともその場でアラームでも鳴ったのだろうか。だから捨てたのかもしれなかった。
『捨てられていたのは、ジェイドストリートの二十八番街。戦闘があったのは同じジェイドストリートの十五番街よ。そこから何か推察出来ない?』
「何故ジェイドストリートなんて……」
彼の自宅とは正反対の方向の筈だった。夜遊びにでも出かけたのだろうか。それとも女か?
そう思うとやけにイライラする。
『自宅とはあなたたちの会社からすると、正反対の方向ね。何か知らない?』
「知るはずがないでしょう」
そこで、初めて気付く。彼は一度この部屋に訪れた事があった。勝手について来たようなものだ。
両親の写真も見ているし、ある程度のプライベートを垣間見られた事になる。
だけど、自分は虎徹のプライベートを何一つ知らない。単に自宅がある場所しか知らない。
愕然とした。
別にそれでも構わなかったのだ。
相棒と言っても形ばかりのもので、いつまで経っても息は合わないしお節介だし、迷惑この上ない。だけど、何も知らないと言うことについて、ダメージを受けている自分がいた。
『分かったわ、それじゃあ索敵を続けるからあなたはいつでも出られるように準備してちょうだい』
と、アニエスが通信を切った。
そこで、会社に向かえば良かったのだがバーナビーの足は虎徹の家の方向へと向かっていた。
日はもうとっくに暮れている。ネオンの光る道をただ直進する。自分の家とは案外近い場所にあるのだ。
番地くらいは知っていた。スピネルストリートの十八番街。古いビルの立ち並ぶ一角だ。
その家に行って何をしようとしているのかは分からなかったが、彼の部屋の前に立ち、ノックを二回した。
当然、誰も出てくる筈がなかった。
会社に行けば、今すぐ準備をするようにと告げられる。
斉藤の聞き取りづらい声で、「遅かったじゃないか」とクレームのようなものを言われながらも、ヒーロースーツを身に付けた。
だがまだ身動きが取れない。セントラルパークだとは分かっているが、あの公園は広すぎてヒーローが総出でもなかなかふたりっきりの人間を捜し当てることは出来ないだろう。
男は声明を上げていた。きっと一度きりで終わる訳がない。
第一、集合を掛けたネクスト達にもセントラルパークだけではヒントとして弱すぎるのだ。
次の声明を待つしかなかった。
ネクストにはヒーローも含まれているだろう。その自分達にも情報が渡らなければ意味がない。
そろそろ、虎徹が戦って一時間は過ぎようとしている。
自力で逃げればいいけれど、と思ったが彼はヒーロースーツを着用していない。
全身刃物の相手に、生身で挑むのは危険だった。だがそれでもやってしまうのが彼だ――さっきのように。
いらいらとした感情がまた吹き出してきた。
どうしてあの人はああなのだろう、と思わずにいられない。
はた迷惑でお節介で自分勝手。――こうやって、心配を掛けている事すら気に留めないだろう。
と、考えて心配している事に初めて気がついた。
だから意味不明な虎徹の家に向かうなどという事をしてしまったのだ。
何故あんなバカの心配をしなくてはいけないのだと、また少しばかりイライラすると同時に、自分の感情の鈍化にショックを受けていた。
いや、それでいいのだとも思う。
両親を失った時から、感情は冷めて冷え切っている。世界を斜めに見る癖がついていた。
だからこれが正常なのに、何故自分はショックを受けたのだろうか。
悩んでいる間に、通信が入った。
犯人から直截エージェントに連絡が入ったと言うのだ。
そして、バーナビーを直截指名してきたと。
『お前もネクストだな』
彼は前置きもなしに、そう告げた。
「ええ、そういう事になりますね――立ち位置は違うようですが」
ふ、と電話の向こうから笑いの気配がする。サウンドオンリーの通話だった。既に犯人の映像は克明に映像で残されていると言うのにだ。
映っては困る映像なのだろうか。もしや、虎徹は既に――と考え慌てて頭を振った。そんな事がある訳がない。あのお節介ではた迷惑なおじさんがそう簡単にくたばる筈がないのだ。
『それでも我々の仲間でもある。セントラルパークに是非ご招待しよう』
「セントラルパークと言っても広いですからね。どこへ向かえば?」
『来れば分かるさ』
そして高笑いをして、通話を切られた。
「向かいます」
「分かりました」
そのまま、バーナビーは自分のバイクに乗った。
サイドカーの空白が妙に応えた。
街中のネクストが出てくる可能性がある。
ひとりの人質が複数人の人質になる可能性もあれば、ひとりの犯人が複数の犯人になる可能性があった。
緊急にセントラルパーク周辺住民には退避命令が出されている。人外の能力の持ち主が集結してしまう可能性があるのだ、それももっともだった。
セントラルパークに向かう人々は複数人いた。だが、それら全員が敵とは限らない。攻撃が一切出来ない事に関して、焦れてしまう。
それを見抜いたファイアーエンブレムにいなされるが、逆に腹が立ってきた。
「だからどうだって言うんですか! 僕は怒っていい立場にあるはずです!」
ちらり、とファイアーエンブレムは空席のサイドカーを見遣る。その行為もバーナビーの神経を逆撫でした。
「あら、怖い」
相棒が捕まってるんですもんね、などとど真ん中の心配をされ、尚苛立った。
勝手に捕まるあの男が悪い。だが、あの血が頭の中に焼き付いて離れないのだ。
いつの間にかふたりで一緒にいることが当たり前になっていた事に安堵していた自分が腹立たしい。
自分はもう、ひとりではないのかもしれない――
ふと過ぎった考えは、首を左右に振ることで打ち払った。
セントラルパークと言っても広い。どこに集まるつもりなのだろうと思ったら、ひとりの先導者がいることに気がついた。
子供だった。
「こっち、こっちに行けばいいよ!」
どうやら彼は心を読むネクスト。
直截犯人の思考を読んでいるらしい。
「どこへ行けばいいって?」
子供相手にすごむ自分は大人げないと分かっている。だが、相棒不在はそこまで応えていたのだ。
「あ、あっち……パーク内の、博物館エリア……」
「そう、ありがとう」
困った事になった。
そんな場所でうっかり虎徹が暴れでもしたら賠償金どころの話ではなくなる。
じっと待っててくださいよと思いながら、バイクを飛ばす。傍らの不在を痛い程感じながら。
◆ ◆ ◆
連れてこられた場所を察知して、一時間は経過していたが虎徹は迂闊に動けなくなってしまっていた。周りは古物の山だ。どれひとつを壊しても賠償金で済む問題ではない。
閉館後の博物館。
こんな場所で戦う訳にはいかなかった。
それに、出血もひどい。世界がかなりくらくらとして見える。痛みは既にづきづきと響く鈍い物になっており、体と一体化してしまっていた。
こんな体で、しかも生身で自分の能力が適わないのは実践済みだ。黙って助けを待つのは性分ではないが、場所も相手も悪すぎた。
あの伝言は伝わっただろうか? とっさに思いついた事だった。何故、バーナビーに伝えたのかは自分でも謎だったが、カメラを向けられて咄嗟に出てきたのが彼の事だったのだ。
出来るだけ、はっきり分かるように口を動かしたつもりだった。だが意識を手放しそうになっていた寸前だ。余り自信もない。第一、バニーちゃんに伝えたところで、何も変わりはしない。
彼はいつものようにヒーロー然として戦うだろうし、負けもしないだろう。
何故か、それは確信を持っていた。信頼はしているのだ。
「目が覚めたか」
「ああ、おかげさんで」
転がされた床に血の跡が残る。さすがに出血は止まりつつあるのだろうか。
血溜まりが出来ないのは、幸いだった。動くこともなんとか出来そうだ。
「お前もネクストだな。なぜ人間に与する。人より優れた能力を持つ自分たちこそが人を支配すべきじゃないのか?」
「ご高閲だな。そんな偉いもんじゃないぜ、俺たちの能力って。所詮火ぃ吹いたり氷出したり、怪力になったりするくらいじゃねえか」
「そこが根本的に異なっている。人間ごときに使えない能力を持っているのだよ、私たちは。言わば進化した種族と言えよう。それを、何故人に怯えて暮らさなければならないのだ?」
「へえ、怯えてたんだ」
「…ち、違う」
どうやら図星をついたらしい。それで逆切れして世界の神になるとでも言ったパターンだろうか。
マジキチ決定――そう、虎徹の中では結論付いた。
「人とネクストとの優劣なんて、簡単に決められやしねえよ。決めるとすりゃあ神様じゃねえの」
「その神が選んだのが私たちじゃないのか」
「ふうん、てめえはそう思う訳だな」
相容れる事は出来ない、と告げれば右腕が刃となって自分に迫ってきた。
「邪魔だから消しておくってか? こんな綺麗な場所、あんま汚すなよ」
もちろん簡単にやられるつもりはなかった。ハンドレッドパワーは既に回復している。逃げる事くらいは可能だ。
もっとも血を失い過ぎた体がどれだけついてきてくれるかが謎ではあるが。
ひるまず、まっすぐに男の目を見た。
軽く唇の端を引き上げ、笑いの表情を作る。
刃の先は、細かく震えていた。
◆ ◆ ◆
博物館前にはネクストと思われる人々が集結していた。
彼等全てが敵に回るのであれば、面倒な事になる――そう、バーナビーが思った瞬間だった。
閉じられていた博物館の扉が開く。
虎徹を引っ張りながら出てきた、犯人の姿だった。
虎徹の姿は想像していたよりひどい。アニエスより血だらけだったと聞いていたが、確かにその通りだった。服のあちこちが破られ、そこから出血がまだ止まっていないように見える。
遠目だが、彼の顔は蒼白にも見えた。
「私はネクストの神! 呼びかけに答えてくれたあなたたちに感謝の念を送る。ありがとう」
わあ、とざわめきの声が起こった。
ネクストは余程でなければそうとばれれば迫害して生きる事になる。人とは違うということが、人に恐れを抱かせ差別というものに繋がるのだ。そこから犯罪に走るものも多い。
その気持ちを上手く利用していた。きっとこの中にも現在迫害されているものもいるだろう。
「そしてヒーロー達よ、よくぞ集まってくれた! 君たちにも感謝の念を送ろう。君たちも同じネクスト。人に支配される訳ではなく、人を支配しよう!」
こいつ、自分に酔ってやがる――そう、バーナビーは感じる。
それより背後の虎徹の様子が心配だった。立っているのも精一杯という風に見える。血を失い過ぎていやしないだろうか……?
「構わねえ、やっちまえ!」
その虎徹が、絶叫した。
不意の行動に驚いた犯人は、虎徹を前に引きやる。そして、刃物に変えた手で虎徹の首を落とそうとした。
――頭の中が、真っ赤にそまった気がした。
バーナビーはハンドレッドパワーを全開にし、集まるネクスト達を飛び越え、跳ね飛ばし、その場に立つ。今にも虎徹の首に突き刺さろうとしてた刃をそしてたたき割った。
「……おまえっ」
「さっすがバニーちゃん」
蒼白な顔をした虎徹を引き離し、自分の背後へと隠す。
「無駄口叩いてないで、反省してください! ……いいですか、一般市民みたいな顔しといてくださいよ」
素顔がばれている、しかもこの負傷の状態で彼を戦わせるつもりはなかった。
「はいよ」
思いの他、素直な返事がくる。てっきり歯向かって来るかと思ったのだが、この場合は都合が良かった。
「そういや、伝言伝わった?」
「十分に。公共の電波でなにやってるんですか、あなたは」
「ついつい、咄嗟に」
「ついつい、ね」
――なにが、バニーちゃんよろしく、だ。
しかし咄嗟に出たのがその言葉だったと言う事実に悪い気はしなかった。
自分を頼られていた事をその口から聞けて、つい、マスクの下で微笑みを浮かべる。
「あ、お前笑ったな」
「笑ってませんよ」
どうしてそんな気配にばかり聡いのだろうと腹立たしく感じる。だが、傍に彼がいることに安堵している自分がいた。
「スーツ着てればこんなヤツ、相手じゃねーからな」
「分かってます」
そして、バーナビーは男と対峙した。
男は全身から刃物を生やしている。
しかし、耐熱・耐火・衝撃に強いヒーロースーツに取っては子供のおもちゃのようなものだ。初めて斉藤に感謝しそうになった。
蹴りでその刃を一斉に凪ぎ払う。
パリンパリンと気持ちの良い音が鳴った。
刃だけ落としても、すぐにまた生えて来る。
「気持ちの悪い能力ですね」
「お前達に言われたくない……!」
と、男は特大の刃を向け、バーナビーに突進して行った。
◆ ◆ ◆
博物館前では、他のヒーロー達がネクスト達と戦っている。
数が多いので手こずっているようだが、所詮は犯罪者ではなく素人の集まりだ。
「一般市民の顔……ねえ」
ちら、と虎徹はバーナビーを伺った。
彼は戦闘に夢中になっている。ここから姿を消しても大丈夫だろうと思い、ひょいと階下へ降りた。
失血は確かに負担になっている。でも、だからと言って動けないほどの物ではない。
自分も、ハンドレッドパワーを発動させる。ヒーロースーツを着ていない今の自分は、他のネクスト達と同じだ。上手い具合に目の前の男を吹っ飛ばせた。
不意を突ける。
これは悪くなかった。
女子供が交じっているのは良くなかったが、それでもこの場で騒乱を起こすのであれば、黙らせる必要がある。なにも全力で戦う必要はない。
その点は他のヒーローたちも苦労しているようだったが、虎徹も慣れない能力のコントロールを行いながら、次々とネクスト達を倒してゆく。
「おおっと」
不意を突いているつもりが、不意を突かれた。
背後から衝撃が加わる。
幸いにも刃物系ではないようで、失血は免れたものの、バランスを大きく崩した。
「あんた、何やってるのよ!」
そこへ向かってきたのが、ブルーローズだった。氷の道を滑り、虎徹の前に躍り出る。
そして背後の存在をフリーズさせた。
「そんな怪我人はおとなしくしてればいいの!」
「だってよ、俺だってヒーローだぜ?」
「今のあなたは、ただの……もうっ、邪魔ね! 怪我人なの。おとなしくしてなさい!」
突進してきた怪力の男は吹き出す冷気に足下を固められ、その場に縫い止められた。
「はあい」
ふたりから言われてしまった。
おとなしくせざるを得ないだろう。
「真っ青な顔しちゃって、もう。バーナビーの八つ当たりも甚だしいし、あんたにはおとなしくしといてもらいたいわ」と、ファイアーエンブレムも傍にやってくる。
ふたりのヒーローに守られては、もはや動く事が適わない。
虎徹は諦めるより他なかった。
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